聖女と栞屋

「シャーロット、そろそろ起きないとあいつが来る頃だぞ?」


「ユリエルが来たら起こして…」



 最近、聖女の栞屋の滞在時間が増えに増えた。理由の一つは、側近中の側近である直属の補佐官がシャーロットの元を去ったからだ。



 騎士団長も頭を抱えながら小言を言っているが、全く聞く耳を持たない。



「お前仕事はいいのかよ…」


「仕事は帰ったらやります」


「もう日も暮れてるが!?」



 今日は月明かりがあるから書類に目を通すのも容易いし、冬なので暖炉もあるだろうが、蝋燭だけに頼る灯りの中、幾つもの書類に目を通すのはかなり疲れる。



「神殿は石油ランプだから夜でも意外と明るい」


「そういう問題じゃなくてだな…」



 つい最近まで、日が沈めばベッドに横になる生活をしていた聖女が、日が暮れてからも平民の家から帰らないのは、外聞が悪いと思うのだが、聖女は全く聞く耳を持たなかった。



「森の夜は危険だ。騎士達も可哀想だろう?」


「加護があるので襲われる心配はゼロ」



 そうだった。そのチートのおかげで大陸中なら流行り病が消え、動物に襲われることがなくなった。一件も野獣による被害がないというのは王都だけで見ても、歴史上聖女の加護がある時だけ。まさに奇跡。



「エリアス、お腹空いた」


「俺が作っても食べれねぇんだろう?」


「エリアスがこの間、毒味係がいれば問題ないと言ったのを私は覚えています」


「エリアス、ちょっとおじさんと話そうか?」



聖女が余計なことを言うから、騎士団長のルーファスに怒られる羽目になった。俺もお腹は空いたし、いい加減帰って欲しい。



ーーカランカランッカラン



「聖女様、お迎えにあがりました」



 補佐官様は、自ら志願して聖人アンドリューの補佐官として日中を過ごしているという。その聖女の弟が寝てから、今度は聖女の子守りをする毎日らしい。



 これまで、聖女の向かい側の部屋を改装しながら、見習いの頃からずっと変わらず向かいの部屋を使っていたらしいが、アンドリューの補佐官となってからは、私室は聖母の家の近くの教会本部の一室となり、聖女の部屋のフロアは階段側の部屋を騎士団長が使っているのみで、常時四人体制で安全を守るようになったらしい。



「ユリエル抱っこ」



 ハンモックに横になって先ほどまで完全に寝ていた聖女は、補佐官様が来ると両手を広げた。自ら下りる気もないらしい。



「なぁ、アレで結婚する意思がないとか本気か?」


「二人ともアホなんだ。俺は知らん。だが、こうでもしないとユリエルに会えないと考えてる聖女様も可愛いがすぎるよな」



 ルーファスが至極真面目な顔で言うので、俺はもう何も言わないことにした。平民となった俺が聖女とどうこうなれるとは思ってもいない。烏滸がましい考えがよぎることもあるが、こうして暮らせているので、これ以上を望むつもりはない。



 エリアスと名乗ればいいと平民としての名前をつけてくれたのは聖女だった。エリオットという名前の起源となるのがエリアスという名前で、俺に愛称をつける奴がいれば、エリオットと呼ばれる可能性すらある名前だったが、聖女のつけた名前を神殿側は否定することはなかった。



「エリアス、おやすみ」


「あぁ、気を付けて帰れよ」



 俺は暗くなった森で夕食を作り始める。




◇ ◇ ◇



 俺の今日の仕事は、お姫様の外食のアシスタントだ。貴族でも王族でも貴族街での食事を禁じられることはほぼないが、聖女という立場ではつまみ食いも許されないのは少し可哀想に思えて共犯者に名乗り出た。



「キャーーハハハッ」

 

「どうだ?人混みを抜けると簡単だろう?」



 人の多い時間帯を狙い街に出て、人通りの多い通りを抜けた。そこに広がるのは、馬車の通れる貴族街ではなく、平民街だ。



「俺のおすすめは焼きトウモロコシだ」


「いっ…いらっしゃい…」



 さっきまで大声で客を呼び込みながらトウモロコシを焼いていたのに、マントを被っても明らかに聖女と分かる客が来て、屋台の店主が驚いている。



「おじさん、二本ください」


「金はこれで」


「エリアス、後でお金はもらってね」



 硬貨を持ち歩いたこともない聖女様が、こうして抜け出して屋台で食事が出来ることはないだろう。



「はいはい。トウモロコシ位平民でも買えるんで心配は不要ですよっと。熱いから気を付けろよ?」


「味見をしてください。はい」


「うん。問題ない。遅毒性の毒だとわかんねぇけどな」


「問題ありません。父に聞いたら、神の子は強い加護があるから毒になるものはないと言っていました」


「じゃあなんで今食べさせたんだよ…」


「毒味をすれば問題ないと言ったのはエリアスですよ?」



 聖女は俺の齧ったトウモロコシを何の抵抗もなく齧り付いていた。意識した俺の方が顔が火照る。意識してしまえば、トウモロコシを齧って頬張る小さな口から目が離せなくなってしまう。



「こら!見つけたぞ!おおっと…聖女様…ついにやってしまいましたね」


「うん!美味しい!」



 人通りが多くなり、騎士団長が安全を確保しようと指示を出し始めた隙を狙っての反抗だったが、あっという間に見つかってしまったし、聖女は満足気に軽く返事をしただけでトウモロコシに夢中だった。三つ位は店を回ろうと思っていたが予定はここで終了のようだ。



「聖女様には毒は通用しないらしいぜ?毒味はしっかりさせられたけど…」


「いい大人になってからこんなことをするとは思わなかった…いいか、今日のことはユリエル様には内緒だ。それから料理長にも絶対に秘密だ。料理長の今までの努力を理解してやれ」



 神殿の料理長のことは知らなかったが、聖女と聖母の口にする物全ての責任を負っているというのは聞いたことがあった。

 聖母は警備を掻い潜り街に出掛けるのも常態化しているが、決して許されているわけじゃない。



「騎士団長も一緒に食べましょう」


「……次からは事前申告としてください。買いに行くのは俺らでやりますから。俺は警備担当ですから多少は見逃せますが、今日のように逃げ出すのはなしです」


「騎士団長、お金を出してください」


「全然聞いてない…栞屋…お前が出せ!今日は全部お前の奢りだ」


「聖なる騎士団長という立場で、平民に金を出せとはいかがなものでしょう?」


「グッ…聖女様のお金は使用用途を記載しなければなりません。俺が奢りましょう」


「騎士団長って意外と真面目ですよね」



 結局、聖女の願望は叶えられた。聖女のやりたいことの手伝いが出来るなら、まぁ少しくらい子供の頃のような悪さをするのも悪くはなかった。

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