元最強騎士様と天才根暗魔法士様のピースフル徒然日録

ヨシコ

Episode.0

0-1 エルゼ・マイヤーの退団

 会議室内の空気が、音を立てて凍り付いたような気がした。

 比喩ではなく、この場にいる魔法士の仕業、という可能性もあるだろう。エルゼとしてはどちらでも構わない。


 ヴァイス公国第三騎士団団長、優れた剣士でもあるエルゼ・マイヤー、彼女の唐突なその宣言に、公王陛下も大臣も、居合わせた他の騎士団、魔法士団の面々も誰一人として何を言うこともできないでいる。


 公王陛下を始めとした国の要人、今この場にいるの公王陛下や大臣などの数人を除いてほぼ軍人。男性が七割を占めるこの会議室において、確かに少しばかり扱いにくい話題ではあるだろう。そう思えばこそ、初めにはっきりと明言したわけだが。


 それに、これは既にエルゼの中では決定事項。相談でも提案でもなく議論の余地はない。意見は求めていないし、聞く気もない。

 だからこそ、週に一度行われる定例会議終わり、その最後の最後にぶち込んだ。


 え? なんて? 今なんて言った? 聞き間違いか? などと、平和ボケかました表情で各々が隣の誰かと無言で顔を見合わせている。想定内だ。


 戦場においては一騎当千と謳われ肝が必要以上に座った騎士団長たちも誰一人、例外ではないらしい。まあ意外とそんなものだろう。

 ここにいるのは誰もが皆、この国をいずれかの方向から支える要人。大抵は一芸に秀でた凡人ではない何者かだ。

 つまり一般的な感覚が乏しく、常識に著しく欠けており、しかしそれを理解するだけの理性は有している者、が多い。


 その理性が発するべき言葉を詰まらせる。

 これは、不用意な発言は控えねばならない事柄である、と。


 ただ一人、第一魔法士団団長、ヴィルヘルム・フォン・ヴェンデルだけは、おそらく少しだけ状況が異なるのだろう。

 深く被ったフードの下で表情は見えないが、時が止まったかのように微動だにせず、フードから覗くストロベリーブロンドすらもが凍り付いていた。

 いつもは終始俯いているその顔を上げ、珍しく、口元が呆けたように開いている。


「繰り返します」


 エルゼはもう一度、一言一句違えずに同じ言葉を繰り返した。視線は真っすぐ正面。誰とも合わせないまま。


「妊娠の可能性があり、現在の職務継続は困難です。隣国との五十年戦争が終結、和平が成った今、騎士として十分務めは果たしたとも考えております。よって、今日この時をもって騎士団を退団。これを機に郷里に戻り静養いたします。後任は現第三騎士団副団長のティハルト・フォン・シュミットを指名。引継ぎについては全て終えておりますので、今この瞬間から私が騎士団を抜けてもなんら問題はございません。今日までお世話になりました」


 沈黙。

 やはり、誰からも返答はない。


 立ち上がったエルゼの、軍靴の踵が床を打つ。コツコツと鳴るその音を妨げる者は無く、視界の端に映るフードを被った頭、チラリと覗くストロベリーブロンドはなおも固まったままだ。


 長机の一番奥に座す公王陛下の前に辿り着いたエルゼは、腰の剣を鞘ごと外し両手で捧げ持つようにして跪いた。


「私、第三騎士団団長エルゼ・マイヤーは今この時をもって、ヴァイス公国公王陛下より賜りし剣を、お返しいたします」


 ヴァイス公国の頂に立つ、公王陛下エミル・フォン・ケーニヒ、まだ子どもとも言える年齢の年若い君主は、焦ったような声を上げた。


「……ちょ、ちょっと、待って……エルゼ、ちょっと、え……?」


「待ちません。それでは、失礼いたします」


 公王の手に半ば強引に、長年共に在った剣を押し付けた。

 騎士が佩くその剣は、全てが騎士に叙勲されたその時に下賜されたもの。その剣をもって、命とそれ以外の全てをかけて公王陛下のために在り続けるという誓いとともにあるべきもの。

 加えて、単純にその身分を証明するものでもある。騎士ではない者、騎士ではなくなった者が持つものではない。


 常に共に、苦楽を分かち何度も助けられた剣だが、これでお別れだ。未練が皆無とは言えないが、エルゼはこれまででもう、十分戦ってきた。


 呆然とする公王陛下を背に扉へ向かう。

 剣を持たないエルゼはもう、騎士ではない。この場には相応しくない。


「ま、待ってくれ!」


 エルゼが扉の前に立ったその時、ようやく長い硬直が解けたらしい第一魔法士団団長、ヴィルヘルム・フォン・ヴェンデルが椅子を蹴り倒し立ち上がった。


 常は嫌味か高圧的な言葉、あるいはボソボソと呟くような言葉しか発さないその口が、らしくもなく焦ったように声を上げた。その様子に周囲が騒めく。


「……何か?」


 エルゼは足を止め振り返った。

 ヴィルヘルムの、いつもは陰気に曲がっている猫背が珍しく伸び上がっている。


「に、妊娠って……誰が……?」


「……今の話で、この私以外の誰だと?」


 会議室の空気が再び凍てついた。


 あいつ本当にちゃんと女だったのか、という失礼極まりない呟きが聞こえた気がする。


 寒風吹き荒ぶその中で、ヴィルヘルムが顔を伏せた。その肩が小刻みに震えている。

 それは、どういう感情かだろうか、なんて一瞬過った感情を仕舞い込む。ローブの襟首を掴んで揺さぶりたい気持ちがなくもないが、もう、そんなつもりはない。そう決めた。


 それにしても、この男が動揺を露わにするところを初めて見た気がする。

 吃るぐらい動揺なんて随分とらしくない。

 まさかそこまで驚くとは、むしろそのことに驚く。


 妊娠は、やることをやったその結果でしかないだろう。ましてや男である彼にとっては、あの場限りの出来事。エルゼとは違い、自らの身に今現在起きていることでもない。


 天才の名を欲しいままにしてきた魔法士団長様の思考が、高速で空転しているように思える。


 長い、長い沈黙のその果てに、ヴィルヘルムは再び意を決したようにその顔を、勢いよく上げた。

 その勢いに、被っていたフードが背中に落ちる。


 ぼさぼさのストロベリーブロンドの髪と、クマの濃い、陰気な顔が現れた。

 陰気で、根暗で、でもよく見れば、秀麗に整ったエルゼにとっては特別な、特別だったその顔が。


「……っ、マ、マイヤー団長、その、腹の子の……ち、父親は……」


 縋るような、そんな目で見ないで欲しい。

 たった一晩の過ちだと、その後今のこの瞬間までエルゼを避けて、触れず障らず、無かったことにしたのは、そんな態度しか見せてくれなかったのはそちらだろうに。


「……ヴェンデル団長、それは、今この場に関係があるお話でしょうか? というか、ハラスメントでは?」


 精一杯平静を装って出た声は、自分でも驚くぐらい凍てついていた。

 まるでヴィルヘルムの、全てを凍らせる魔法のように。


 常に冷静沈着、めったに感情を露にしない、そんなヴィルヘルム・フォン・ヴェンデルの瞳が揺れ動く。


「エルゼ……エル……ちょっと、待ってくれ、それはぼくの……いや、とにかくはなし」


「これ以上話すことはありません。失礼いたします」


 全てに背を向け置き去りにして、エルゼは後ろ手に会議室の扉を閉めた。


 誰がどんな表情でエルゼを見送ったのかは、知ることのないままで。

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