誘惑


 グルームは、頬に飛来した、彼を慕わしく思った一羽の蝶みたいな火の粉を、無感動に手ではらいのけました。

「わからないな」

 と、戦闘技術に特化した地球外知的生命体っぽいゴルディアーヌが、つぶやきました。

 グルームは、

「そうか」としばらく目を閉じて、無言でいました。

 そして考え直したように、

「言葉以上の魔法はそう多くはない……。試しに言ってみたらどうだ」

 とすこし上を向きました。

「箱舟における特権的ポジションを捨て、こんな危険を敢えてする理由がどこにある」

 ゴルディアーヌは言いました。

「そんな事か。カンタンだ。刺激だよ……ひりひりしたいんだ」

「いや、わからない。命を軽視するような行為を、なぜ繰り返す」

「お前にとって命とは何だ? おれの感覚ではそれは心臓のコドウだよ。心臓を、刺激するものは一体何だ。その最も分かりやすいものがスリルだ。心臓を刺激する事によって生の実感が得られる。無風こそ絶望なんだ」

 グルームは手遊びという風なあまり意味のない拳銃の点検をしながら言いました。

「死とは一体何だとおもう。おれにとってそれは物質的あるいは非物質的な相対の断絶もしくは消滅に外ならない。

 しかしそれは多ければ多いほど善いというような単純なものでもない。しかもめいめい意識の触れやすい相対がある。それは自己の意志による選択の余地さえある。異相者と、異相者を殺し、それを楽しむ自分という相対をおれは選んだ」

「…………」

「まったく、お前のせいでとんだ無駄口をたたかされたな」

 グルームは苦笑いを浮べました。

「そろそろか……」

 さっきから灼かれている異相者たちの屍体を中心に、心臓がつめたくなってしまったのがあまりにかなしくて落ちる、涙のような、そんなうめき声がそこらから耳に入り込んできます……。


「ゴルディアーヌ! 掩護をしろ!」

 彼は作戦を実行しませんでした。

「ゴルディアーヌ!」

 彼は静かにそこに立淀んでいます。

「掩護をしろ!」

 グルームは異相者に爆破物を投げつけます。木っ端に砕け散った異相者の屍体が、あたりに散乱しました。

「ゴルディアーヌ! 掩護を……」

 彼は何も答えませんでした。

「ああ、クソ」

 四境に異相者の屍体が転がっている中で、グルームはふと口をひらきました。

「こいつはおどろいた。真夏と真冬とを、一度に乗り越えた気分だ……」

 ゴルディアーヌは依然として沈黙している。

「教えてくれ、ゴルディアーヌ……。なぜ掩護をしなかった」

 グルームは視線をやや下向けました。

 まるで人間のようにためらい――、やがて彼は言いました。

「あなたが死ねば、私は自由だ……」


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