第2話 聖女の園での暮らし
地図を広げれば、中央に一際大きな大陸が目につく。その大陸の東部の大部分を領土とするのが、センタリア王国だ。東側に海、西側には標高の高い山々が聳える、起伏に富んだ土地である。
先読みの聖女の暮らす聖女の園は、王国直轄領にあり、表向きは時を統べるザイツ神を奉る中立な立場をとっているが、実際は、王の命を受け、国の命運を占うという重要な役割を負っている。
いうなれば、センタリア王国専属予言者集団だ。
そのため、センタリアの領土に住む民の中に先読みの力を有する者がいれば、強制的にザイツァー教会の所有する聖女の園に送られる。
ザイツァー教会の神官が、定期的に各地を巡り、十歳前後の娘たちを集め、力を有する者かそうではないかの判断を下す。高貴な身分の貴族であろうが、村に住む農耕民の娘だろうが、身分などは関係ない。そのため、ザイツァーの神官は酷く恐れられていた。
国王にも一目置かれた先読みの聖女になるというのは、栄誉なことであるし、給金も相当な額だったため、進んで子を差し出す親もいたが、可愛い年頃の子と引き離されることを憂う親の方が多かった。もちろん、子供本人にしてもそうで、立派に務めを果たしたいとい者も稀にいたが、泣き叫ぶ者が大半だ。
けれど、どちらの場合であっても、否応な非情な神官に連行される。
ゼノ村に神官が来たのは、リーネが七歳の時だ。同じ年頃の少女たちと村の教会に集められ、そこで見知らぬ神官に、ゼノ村で唯一、先読みの力を持つ者たちだと告げられたのだ。
リーネは素直に喜んだ。
けれど、隣にいたレーナは曇った表情をしていたし、急いで家に帰ってマイヤー夫人にその事実を伝えると、ひどく狼狽え、終いには泣き伏してしまったことを覚えている。
——ああ、きっと悪いことなんだ。
リーネは漠然とそんな予感を抱いた。
そして、この地を跨いでから十年の月日が流れた。
当初、子供心に、先読みの聖女に選ばれることはとても不幸なことなのだと考え、じわりと広がった鈍い感情。
きっとそれは今も、心の奥底にある。
だが、今はその感情を笑って誤魔化してしまえるくらいには大きくなった。
一度は入れば出ることは叶わない、見た目だけ綺麗な監獄のようなところだと、深刻に考え、眠れず、震えた日もあった。レーナにしがみついて、ここから逃げ出そうと泣きついたことも。けれど、それも過去のこと。
現在はこの生活に概ね満足している。
礼拝は眠いし、質素な食事だし、おやつは小さいけれど、衣食住が保障され、隣には姉のレーナがいるのだ。
それ以上、何を望もう。ふたりには親がいなかった。養父母になってくれたマイヤー夫妻だって、幼子を二人抱えていたのだ。哀れな双子を引き取ったのは、亡き両親と懇意にしていたからという厚意からだった。あのまま双子を抱えて生活するのは何かと苦労があっただろうと想像できる。
正直、他の聖女たちのことは好きになれない。
何かとレーナにちょっかいを出してくるからだ。
でも、当の本人は気にしてもいないのだから、リーネも極力気にしないことにしている。
(これでいいんだよね。ここにいるのが一番いい)
リーネは時折、そう自分に言い聞かせる。
そうしているうちに、ふっと湧いたような不安や、足元から這い上がって来るような絶望が、次第に色を失うから。
「リーネ、どうかして?」
名を呼ばれ、リーネは巡らせていた思考から意識を引きはがし、姉の方へ目を向けた。
「あ、ごめんなさい! あれ、えっと……何の話をしていたんだっけ?」
「あなたが、私におかしなことがあったのかと尋ねたのよ」
「そうだった‼ それで、何かあったの? 笑っていたでしょう?」
すっかり笑みを消し、心配そうにこちらを窺う姉に、誤魔化すように問うと、レーナは首を振った。そして、目を伏せる。金色の長い睫毛が、かすかに震えている。
「レーナ?」
「……笑っていて良いのかしら?」
「え?」
「ううん、何でもないわ」
口では何でもないと言うものの、明らかにリーネの顔色は優れない。
もともと色白だとはいえ、青白い顔は明らかに不調を訴えている。
「レーナ、体調悪い? 部屋に戻ろうか?」
レーナは生まれつき病弱で、何かと体調を崩し、しばしば寝込むこともある。
その度にリーネが看病し、園では禁止されているが、秘密裏に回復魔法をかけている。
「少し休めば大丈夫。それより、お菓子をいただかないと」
顔を上げ、弱々しく微笑む姉の手を、リーネは強く握った。
胸がきゅうと締め付けられ、居ても立っても居られなくなる。
「でも、明日は儀式でしょう? 少しでも休んでおかないと」
そう、明日は先読みの儀式があり、レーナも参列ことになっている。
できれば、すぐに部屋に戻って横になってもらいたい。
だが、ゆるゆると首を横に振るレーナに、口を噤んだ。
おっとり見えるレーナだが、意外と頑固だ。お菓子をお腹に収めるまで、立ち上がる気などないだろう。
(もし、明日までに元気にならなかったら、私が代わればいい)
今までも何度か代わりに儀式を引き受けたことがある。
神官長はあまり良い顔はしないから、なるべくなら避けたいのだが、そうはいっても背に腹は代えられない。
そうしようと心に決め、リーネは、もそもそとお菓子を食べ始めた姉を横目に、自分も膝の上の焼き菓子を手に取った。
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