黒い瞳

 それからしばらくして。

 そこからは僕としても色々考えることがあったのでついつい黙ってしまっていたのだが、僕がそうして後ろをついて歩いている間にも二人は時折雑談を繰り返していた……とはいっても実際のところは静先輩が一方的に話しかけ、煩わしそうに扱われているだけなのだが。

 ただ、そんな会話でも静先輩は楽しそうに笑っていた。

 ……あの笑顔も嘘なのだろうか。

 そんな静先輩の様子が余計に悩みを加速させたのだが、そうこうしているうちに、友哉先輩がこう口を開いた。


「お疲れ様。着いたぞ。」


 そういって先輩の示した手の50m程先には真っ白な四角い建物。

 赤黒い辺りの壁に比べて、真っ白なその建物はよく目立っていた。

 そして、その足元にはその建物同様、真っ白な服に身を包んだ幾人かの人間の姿。

 そのうちの一人は直にこちらに気づいた様子を見せると、


「戸鹿原くーーん!!!」


 ものすごい勢いでこちらに駆けてきたのだった。

 その聞き覚えのある声を上げる影はそう時間を掛けずに僕の元までついたかと思うと、

 

「戸鹿原くん!無事だった!?怪我は無い!?」


 そうして服をまくって、肌を触って。

 紗江島先輩は、心底心配といった様子で僕の様子を見てくれたのだった。


 「わわっ、ちょ!紗江島先輩!な、なんともないですから離れてください!」


  だが、いくら心配してくれているとは言え流石に服を捲られてまで肌を探られると言うのは健全な男子高校生としてはいささか刺激が強すぎる。

 そんなわけでなんとか先輩を遠ざけようと、熱くなった顔を歪めながら四苦八苦していたのだが、突然先輩は満足した様にあっさりと離れたのだった。


「うん、そこまで動けるのなら大丈夫そうだね。」


 そう言いつつも未だケガがないかなどを気遣う様に目を走らせる紗江島先輩。

 やっぱり、高校の距離間というのはこうもぐいぐい来るものなのだろうか。それとも先輩だけ?

 その自分の身の回りには居なかった距離の詰め方に若干の恐怖を覚えつつも、僕は口を開いた。

 

「えっと、ご心配おかけしました!」


 それに先輩は驚いたように目を見開くと、その後、ふっと口元を緩め、


「ちゃんと謝れるなんてかしこいんだねぇ。戸鹿原君は」


 そういって愛おし気な視線とともに僕の頭をわしゃわしゃと撫でるのだった。

 なんというか…そうか。これが……バブ味!!

 そう半分ふざけつつも先輩から感じる母性に口元を緩めていると、友哉先輩はこう口を開く。


「おい幸。珍しい後輩を可愛がりたくなるのは分かるが優先順位を忘れるなよ」


 すると先輩は残念そうに……


「もう、分かってるよ。戸鹿原くんの安全が第一だもんね」


 そう言うのだった……って、安全?

 外が危ないと言う話なのだろうか。

 ……いや、安全を考えるのなら最初からこんなところには連れてこないか。

 そう先輩方の言葉の真意を捉えられずに頭を傾げていると、

「ほら、戸鹿原くん。そんなわけだから取り敢えず理事長のとこまで行こうか」


 そう言うと、僕の手を引いて先輩は元来た道を引き返して行くのだった。


 

「ごめんなさいね。びっくりしたでしょう」


 そうして白い建物の足元まで辿り着いた後のこと。

 そこで最初に聞いたのはそんな理事長の謝罪だった。

 いや、確かに驚きはしたが、


「いえ、おかげで多少はここのことも分かった気がします」


 これがないと、何の前知識もないままにここを歩くことになっていただろう。

 その点、先ほどのちょっとした散歩はここのルールを知るにはちょうどいいチュートリアルになったと思う。特に静先輩のあの言葉。


 『ここはアビス。じしんのあらゆるゆがみがちからになってくれるくうかんだ』


 加えて、その後の不思議な生き物とその末路を見れたのは特に良かった。この知識に関してはいくら言葉で説明されようが、見てみないことには僕も信じられなかっただろう。……いや、確かに静先輩が何をしたのかについては一瞬過ぎて何もわからなかったのだが。

 

「そう、そう言ってくれるとありがたいわ」


 そう本気で考えていたことが伝わったのか、理事長は心底ほっとしたように微笑んでそういう。

 しかし、その次の瞬間には再び申し訳なさそうな顔になったかと思うと、


「それで……次から次にごめんなさいね。少し顔を見せてもらっても構わないかしら」


 そういうのだった。

 顔を見せるぐらいなら別になんともないが、いったい何だというのだろう。

 そう内心首を傾げつつ首肯すると、ありがとうという声の後に、


「ちょっと失礼」


 そんな言葉とともに、僕の顔に理事長の両手が添えられたのだった。

 そうして両手で固定した顔を覗き込むように顔を近づけてくる理事長。


「え?な、なんですか!?」


 見るだけとは言っていたものの、顔を固定された状態で顔を近づけるなど、思春期真っただ中の高校生にはとある行為しか頭によぎらないわけで、咄嗟に逃げようと理事長の手を掴むと、


「ごめんね、少しじっとしていて」


 突然響くそんな声。

 

「っ……」


 その声を聞いた瞬間、僕の体からありとあらゆる力が抜けていった。

 先ほどまで理事長の手を剥がそうとしていた手はだらりと落ち、羞恥と困惑が占めていた脳は、あっという間に陶酔感に洗い流される。

 そんな中でも、かろうじて作用していた眼球は確かに見た。


 陶酔感でぐるぐると回る視界の中でじっと僕を見つめる理事長の黒い瞳を。

 まるでタールをため込んだ様なそのどろりとした瞳は、まるで僕をも引きずり込もうとしているかのように沸き立っていた。


 ぐつぐつ

 ぐつぐつ


 揺れる、揺れる。


 ぐつぐつ

 ぐつぐつ


 溶かす、溶かす。


 そう歌うようにあふれ出した泡立つタールは、直に理事長の瞳からもあふれ出し、僕の瞳への黒い橋を掛けようとする。

 

 そうして、伸びて、伸びて、伸びた所で……



「うん、問題なしね。よく頑張りました」



 ハッ、と


 その言葉で我に返った。

 そこには柔らかく目を細めて僕の頭をなでる理事長の姿。


 な、なんかすごい怖い物を見た気がしたんだけど……何今の?勘違い?


「さて、じゃあ行きましょうか」


 そんな僕をよそに、トットッと音を立てて歩いていく理事長。

 理事長が何も言ってこないってことは……やっぱり勘違いなのかな?

 そう考えていた時だった。


  ぐるりと。

 まるで得物を見定めたフクロウの様に突然理事長は振り返ったのだった。

 そうして再び、僕の目をじっと見つめると、


「shh~」


 そうウィンクと唇の前で指を立てるなどしながら理事長はそんな茶目っ気を見せたのだった。

 いやまぁ、確かに目を奪われるほど美しかったのは認めるが、そんなものを見せられたところで、


 ……こわっ!


 僕のこの評価は最初から何も変化はしなかったのだが。

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