聖女との再会

 早朝の薪を届ける日課を終えて、また置かれていた手紙に手を伸ばした時、俺はエリオットだったことを思い出した。



「殿下…エリオット殿下ではありませんか!?」


 俺はいつかこんな日が来るかもしれないと思いつつ、平凡な日々に気が抜けていたのだろう。周りの警戒を緩めすぎていた。俺は振り返った時に、無防備に歩いて来た聖騎士と目を合わせてしまったのだ。

 走って走って柵を飛び越えて走って、誰の家かも分からない庭を抜けて森へ帰った。剣術をやっていた皇太子だった頃よりも今の方が体力があるかもしれない。しかし、森に帰っても不運は終わらなかった。



「嘘だろ!?」



 俺は帰って直ぐに店の周りを確認した。リューもショーンも見当たらない。それは不思議なことでもない。来る時間もバラバラだし、朝一に来るのはもう少し日が短くなって来てからだ。三年も通われれば分かる。分かるが冷静ではいられなかった。



 小屋の入り口が壊され、本が丸っと一式持って行かれていた。確実に単独犯ではない。机を作ったり、椅子を作ったりして小僧達のために買った本は20冊はある。床に落ちた二人の名前の書かれた栞を拾い上げると、居ても立っても居られず街に戻った。



 俺は二人の家も知らなければ、どのあたりに住んでいるのかも聞いたことがなかった。ただ、追われていたことも忘れてフラフラと歩き続け、気付けば森に戻っていた。俺は何をやっているのだろう。



「おっちゃーーん!」

「おかえりーー!」



 遠くから小僧達の声が聞こえる。遠くから見れば、出会った頃より大きくなったと一目瞭然の成長だった。良かった。生きてる。ただそれだけで涙が出た。



「お前ら、今来たのか?」


「そうだよ?」


「おっちゃん、どうして泣いてるの?」



 俺は質問に答えることができなかった。ただ、もう少しだけ二人を抱きしめながら二人の無事を実感したかった。




「へ?このドア壊されてるの!?」


「本当だ。本棚の中空っぽ!」


「俺は覚えてるぜ、全部で32冊あった。いつも左上から数えてたから間違いないよ」



 数の数え方を教えたのは俺だ。学校にもたまに顔を出していたらしいが、森に行った帰りに寄れるここの方が都合が良かったらしい。だから、本の数は正しいだろう。



「おっちゃん、俺たちの栞も持って行かれちゃったのかなぁ?」


「いや、二人の栞はここにある。良かったな」


「「うん!」」



 綺麗に栞には目もくれずに、本だけ持って行ってる。二人の栞も無事だから、悔しいが被害が本だけ済んだのは寧ろよかった。



 俺は教会内の警備の薄い夜中に薪を置きにいくようになった。もう癖のように薪を用意してしまう体になったのだ。いつか殺されるなら今やれることはやりたかった。

 毎日机や椅子、小さな本棚を抱えて街に売りに行った。柱となる木に切り込みを入れて木板を差し込むシェルフは、街に行くのに便利だったし、時間もさほど掛からず作れたが、客の需要があり高く売れた。




 やっと本を一冊買える金が用意できて、民話が書かれた本を手に入れた俺は、今日も来るであろう二人に早く見せたくて家路を急いだ。



「まだ来てないか」



 今日は俺の方が早かったらしい。俺は空っぽになっていた本棚を見ながら本を開いた。二人は文字をある程度読めるようになったので、もう一冊ないと喧嘩になるなと思いながら文字を追っていく。難しい言葉をどう説明するかと考えながら読むのが癖になって、好きだった戦記や歴史書はもう長く手に取っていない。



ーータンタンカランッ



 乾いた木の風鈴が来客を知らせ、俺は小僧達がやって来たと思って、いつものようにゆっくりと顔を上げた。



「……聖女…さ…ま…」



 見慣れた小僧達の背丈の高さには顔はなく、何人も人が入ってくる胴体が見えた。身体が軋んだように痛みを感じた。目線は自然と光り輝く聖女を捉えていた。



「大勢で失礼する。君が店主か?」



 聖騎士の一人が恐らく俺に声を掛けているが、俺は聖女からしばらく視線を動かすことが出来なかった。一拍置いて「そうだ」と答える。

 今は髭も生えて髪も伸び、日焼けもしている。だが、聖騎士が俺に気が付いた前例がある。俺はフードに隠れるように下を向いた。反応から考えれば、まだ気付かれてはいないはずだ。



「子供達から森の栞屋が本の盗難にあって助けて欲しいと手紙が来た。聖女様のご意志により、本を贈りたい。受け取っては下さいますか?」


「いえ、ありがたいですが、あの本は趣味で所有していたもので、商いにも関係ないので被害というほどではない」



 俺は慈悲を乞うような真似はしたくなかった。俺の出来る範囲で、俺の力で集めた本。小僧達のために集めた本。他の物で代用が効く物でもないし、それをされるくらいなら店なんてない方がいい。



「たくさんの本があったと聞いている。本を買うために無理をしていると心配した手紙だった。折角持って来たんだ。受け取って欲しい」



 小僧達がきっと教会に連絡をしたんだ。いや、学校で手紙の書き方を教えもらって渡したのかもしれない。字を書くことは教えていないから手紙は書けない。



「お気遣いだけいただきます。また働いて集めますので、孤児院や教会でお使いください。その方が本の為です。ただ、一冊だけいただいてもよろしいでしょうか?二冊あれば一冊ずつ子供二人が読むことが出来ます」



 小僧達の気持ちは素直に嬉しかった。俺のことを心配してくれて気にかけていてくれたんだ。どうにかしたいと思って考えついたのだろう。優しい子達だ。子供達の笑顔を想像したら、俺の小さなプライドは落ち葉のように散るものだった。店が無くなれば彼らの店が無くなるのだ。



「店主、今はなんという名前ですか?栞屋とお呼びすれば良いでしょうか?」



 聖女は俺に二歩ほど歩み寄った。近付かれるのはまずい。

 マズイと思うのと同時に、聖女の前に跪いて十年前のことが昨日のことのように鮮明に頭によぎり心が軋む。



「栞屋と呼んでください」


「では栞屋、手をお貸しください」



 聖女の手が、下を向く俺の前に差し出された。嫌でもその白くて細い手が視界に入る。手を差し出すしかなかった。



「善良な栞屋にご加護がありますように。幸せを願います」


「あ、ありがとうございます…」



 握られた手は冷たい聖女の手に熱を奪われるような感覚を覚えた。毎朝祈りを捧げていた頃の聖女は、祈りの時に手をとることはなかった。神殿に帰る聖女の手を繋いで送って行くときだけ、小さな手を握ることを許されていた気がするが、俺はあの頃、手を繋ぐことが特別なことなんて思ってもいなかった。



 聖女の手が離れても、俺の手は熱が移る感覚をまだ忘れたくないというように、その日はずっと違和感を残したままだった。




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