第7話 レーナの決意

 庭師の話を聞いた後、リーネはどうにか自室に戻って来た。

 レーナはまだ帰ってきていないようで、部屋はがらんとしている。

 どこか投げやりな動作で椅子に腰を下ろし、古ぼけた書き物机に向かうと、無表情で、滑りの悪い抽斗から、使い込んだ日記帳を取り上げ、白紙の頁を開く。

 毛先のぼろぼろになった羽ペンを握り、インクに浸すと、口を引き結んだまま、文字を書き始めた。


 【あらすじ】

 かつて、破壊を司る魔王が君臨し、世界は闇で覆われていた。魔王に立ち向かうため立ち上がった勇者たち。神に近き種族「リントヴルム」の王たちも彼らに力を貸し、ついに魔王を異次元に追放し、世界は平和になった。それから千年経ち、新たな魔王が生まれようとしていた。魔物たちが活発になり、平和が乱されそうになった時、またも勇者が立ち上がる。それぞれの事情を抱えながらも、魔王に立ち向かっていく勇者たちの物語。


 「リントヴルム」とは。

 火、水、土、風を司る竜神で、千年前の魔王戦の時に勇者へ力を貸した。

 魔王を異次元に追いやるために力を使い果たし、各地に散って、死して尚、大地を守護している。


 【主人公】

 ※主人公は男子四人、女子四人。


 ① エーヴァルト(22歳)青い髪。

 各地を放浪する元傭兵の青年。元は名家、今は没落。消失した一族の宝「蒼きリントヴルムの涙」を捜索中。大剣。


 ② マルク(19歳くらい)金髪。

 バーゼル侯爵の子息。王子枠。やり手の父とはうまくいっていない。腹違いの弟との確執もあり。城に住む魔導士からひそかに術を習っていて、魔法も得意。小剣。



 一心不乱で書き終えたものを、無感動で見下ろし、リーネはぱたんと日記を閉じた。

 こんなことをして何になるのか。

 そう思うのに、何かしていないと気が狂いそうだったのだ。

 だから、思いつくまま、律の記憶で見た「リントヴルム・サーガ」の概要を書きつけた。


「馬鹿よね、こんなことしたって……何の役にも立たないのに」

 

 じわりと涙が浮かび、リーネは口を歪めた。

 そのとき、唐突に鐘の音が聞こえた。お昼にはまだ早いし、それに鐘の鳴り方が違う。あまり聞き慣れない音だ。耳を澄ませ、鐘の音から連想される何かを思い出そうとしているとき、廊下をばたばたと走る音が聞こえた。足音共に、張り上げるような声も聞こえる。今までの陰鬱な気持ちを退け、リーネは弾かれるように扉に飛びつき、さっと開けた。


「神官長がお戻りになりました! 大切なお話があります! 至急、大聖堂にお集まりください!」

 

 年若い神官が大声を張り上げながら、廊下を走っていく姿が見えた。

 礼拝から戻ってきたのか廊下を歩く聖女がちらほら見える。彼女たちは互いに顔を見合わせ、首を捻りながら、踵を返し、再び大聖堂へと戻っていく。

 今までにない異常事態に、リーネの胸は酷くざわついた。


(レーナ‼)

 

 きっと生贄の話に違いない。

 心臓を鷲掴みにされたような痛みを抱えながら、リーネは駆け出した。



 大聖堂での話は思った通りの内容だった。

 三日後におよそ五十年ぶりとなる生贄の儀式が行われること。

 その生贄には、レーナが選ばれたこと。

 生贄に選ばれるというのは、非常に栄誉あることであること。


 神官長の大袈裟な身振り手振りを添えて語られる、朗々とした言葉は、リーネにとって悪夢でしかなかった。既に生贄の儀式や生贄がレーナであるとわかっていたが、やはり正式に宣言されると、堪えるものがあり、目の縁に涙を溜めた。いつも意地悪ばかりするアーダでさえ、沈痛な面持ちで、そこにいる誰もが、レーナに対して憐憫の情を覚えているようだった。神官長でさえ、心の底から誉ある役目だとは思っているようには感じられなかったくらいだ。

 

 だが、それよりなにより、リーネがショックを受けたのは、レーナがもうひと月も前にこの事実を知らされていたということだった。


「レーナは立派な態度で、この尊き使命を受け入れているのです」と神官長が涙ぐみながら言ったとき、リーネの頭は真っ白になった。


(うそ……何で? 何で、レーナは話してくれなかったの?)

 

 まるで裏切らたかのような気持ちだった。

 神官長の脇に佇むレーナを見、リーネは恨みがましい目を向けずにはいられなかった。

 レーナは目を伏せ、静かに神官長の隣に佇んでいる。その顔は白く、無表情だ。

 あれが覚悟を決め、使命を受け入れたという人間の顔だろうか。

 リーネは膝の上で拳を握り締める。皮膚に爪が食い込んでも、握るのを止めることができなかった。




「変わらないと思ったの」


 部屋に戻ってしばらくして、レーナも入って来た。

 リーネは半ば詰め寄るように、レーナに言ったのだ。なぜ、教えてくれなかったのかと。

 すると、レーナは儚げな、諦観にも似た微笑みを浮かべこう言った。


「生贄になって死ぬこと。とっても不幸なことよね。民の為に命を捧げるなんて、神を信じていたってなかなか受け入れらるものではないわ。でもね、今だってとても不幸よ。だから、何も変わらない。そんな気がしたの」


 窓から入り込む風で、レーナの胸の前に束ねた柔らかな金の髪が微かに揺れる。

 金色の睫毛は小刻みに震え、碧玉の瞳は暗い光を湛えていた。

 リーネは姉の言葉の意味がよく呑み込めなかった。


 確かに聖女の園に閉じ込められているのも不幸で、生贄として死ななくてはいけないも不幸だ。だが、今レーナは生きている。月並みだが、死んでしまったら不幸を嘆くことすらできない。不幸は不幸でも、全く別物だ。


(違うよ、レーナ。全然違う)

 

 けれど、喉が詰まり、口に出すことができなかった。


「この話はもうおしまい」


 レーナは胸の前で軽く手を叩くと、微笑み、細めた碧玉の瞳で妹を見つめた。

 青い瞳がわずかに揺らぐ。


「ひとつだけ……リーネと離れ離れになることだけは——心残りだと、思ったわ」


 リーネは口を開きかけたが、胸の内に様々な感情が嵐のように吹き荒れ、返すべき言葉が見当たらず、やはり一言も紡ぎ出すことができなかった。






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