神殿長の吐露
神殿には、信者から年に数度、最上級と言われる酒が献上されている。神への献上の場合、祭壇に供えるのに使用する為に酒は払い下げることはない。しかし、個人への献上の習慣は、薄れてはきているがまだ残っている。
神殿長宛の献上品で唯一手をつけるのが、故郷の田舎町から献上されるワインだった。
「聖女様はお休みになられましたか?」
「はい」
神殿長の位に与えられた私室をノックしたのは、聖女様の信頼を得て神官長の席に座っている神官長ユリエル。仕事は難なくこなし、信仰心の高さから彼よりずっと年上の神官達も、今のところ彼を敵視するような動きはないが、何せ若い。若すぎるので、彼を支える神官を選ぶのに苦労している。私の心痛の種でもあることもまた事実だ。
「一緒にワインを飲みませんか?私の故郷から献上されたものですが」
「はい。一杯だけいただこうかと思います」
ユリエルは他の神官達とは違い、出家してすぐの見習い神官となったと同時に聖女様に仕えた。それから一日たりとも聖女様のお側を離れたことはない。最初は兄が妹を世話するような拙い印象を受けた。私は当時、教会本部長として隣接する教会本部のトップにいて、神殿側へ口を出せる立場になかった。
グラスにワインを注ぐと、ユリエルは一口含む。
「大変美味しいです。神も興味を持っているようです」
昨年、私が神殿長に就任する際、彼は神官長に抜擢された。神託を受けるようになった今思えば、彼が神官長の席にいたことはとてつもない幸運だった。そうでなければ内部は分断したに違いない。
「そうですか。神はここにいらっしゃるのですか?」
「はい。神殿ですから、もちろんいらっしゃいます」
至極当然のことのように言う彼は、もう私より神に近いところにいる。だが、今の彼に神殿長の立場を明け渡すわけにはいかなかった。
「前国王の体制は崩れ、反発は強くあるであろう王子も見つかっていません。国王不在の危うい状態が続けば、この隙を狙って辺境から領地は奪われることになるでしょう。そこで、聖女様には教王として座っていただきたいと思っています。たとえ王子が見つかったとしても、聖女様に結婚のご意志がないので国が安定する事はありません」
「教王…ですか?」
「国王不在で暫定的に私が権利を行使していますが、私の立場はあくまで教会を取りまとめる神殿長です。神が在居する神殿ですから他の国へ神の意思を伝えることも仕事ですから、この体制はそう長くは続きません。国民から一番信頼があり、神の寵愛を受ける聖女様が一番上に立つのは当然のことです」
行方しれずとなった王子と聖女様があのまま結婚していてくれれば、こんな面倒なことにはならなかった。権力の一本化は望んでいた事だったが、このような中途半端な自滅は誰も望んでいなかったのだ。
国王が国民の意思により退位されたが、その原因となった皇太子は手配を掛けても見つからなかった。望まれない国王であったとしても、皇太子が国王として一日でも、二日でも王位に就いていたら、形ばかりは整ったというのに、生死の確認も出来ない。本当に困ったことをしてくれた。
「聖女様のご意志を確認しなければ…」
「聖女様のご意志は関係ありません。今でも名がないだけで、教王の位置にいるのですから、何も変わりません」
もう聖女様以外に、人の上に立てる存在はなかった。私が聖女様を娶れば或いは…だが、そんな事は起こり得ようもない。
「承知…しました」
「一つだけ、聖女様はこれから意思決定の場には赴かなくてはならなくなります。ユリエル、あなたには教王補佐の地位を聖女様から授かることになります。励みなさい」
こうして、皇太子の捜索は表立っては打ち切られ、聖女様が教王となる。
「ユリエル様、一つだけよろしいでしょうか」
「はい。神殿長」
「聖女様が孤児院へ滞在する時間や、自由になる時間は減らさないよう調整ください。聖女様も、友人を作る時間が必要です。そして、ユリエル様もお休みをお取りください。余暇というものは、人を豊かにするものです」
神殿長は、教王の即位と同時に、自分の上に教王補佐という役職を作った。教王となれば、聖女様はあくまで信者である各国国王より上の存在となる。
ユリエルは今までよりも多くの神官と関わることになるだろう。
神殿長はユリエルと聖女様がいつも忙しなく駆け回っているのを見ていた。ただ見ているだけだったことをずっと後悔している。
「検討します」
ユリエルの笑顔を見たことがなかった。友人と話しているのも見たことがない。聖女様と共に起き、同じ食事をし、そばにいて主人に仕えることしか知らない人生は、聖職者の鏡とも言えたが、彼は子供の頃から変わらぬ生活をしていて、外のことをあまりにも知らなかった。
神託を受けて戸惑って泣くユリエルを見て、初めて彼がまだ若き青年だったと思い出した。普通は同じ見習い同士で仲良くなり、仕事を超えてコミュニケーションを取るようになる。彼にはそれが許されなかった。最年少で見習いとなったその偶然だけで、彼には聖女様しかいなくなってしまったのだ。
そして聖女様も、王子がアカデミーに通うときに、本来ならば一緒に通うべきだった。周りには大人しかおらず、孤児達は奉仕すべき対象で、聖女様は彼らからすれば崇拝すべき対象でしかなかった。友人と出会える場は聖女様にはなかった。これは神殿側の大きな過ちだったのだ。
すでに大人になってしまった聖女様とユリエルの心からの笑顔が取り戻せるように、私は過去の神殿の過ちの責任を負う立場。彼らの行く末を案じずにはいられなかった。
教王補佐となった彼を誘い、私室でワインを飲んだり、チェスをしたり、時には神官や騎士を呼んでトランプをするようになった。知識だけでしか知らない遊びを目を白黒させながら経験するのも人生の勉強に違いない。
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