婚約破棄されて満足したので聖女辞めますね、神様
佐原香奈
お前との婚約は破棄だ
ある晴れた日、私はいつもの様に神に祈りを捧げていた。聖女の朝は早く、日の出に合わせて丘の上にある神殿での祈りで一日を迎える。
私は生まれる前から加護をもった聖女だった。母のお腹は加護の光を放ち、母の睡眠を妨害していたほど眩しかったらしい。
とても迷惑な加護だったと母は語る。
そんな異様な腹をした母は、すぐに教会の保護下に置かれることになり、悠々自適な暮らしが出来たと喜んで私に毎日感謝している。
ちなみに父はいない。いい人の皮を被った生ゴミのような男だったので、ゴミ箱にぶち込んでやったらしい。詳細は不明だ。
そんな生い立ちの私がすくすく成長できたのも、親切に愛情を注いでくれる教会の神官や信者達のおかげだった。危機管理のできない母一人では私は何度も墓に入ることになったと思う。加護の力というのは信者達の信仰心というのも強ち間違いではない。その信仰心がなければ私は生きられなかったのだから。
朝のお祈りが終われば、フルーツのたくさん乗ったパンケーキを食べることが出来る。
「聖女様、うまいか?」
「美味しい。今日も最高の焼き加減!」
神殿の食堂は出家して神の僕となった聖職者全てに解放されるため、いつも大勢の人で埋め尽くされている。
そんな忙しい中でも、私の朝食は料理長自ら作った至高のパンケーキだ。因みに、料理長が嫁に逃げられた時には虚無のパンケーキとなったが、一週間程で戻ってきたらしく、今では品質は保たれている。
虚無のパンケーキも美味しかったが、生クリームとハチミツの暴力に任せた美味しさだったので毎日はきつかった。
「聖女様、そろそろお時間です」
「おいおい、毎日毎日聖女様を急かすんじゃねぇよ。今食べ始めたところだろ?可哀想じゃねえか」
私の朝食の時間は五分と決められている。パンケーキを五分で食べられるレディがいるのなら目の前に連れてきて欲しいと思うが、それを言うと実際に連れて来られるので決して言葉にすることはない。ひたすらにフルーツとパンケーキをフォークに刺していく。
「ごちそうさまでした。料理長いつもありがとうございます」
「おう、今日も適当に頑張ってきな」
料理長はとても優しい。私のスケジュールを管理している神官長より人間味がある。
「皇太子をお待たせするわけにはいきません。十分も時間が押していますので急ぎますよ」
彼は神官長も任されている凄腕なのだが、多分スケジュール調整が向いていないタイプなのだと思う。普通の人は余裕を持って予定を組むのではないかな?と最近やっと気がついてきた。
私を物のように小脇に抱えて走る光景は、みんなも見慣れているので誰も気にすることはない。一応いい歳まで成長したレディなのだが、小さい頃から神殿にいるせいかきっと私を子供だという認識が抜けないのだ。
「おはようございます婚約者様」
「あぁ…来たのか」
朝の恒例行事であるのに、なぜか彼は忘れてしまうことがあるようだ。彼の私室とはいえ、女性が膝の上に跨いだ状態で会うのは流石に初めてだ。ノックはしたはずなのだが気付かなかったのだろうか。
「では本日のお祈りを…」
「待て待て、もうその祈りはいらない。明日からも来なくていい」
明日から来なくてもいい?祈らなくてもいい?頭の中で彼の言った言葉を繰り返す。私が思っていたより王子はいい人だったのかもしれない。この祈りがなくなれば、朝ゆっくりと朝食を食べることが出来るのだ。朗報でしかない。
「かしこまりました。では失礼いたします」
私を小脇に抱えてきた神官長に目をやると、スッとドアを開けてくれた。祈らなくてもいいと神官長も認めたようだ。
「あぁ、それから見ても分かる通り、今後彼女がお前の代わりになる。お前との婚約は破棄だ」
婚約は破棄と背後から聞こえた気がして、神官長を見上げると、神官長は一度王子に視線を向けた後、首を縦に振った。ということは、私は王子の婚約者ではなくなったらしい。名前だけの婚約だから構わなくていいと言われていたが、毎朝の祈りだけは命じられていた。それも今日で終わる。
「婚約破棄承りました。今後のご健勝をお祈り申し上げます」
「もうお前の祈りはいらないと言っただろう。邪魔だ。早く出ていけ」
私はそそくさとその部屋を後にした。神官長は何やらムスッとしているが、私は神のご加護を実感できた悦びにすぐに神殿に帰りたい気分だった。
「神に感謝の祈りをしなければなりません」
「十五分、時間がありますので許可しましょう。しかし移動時間は加味していませんので急ぎます」
神官長はまた私を小脇に抱えて王宮を走っていた。後ろから着いてくる聖騎士たちも必死な顔をしているので、神官長の足は早いのかもしれない。
「私の聖なる父よ、いつもお見守りいただきありがとうございます。今日は最後の祈りに参りました。晴れて私は好きでもない男と別れることが出来、感謝申し上げます。これ以上の加護を求めるのは神への執着とも言える欲深き行いでしょう。だから、聖なる父、私は祈りをやめて独り立ちしようと思います。今までありがとうございました」
ーーえ、やめるの?本当に?
天から声が聞こえた気がしましたが、聞こえていないふりをしました。だって、普通は父に会っていなければ父の声は聞こえないのです。これからは私は聖女のお仕事はしないので、父の声は邪魔なだけです。
こうして教会側と皇室との確執が決定的になったこの日、王国は聖女を失うことになりました。教会側は聖女を侮辱した罪を公表し、皇室の地盤は一気に崩れ落ちました。
「聖女、すまなかった。謝るから俺と結婚してくれ」
王宮は火が放たれるなどして崩れ落ちました。世は大混乱時代です。服も破れて煤けた状態でフラフラと神殿まで来た皇太子エリオットは、葡萄ジュースを喉に流し込んでいた私の目の前に跪いていました。
「結婚は好きな人とするものです。私は嫌いなので結婚はしません」
王子は騎士に取り押さえられ、腕にロープを巻かれようとしています。
「なぁ、頼むよ。もう一度チャンスをくれ。このままだと殺されてしまう」
「殺しは良くないですね…ところで、なぜ殺されるのですか?誰かを殺したのですか?」
彼が押し黙った後、「聖女様、それは…」とかわりに答えようとした騎士の不意を突いて窓へと駆けた。
「私、聖女のお仕事はもう辞めました。どちらかといえば今は神官長の方が聖女です。神官長に結婚を申し込むべきでは?」
神々しく加護の光を漂わせながら、聖女が王子の背中に助言を投げかけたが、彼が振り向くことはなかった。
「行いを改めない者に加護はないと神は申しております。夜明けまで時間がありませんのでお引き取りいただけて助かりましたね」
加護のない皇室が民衆の信頼を取り戻せるはずもなく、そのまま国王になったのが聖女だった。王子はそのまま行方不明だ。
「国王になっても、聖女ではないので祈りませんよ」
「神が泣いておいでですよ聖女様、さぁ急ぎますよ」
今日も聖女様は神官長の小脇に抱えられて王宮を走っていた。神は信託に応えない聖女の代わりに、神官長に泣きついたが成果は得られていない。
聖なる光の王と呼ばれる聖女様は、遂には大陸全土を支配下に置いた。それでも神の寵愛は絶えない。
「神よ、聖女の何がそうまでさせたのですか?」
たった一度だけ神官長は神に問いかけた。
「それはお前もよく分かっているだろう」
大帝国の帝教王となっても孤児達の隣で眠る聖女を見て、神官長は神に祈りを捧げた。
「聖女への終わりなき加護を」
世は安寧の時代が訪れていた。聖女が笑顔でいる限り人々は争いを起こすことはなかった。
神官長と聖女の物語は続く
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