第6話 生贄の聖女

 悪いことは続くものだと、誰が言ったのだろうか。


「生贄はあのかわいい子だって」


 そろそろ祈りの時間も終わりだと、部屋に戻り、レーナを迎えるべく、外回廊を歩いていたリーネの耳に飛び込んできたのは、そんな不穏な言葉だった。

 木陰で、箒を持ったお手伝いの少女たちがこそこそ話すのが聞こえてきたのだ。

 

 生贄というおどろおどろしい言葉に、リーネはぴたりと足を止めた。

 四方を回廊に囲まれた中庭の木々の下で、身を隠すようにして話しているらしく、リーネの位置からは彼女たちの姿が見えない。おそらく彼女たちもリーネの存在には気づいていないだろう。それでも、なるべく彼女たちの死角になる位置に移動し、息を殺し、耳をそばだてる。


「まあ! 金髪の? くりっとした青い目の子?」


 驚いたようにもうひとりが声をあげると、生贄と口にした少女が静かにするよう窘める。

 どうやら通いの少女たちのようだ。リーネも何度か言葉を交わしたことがある。個人的な会話というよりは、事務的なものだったが。基本的に、聖女と女中たちの間には親しくなりえない溝のような物が横たわり、気安く会話などできないのだ。聖女たちは、気位が高い者が多いから。


「しっ! 声を落として。そうよ、双子のお姉さんの方ですって」


 その言葉を聞いた瞬間、思わず悲鳴を上げそうになって、震える手で口元を覆う。

 全身に冷や水を浴びせられたように、さーと血の気が失せ、胸の内で心臓が早鐘を打ち始める。


「生贄の儀式なんて大昔の話でしょう?」


「それがそうでもないらしいの。父さんが子供だった時分に一度あったって聞いたわ」


 足元から崩れ落ちそうな気がした。リーネは眩暈を感じながらも、何とか足を動かし、向かっていた自室に背を向け、ふらりと足を踏み出した。

 擦れ違う神官たちが不審な目を向けるほど、リーネの顔は青ざめていた。


(うそ……だよね? だって、そんなことあるわけないよ? 生贄なんて、そんな馬鹿な話)


 生贄の儀式。それは、国に災いが続いたときに行われるザイツァー教会の神聖な儀式だ。

 この大陸に眠るといわれる竜神、蒼きリントヴルムへ、清らかな聖女の魂を捧げ、災いを退けてほしいという願いを聞き届けてもらうために行われる儀式。もう何十年も行われていなかったものが、また行われるという。しかも、儀式に捧げられる生贄は、レーナだと。園にいる双子は、レーナとリーネ姉妹の一組だけだ。彼女たちの話していた容貌からしても、レーナで間違いないだろう。


(そんな、意味のわからないこと……)


 リーネは首を振って、今聞いた話を否定しようと必死になった。


(あるわけ……)


 だが、ある考えに行つくと、足を止め、リーネは耳を抑えていた手をだらりと下ろす。

(でもっ……)


 嘘ではないのだ。彼女たちの声音や雰囲気からは真実味が感じられたし、この世界の現状を鑑みれば、ありそうな話だった。

 世間と隔絶された白い壁の内側にも、外の様子は漏れ聞こえてくる。

 千年前、伝説の勇者たちが竜神たちの力を借り、異次元へ魔王を追いやり、平和を手に入れた世界。

 

 だが近年、それまで人里離れた山や森の奥で大人しく潜んでいた魔物たちの動きが活発化しているのだ。その魔物たちが村に襲撃を掛けているという話もある。

 千年前のような、暗黒時代の足音が聞こえ始めているようだった。

 律のプレイした「リントヴルム・サーガ」の舞台は、魔王復活の物語だ。

 もし、ゲームの世界そのものだというなら、魔王の復活が近づいているのは絵空事ではない。


 リーネはまた歩き出す。ふらつく体を、感覚のなくなった足をどうにか動かし、回廊を進む。


(選ばれたんだ……レーナが)


 生贄の儀式が行われるとして、真っ先に生贄に選ばれるのは、レーナで間違いないという気がした。もちろんそんなことは認めたくないし、認められるべきではないと思う。


 けれど、耳にしたことのある、過去、生贄に選ばれた聖女の噂を思えば、レーナに置いて他にないという気がしたのだ。

 まるで怪談話でもするように聖女たちが嬉々として口にしているのを聞いただけだが、過去、生贄に選ばれる聖女は、最も力のない聖女から選ばれたという。

 いくら竜神に捧げる生贄とはいえ、先読みの儀式に貢献できる聖女を、教会は手放したくない。だから、最も貢献度の低い聖女が選ばれる。


 現在、最も力のない聖女はレーナだ。

 レーナは力が弱いだけでなく、更には病弱で、続けて儀式に参列することができない。聖女たちの中で、「お荷物聖女」と揶揄されていたことを、リーネは知っている。


 白い壁の向こう側に広がる深い森に、生贄の滝と呼ばれるささやかな滝がある。

 まるで儀式のために作られたように張り出した崖から、聖女は滝に身を投げる。

災いを退けてくださいと、大地に眠る蒼きリントヴルムに祈りながら。


 リーネは吐き気を感じながら、歩き続ける。自分がどこへ進んでいるのかさえわからなくなっていた。周囲を見ようにも、視界は涙で滲み、はっきりしない、どんなに頑張っても、口角は勝手に下に引っ張られる。

 

 気が付くと、庭園に入り込んでいた。部屋に戻ろうとしたのに、足は勝手に外に向かっていたようだ。部屋はレーナの香りで満ちている。無意識に避けたのかもしれない。

 

 むせ返るほどの甘い香りが漂い、綺麗に切り揃えられた赤や白、ピンク色の薔薇が見事に咲き誇っている。強烈な薔薇の香りに我に返ったのだろう。

 とたんに、足の力が抜け、へなへなと座り込んでしまった。

 そのとき、近くで人の気配がして、リーネは身を堅くした。這うようにして薔薇の茂みに身を隠す。今は誰にも会いたくなかった。


「なあ、親父。儀式の話、聞いたか?」


「ああ? 先読みのか?」


 庭園管理を任された、庭師親子の声だった。


 リーネはわずかに気を緩める。

 近隣のギース村から通ってくる、気の良い親子で、リーネも何度か植物について話をしたことがあるのだ。初老の父親と、二十歳前後の息子だ。


「ちがう、ちがう。生贄の儀式だ」


「生贄? ああ、三日後だっけか?」


 リーネは目を見張った。


(三日……⁉ 明々後日⁉)


 三日後という具体的に日取りに、心臓が激しく脈打つ。

 当事者である聖女たちは知らされず、周囲の関係ない者ばかりが情報に早いのはどうしてだろうと、顔を顰めた。あまりに酷い仕打ちだと、怒りがふつふつと湧いてくる。


「生贄の滝に連れて行くのは誰になるんだ? 神官様か? もしかして、村娘たちじゃないよな?」


「なわけあるか。意気地なしの神官たちがあの滝に近寄るわけがねえ。邪気がひどすぎて、聖なる仕事を司る私たちには障りがありますだの、言い訳するに決まってる。だいたいこういうときはな、よそ者に頼むって相場が決まってんだ」


「よそ者?」


「まあ、いうなればプロだな。いるだろ? 流れ者の剣士がよ」


「流れ者……そういや、ついこの間もいたな。〈山羊の角亭〉の隅で、酒飲んでたぜ。亭主が名前言ってたんだけど……なんだったかな? エーリックだっけか」


「エーヴァルトだろ? ふらっとやって来ちゃあ、またふらっと居なくなるんだよな。どう見たってまだ二十歳そこそこだって言うのに、凄腕で有名だそうだ。俺の聞いた話じゃ、神官は奴に依頼したらしい。既に、ここにいるって話だぞ」


「へぇ。そういや、滝周辺の森には、聖女たちの幽霊が出るって噂があるよな……」

 

 震える息子の背を、父親は強く叩いた。


「情けねぇなぁ。仮にも庭師の倅が、幽霊なんて怖がってどうすんだよ」


「庭師の息子と幽霊に何の関係があんだよ」


「そりゃあ、お前、あれだ。庭には幽霊が出るっていうだろうが」


「なんだそれ? 親父の作り話だろ?」


「ああ? 親に向かって生意気な口ききやがって。ほら、手を動かせ、日が暮れちまうぞ」


 またも背を叩かれ、息子は顔を顰めながらもぽつりと溢した。


「へいへい。でも、あの子あんなに美人なのに……可哀そうだな」


「美人じゃなくたって、気の毒だろうが……この花、手向けてやるか」


「ああ……」


 庭師親子の話を黙って聞いていたリーネだったが、ついに涙がこらえきれずに頬を伝って落ちた。リーネは両手で顔を覆い、地に伏せるように頭を垂れる。

 胸が張り裂けそうだった。気が狂って、どうにかなりそうだった。

 

 生贄の儀式が取り行われるのだ。

 どんなに泣き叫んでも、三日後には。


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