0-5 どっちもどっち

「え、隠せてんですか」


 シュミットが発した驚きの声に、アルツトがどこか得意げに口角を上げた。


「舐めてもらっちゃ困る。このオレだって一応天才様だぜ。天才魔法士様だから、人一人隠すぐらいわけない。あのお高くとまった魔法士団長様が狼狽える様が超面白おかしいしな。が、正直そろそろ限界だ。その辺の木端魔法士相手ならいざ知らず、ヴィルヘルム・フォン・ヴェンデルじゃな。さすがに分が悪かったわ」


「……一週間しか経ってないけど」


「あ?」


 ぼそりと、エルゼが呟いたその言葉には、隠しきれない不満が覗いてしまった。


 一週間。エルゼが騎士団を辞めて、まだたった一週間しか経っていない。

 ヴィルヘルムから匿うと、魔法医士であるアルツトがそう言ってくれたからこそ世話になることを決めたのだ。

 そうでなければ主治医と患者以上の関係ではない、赤の他人に住むところを世話してもらうのはあまりにも抵抗がある。


 それをしっかりと聞き咎めたアルツトが声を上げた。


「一週間、だ。あの陰湿根暗バカ相手に一週間だぞ。アンタひとりじゃ逃げ切って精々一時間ってとこだろうが。剣ぶん回すしか能のない筋肉バカが、偉大なる魔法士のこのオレを崇め奉って感謝しくさった上でそろそろ覚悟きめやがれ」


 剣ぶん回すしか能のない筋肉バカ、エルゼはそっと声を荒げるアルツトから視線を外す。

 わかっている。

 ヴィルヘルムはエルゼとの対話を望んでいる。エルゼからしてみれば今更で、既にその気はないとしても。


 優れた魔法士であるヴィルヘルムから逃げ切る。それが難しいこともちゃんとわかってる。

 王都から遠く離れてしまえばそう簡単に見つかりはしないだろうが、王都内でそうそう隠れきれるものでもない。


 それに。


 医療体制がどうとか色々理由を並べようとも、結局のところエルゼがどこかでまだ王都から離れることを望んでいない。

 それも、本当はちゃんとわかってる。


 わかってて、皆の好意と自分に甘えた。


「アルツト先生」


 背中で護るように、シュミットが責めるアルツトと責められるエルゼの間に立った。

 エルゼの保護者面した副官は咎めるような声を上げる。


「あ? 喧嘩売る相手間違うんじゃねえよ。っていうかそもそもオマエはなんなの。少なくともエルゼ嬢の相手はオマエじゃねえだろ。なんのつもりだよ」


「公私ともに下僕だよ。てめえこそ何様のつもりだ」


 椅子を蹴り倒して立ち上がったアルツトが、医師らしからぬガラの悪さでシュミットを押し退けた。

 さすがに剣を抜かないだけの分別があるらしいシュミットが、その態度の悪さに一瞬の逡巡を見せる。非戦闘員相手にこの程度で手を上げることはしないものの、エルゼのためにどこまですべきかを計りかねているのかもしれない。


  何かおかしなことを口走ったような気もするし、別に何もしなくてもいい、と言える雰囲気でもない。


「主治医様だ。すっこんでろ犬畜生が」


 その逡巡の隙に、アルツトはエルゼの前に立った。

 魔法医士の真っ白なローブに両手を突っ込み、眼鏡の奥の剣呑な瞳がエルゼを見下ろす。


「その辺のか弱いお嬢ちゃん扱いを望んでんなら、そうしてやるから言えや」


「いいえ、結構」


 挑発に条件反射で応えれば、アルツトが笑った。


「上等だ。じゃあまずな、エルゼ嬢、アンタは一度でいいからヴィルヘルムと話せ」


「…………」


「黙るな。ついさっきの威勢はどうしたよおい。アイツの言い分聞くだけでいい。そんで気に入らなきゃ、煮るなり焼くなり三枚におろすなりしろ。オレが許す。ほら、メス」


 そう言って、アルツトはローブのポケットからメスを取り出しエルゼの手に握らせた。


 薄い刃先から持ち手までが白銀に輝いている。エルゼにとって扱い慣れた剣に比べ、あまりに軽く小さい。だがその刃は、容易く肉を絶つことができるであろうほどに鋭利である。

 ポケットに素でメスを入れていることについてはどうかと思うが、その是非を問うたところで意味はなさそうだ。そっとしておこう。


「え、なんで今メス渡した?」


 思わずツッコミを入れたらしいシュミットをチラリと見やり、アルツトが口を開く。


「医務室で剣抜かれるとさすがのオレも立場的に困るわけよ。エルゼ嬢ならこれで十分だろ。むしろ剣よりめっちゃ切れるから。いけるって」


「医務室で死人が出るのはいいのかよ。線引きおかしいだろ」


 シュミットに全面同意だが、戸惑いながらもエルゼはその刃の腹に指を滑らせた。

 そもそも今のエルゼは帯剣していない。剣を抜くも何もないのだが、アルツトの言う通り、エルゼならこのメス一本でなんだって斬って見せようと思う。


 ……だが、何を?


「オレの方ではさ、一週間ぐらいだっけ? エルゼ嬢の方があのバカを避けてた、って聞いてんだわ」


 アルツトの観察するような視線がエルゼに注がれている。

 言われた内容に、エルゼは思わず目を反らした。


「え?」


 シュミットが、エルゼを見た。


「マイヤー団長?」


「い、いやだって、ど、どんな顔したらいいのかわからなくて、その、覚悟決めるまでに時間がかかったっていうか……」


「……あー……なるほど? 照れ隠し的なやつでね。で、その間にヴェンデル団長の方は団長の方で、マイヤー団長のその照れ隠しの態度からなんかそういう結論出しちゃった、みたいな?」


「みたいな……感じ、かな……?」


 別に隠していたわけではない。が、シュミットは全面的にヴィルヘルムが悪いと思っていたのだろう。そして、そう思わせたのはエルゼだ。

 エルゼが自分にとって都合のいいように事実を捻じ曲げていた。ヴィルヘルムだけが悪いと、そんな風に思わせた。


 意図したものではないにせよ、そんなことは言い訳にもならない。


「あんたら二人そろって何やってんの」


 シュミットが呆れたように、溜息交じりの言葉を零す。


 確かに。何をやっているのだろう。

 そもそもエルゼが翌朝から素直に対話に応じていれば、その後のヴィルヘルムの対応だって違うものになっていたことだろう。


 急激に、自分が悪い気がしてきた。

 いや、これはもうエルゼが全面的に悪い。悪いのはエルゼだ。

 今から土下座でもして誠心誠意謝れば許して貰えるだろうか。


「まああいつ対人スキル壊滅してっからね。凹み倒して変な方に妄想爆発させたんだろーな。そんなわけだからさ、その辺りの話はどっちもどっちだろ」


 どっちもどっち。

 アルツトの言葉にエルゼは首を左右に振った。いや、そんなことはないと思う。悪いのはエルゼだ。

 恥じらいなどという意味不明な感情に振り回されたエルゼに非がある。


「いやいや、とはいえね、乙女で処女相手なんだからさ、ちょっとぐらい余裕もって相手してやろうよ」


 この期に及んでまだエルゼを庇おうとするシュミットの援護が余計過ぎる。縋りたくなってしまう。


「無理だろ、童貞君にそんな余裕あるわけねーよ」


 アルツトの言葉に、一瞬室内の時が止まった。


「え」


「え?」


「ん?」


 シュミットが、口元を抑えて呻く。


「え? まじで? ヴェンデル団長……」


 その目が、エルゼを責める。


「ちょっ……団長、それはないでしょ。……あまりにも心無い仕打ち。不憫過ぎて俺泣きそう」


 だって、という言葉を呑み込む。


 わかってる。わかってるのだ。

 でも、エルゼも泣きそうだ。


 やっぱり、エルゼがヴィルヘルムに一方的に酷いことをした。

 それなのに、責めるような言動をしたのだ。なんて、非道な振る舞いだろう。

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