神官長と神

 聖女様が聖女を辞めて数日後、私は日課の夜の祈りを捧げていた。



「ユリエル、お前に頼みがある」



 祭壇奥の壁が黄金色に輝き、私はその声が神だとすぐに理解した。私に神託が降ろうとしているのだ。私は恐れ多くも歓喜に震えがとまりませんでした。



「聖なる父の御心のままに」



「ならば聞け、うちの反抗期の娘がこの父を無視してもう5日になる。願い事すらしない無欲な子で我は寂しい。お前は聖女の祈りを再開させて、娘に願い事をさせよ」



 神の願いは難しいものだった。聖女は仕事では決して祈らないと固く決意して実行している。それでも神の願いを聞かないわけにはいかない。



「聖女様にお伝えいたします」



 私は翌朝すぐに聖女様へ神の意思を伝えることにした。



「神官長、私は父に祈ることはありません。私は強欲ではないのです」



 ハッキリしっかりと聖女様は私の目を見ていた。聖女様の意思を無視することは出来ません。私は非常に困った立場にいました。



「ユリエル、娘は頑固だな」



 神は祭壇の前でなくとも、神殿内にいれば神は話しかけてきます。神の家ですから不思議なことはなく、神を近くに感じられることは詠嘆するばかりでした。

 しかし、神の意思を無碍にすることも出来るわけがありません。私は神の意思を聖女様に伝える役目を授かった身、役目は果たさなければなりません。それが神官長という立場であれば、尚のこと頑張らねばなりません。



「聖女様、父というのは、子供の願いを叶えたいと思うものなのです。小さな願いをしてみたらいかがでしょうか?」


「私は子供ではなく、成人した大人です」



 私より五つ歳下の聖女様は、確かに成人したとはいえ、まだ大人の女性とは思えませんでした。まだまだ青々しく実る果実のようですが、聖女様にそのようなことを言えるわけもありません。



「聖女様、祈りと願いは違うものです。願い事は仕事ではありませんし、願い事を…」


「父に願わなくても、神官長に願えば神官長が叶えてくれます」



 確かに、聖女様の願いを叶えるのも私の仕事。仕事でなくとも、喜んで聖女様の願いは叶えたことでしょう。

 神の願いは聖女様には届くことはありませんでした。



「ユリエル、お前が代わりに娘の願いを叶えてどうする!我の出番がないではないか!」



 私は神の逆鱗に触れてしまったようでした。聖女様に認められて神官長として努めてきましたが、神の願い叶えられない私は神殿長に降格を願いに行くことにしました。身に余る役職だったと気付かされた瞬間でした。

 聖女様の側に生涯いたいと願ってきた私でしたが、もう幸福な時間は終わりを告げる時がきたようです。



「神はユリエルをお選びになったのです。神の人選を疑うのですか?聖女様の信頼を捨てるのですか?」



 私は情けない自分に涙するしかありませんでした。私は聖女様と生き、神の意思を受け入れなければなりません。気弱になっていた自分を律するために私は毎日、より励みました。これも修行だったのです。




「うぅ…ユリエル…我のために頑張ってくれ」


「父上、神官長が困っています。神官長を困らせる父は嫌いです」


「うぅ…娘に無視されるのは辛いんだよ。嫌わないでおくれ」



 私はやっと、聖女様も神の声が聞こえていたのだと知りました。聖女様は文字通り無視していたのです。私は聖女様のことをまた一つ理解出来たのです。



「父には子離れが必要です」



 聖女様は見た目とは裏腹に立派に成長しております。嵐の夜は一人では寝られませんが、既にしっかりと自分の考えをお持ちなのです。



「聖女様、そろそろお時間です」



 私は神殿長に自分の不甲斐なさを情けなくぶつけた過去を捨て去ることにしました。神殿長のお言葉は正しかったのです。神は聖女様との仲介を願ったわけではなく、可愛い娘の成長に寂しさを感じて嘆いていたのです。私は神の嘆きを聞きながら、聖女様の意思を尊重すれば良かったのだと気付きました。



「ユリエル!我が子との時間を邪魔するでない!」


「父の言うことは無視しておけばいいのです」



 聖女様と神、どちらも私にとって崇拝する存在です。



「神よ、お許しください」


「ユリエルーーーー!!!」



 神の声が神殿に響き渡ったその日、空は荒れていました。



「神官長、布団を引っ張らないでください」



 聖女様の背中は私の胸にピッタリとくっつき、狭いベッドで身を寄せ合いながら眠りにつきました。



「ユリエルーーー!!我が娘を穢したら天罰を下すからなー!」



 神の声は雷音のように響き渡り窓を震わせました。



「父、夜は静かに」



 その日の夜はずっと神の泣く声がぼんやりと聞こえたような気がしますが、私は温もりが気持ちよくて幸せな夢の中へと落ちていました。

 私は二十歳という若さで神官長の椅子に座っています。その席はもう、誰にも譲るつもりはありません。

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