聖女と神官長

 聖女様は花が咲くように笑うとても愛らしい方だ。私が5歳の時、聖女様の生誕祭が国を上げて行われた。



 街は色めき、大きな旗や花で溢れ返って聖女の誕生を祝った。私は侯爵家の次男で、代々聖職者を送り出す家だったので、生まれた時から出家が決まっていた。

 当たり前のように神殿に通い、当たり前のように出家したのは10歳の頃。私は最年少で見習い神官となった。それが功を奏し、私は歳が1番近いから聖女の世話係として仕えるようになる。



「聖女様、お目覚めですか?」



 聖女の朝はとても早い。夜明け前に起床され、丘の上に立つ神殿へ向かい、日の出を感じながら祈りを捧げて一日を始める。



「聖女様の朝食をお忘れです」



 聖女様に一日中付いているのは世話係の自分だけで、行く先々で担当が変わるので、聖女様自身に配慮されることが少なく感じた。

 時間になれば担当が迎えに来て、次の担当が目的地に連れて行く。少し行き違いがあっただけで、聖女は休憩する時間もなく、食事をする時間もなく、夜を迎えることもあったので、聖女のスケジュールの調整を任されるようになるまで時間はかからなかった。



「聖女様、少し休憩にしましょう。次の教会へは連絡しておきます」



 コクリと頷いて広場にシートを広げれば、侍女たちが水やクッションを持ってきた。スケジュール調整も担当するようになり手が足らなくなったので、聖女様に専属の使用人をつけるよう提言したのは間違いではなかった。この国に初めて現れた聖女に教会は慣れていなかった。



「見習いも座って。侍女も。疲れたでしょう?」



 言葉数は少ないながらも、聖女様は周りに気遣いが出来る人だ。決して我儘は言わず、大人しく仕事をこなすのは人形のようだったが、温かい心をもっていた。



 暑い夏の日、聖女様は水分不足で倒れてしまった。熱は何日も下がらず、私達世話人は全員が処罰の対象となり、聖女様の熱が下がるまで、聖女様の眠る寝室の前で正座していた。



「聖女様、私たちは聖女様の思っていることも聞きたいです。お腹が空いた時はおっしゃってください。オヤツが食べたくなったら何が食べたいのか言って欲しいのです。私たちは聖女様の心まで読めないことが辛いのです」



 毎日眠りにつく聖女様の手を握ってわがままを言って欲しいと訴え続けたそんなある日、神殿での朝の祈りを終えた後、その日のスケジュールを話し合っていると、聖女様が声を上げた。



「見習い、もうお腹が空いた。朝食の時間」



 その声を聞いた時、私は聖女様を抱き抱えて食堂へ向かった。これはお腹が空きすぎて倒れるかもしれない緊急事態だと焦ったのだ。それからというもの、聖女様の言葉は最優先で行動した。まだ小さい聖女様を走らせるわけにもいかず、いつも私は聖女様を小脇に抱える形になる。抱っこの形だと前も見辛く危険なのだ。



「見習い、手を繋いで」



 聖女様と移動する時は、必ず手を繋いでいたので、自然と聖女様は手を差し出すようになった。それが当たり前だったので、歩いている時に手を繋いでいないと不安になるようだ。手のひらを見せながら見上げてくる聖女様は私にとって特別なものだった。



「見習い、今日は一緒に寝て」



 雷が鳴り響く夜、聖女様が向いの私の寝室に来た時は信頼されているのだと思って嬉しかった。

 小さな背中を感じながら眠れるのは、嵐の夜だけの私へのご褒美。これは二人だけの秘密の夜の始まりだった。




「神官、少し寄って」



 体を揺すられて聖女様がやって来たのだと気が付いた。遠くの方でゴロゴロと雷の音が聞こえる。私は布団を捲ると、ベッドに座った聖女様の腰に手を回す。そうして私達は温かい布団の中で眠るのだ。



「神官長、ベッドを大きくしよう」



 何も言わずにベッドに潜り込んで腕の中に収まった聖女様の言葉は聞こえないふりをした。柔らかな聖女様の温もりは、嵐の夜だけの私だけのご褒美。微睡の中聞こえる聖女様の寝息は、私を深い眠りに落とす睡眠薬だ。わがままを言って欲しいのに、それだけは叶えてあげられないのです。




 ガタンッ。決して大きくはないが重い音が暗い部屋に響き渡った。



「神官長何かありましたか?」


「いや、何もない。物が落ちただけだ。心配いらない」



 雨粒が窓を叩きつける音でも流石にベッドの足が折れた音は掻き消えなかったらしい。



「神官長、私の部屋で寝よう」



 聖女様は幼い頃のように私に手のひらを差し出し、その手を取った私を部屋に招き入れた。何度も入っている見慣れた彼女の部屋が、稲光でピカピカと光っている。



「神官長、ベッドは広くなくて頑丈なのがいいね」



 彼女の大きなベッドで、初めて聖女様が笑った。いつも背中を向けて寝ていた聖女様は、私の胸に顔を押し付けるようにして寝ていた。私は初めて朝まで眠ることが出来なかった。




「お疲れ様、神官長」



 嵐が来るのを心待ちにしている私に、神が聖女を決して穢すなと警告する。ただただ、私はこの手に抱いて安心したいのだ。私の護るただ一つの宝物を。嵐は暫くやって来そうもない。



 今日も新しいベッドの隅で眠りに落ちた。

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