《渇愛》〜愛情に飢えた少年の狂気の果て〜

月美夜空

最愛

第1話 起源 慟哭

 16年前、桐谷和美きりやかずみは一人の男の子を産んだ。


 和美は、自分の子に対する愛情等微塵も持ち合わせていなかった。全ては自身の復讐の為‥やりきれない憎しみをぶつけたいが為に産む選択をしたのだ。


高校3年生の時、和美には愛し合っていた恋人がいた。しかしその男によって和美は、生涯消える事のない深い心の傷を負う事になる。


 恋人と会う約束をし、向かった場所に現れたのは全く知らない下品な笑みを浮かべる複数の男達だった。逃げようとする和美を押さえつけられた和美は‥‥。悲痛にくれる中、和美は全て恋人だと思っていた男に仕組まれた悲劇だと悟る。


 愛し合っていると思っていたのは和美だけだった。その悲しい現実に直面し、当然男への深い愛情は激しい憎悪に変わった。


 かつての恋人と和美を犯した男達は逃げるように行方をくらました。警察の捜査も虚しく、犯人達の所在は一向につかめない。


 ‥そして不幸な事に、和美のお腹の中に新しい命が宿ってしまう。


 当然、最初に堕すという選択肢を考えた。お腹の子には何の罪もない事は頭では理解している。しかし和美には我が子を愛せる自信がない。自分に消えない傷を与えた犯罪者の子供など、愛せと言う方が難しい。


 元々心優しかった和美は、生まれてくる我が子の為にも産みたくないと両親に訴えた。


 しかし和美のその決断を、彼女の両親は許さなかった。最低な両親は我が娘の気持ちよりも、良家であるが故の世間体を気にしたのである。


 苦悩の中、和美は両親の説得に応じてしまった。まだ幼く心も未熟だった和美は、自分の意志で重要な判断を下せなかったのだ。


 これにより、既に壊れかけていた和美の心は人が変わったかのように荒んでいってしまう。


 和美は自分の意思に反して、結局男の子を産んだ。


 産まれてくるまでは心のどこかで期待していた。実際に我が子を抱いてみたら愛しいと思えるのではないか、と。少しでも自分に母性たる感情が残っている事を期待し、愛そうとした。


 だが結局和美には出来なかった。我が子を前にしても、どうしても憎しみしか湧いてこない。


 その上、我が子を見る度にヘラヘラと笑いながら自分を犯した下衆な男達の顔が脳裏に蘇る。


 不運にも‥いや和美にとっては幸運にもと言った方がいいだろうか、子供が産まれた翌日に和美の両親は事故で死んだ。


 両親が他界した事により、和美の周りにはもう口うるさく自分の選択を邪魔する者は一人としていない。


 酷く不気味な笑みを浮かべながら、和美は何も知らない赤ん坊の頬を撫でる。


(ふふふふふ‥‥あなたは禍稚傀かちく。そう禍稚傀よ。)


 和美は男の子に『禍稚傀』と名付けた。


 まともな親が自分の子供につけるような名前ではない。文字通り『家畜』として我が子を飼うように、その名を付けた。


 とうに正気ではなかった和美は生来の優しさをとうに失っていた。復讐に取り憑かれ、あろう事か行方をくらませたクズ共に変わって我が子に憎しみをぶつけようと考えたのだ。


「あは‥あはははははははは‥‥っ!!!」



 ◇◇



 俺は生きることを望まれちゃいなかった。


 公園で意識が混濁とする中、思い出したくもない記憶の数々が脳裏をよぎる。


 物心ついた時から、自分が親の所有物である事を徹底的に叩き込まれた。当然遊ぶ事は禁止され、家で許される事は勉強と家事くらいなものだ。


生きる為に最低限の栄養を与えられ、何かを買ってもらった事も、どこかに遊びに連れて行ってもらえたこともない。

 

 何もさせて貰えない‥俺に選択肢等ないのだ。


 ‥いや、勉強を一応させて貰えてはいる。しかし全ては俺を稼げる仕事に就かせ、家に還元させる為でしかない事は分かっている。


 毎日、俺を洗脳するかのように『子供は親に感謝するのが当たり前』『無価値』『お前は将来どう私に還元するかだけ考えて生きていればいい』と言われ続けてきた。


 逆らう事は許されない。母親とその彼氏が、身体の側からは見てもわからない箇所を傷つける。彼氏はヒモ同然の存在で、酒に溺れて家に寄生しているどうしようもないクズだ。


 命の危険を感じた事は何度もある。それでもいくら俺が苦しそうにしても『家畜なのだから躾は同然だ』と、母は笑いながらただ眺めるのみだった。


 普通なら誰でも逃げ出してしまう環境だ。もしかしたら殺意を抱いて殺してしまうような人もいるだろう。


 そんな目に遭っておいて何故俺は逃げ出さなかったのか。俺が糞程お人よしな阿呆だった事を除くと、その理由は二つある。


 一つはこんな酷い目に遭ってもいつかは母親は自分を愛してくれるのではないか、という淡い期待。


 まだ幼い頃に俺がこんな扱いを受ける原因を、母親が書いた日記を読んだ事で知ってしまったのだ。


 母親もただの被害者なんだ‥望まず出来てしまった子なら俺が恨まれてもしょうがない。これは俺が生まれた時から背負わされた業なんだ‥その頃から既に洗脳を受け、愚かで生真面目だった俺は本気でそう考えていた。


 その上さらに愚かな事に、いつかはこんな母親に愛してもらいたい、たった1人の母親なんだから、と期待すらしていた。そんな今思えば馬鹿みたいにな事を、本気で信じていたんだ。


 2つ目の理由はそんな自分を誰よりも優しいと言ってくれる、幼い頃からずっと側にいてくれている幼馴染-天音優愛あまねゆあの存在だ。


 俺がぶっ壊れずに正気でいられたのは、優愛の存在が1番大きい。優愛がいなければとっくに自ら命を絶っていただろう。


 一つ学年が上の彼女は、小中学校でも、今通っている高校でも執拗に毎日いじめを受け続けている俺をずっと守ってくれた。


 禍稚傀というふざけた名前と、まともな生活をしていないせいで不衛生な俺はどこにいても居場所等なかった。暴言暴力の受け皿になり、教師も関わらないでおくどころか中には連中と一緒になるクズばかりだった。


 そんな時、いつも駆け付けて俺の側にいてくれたのが優愛だった。


 そしてそんな彼女に、俺が密かな恋心を抱くのに時間はかからなかった。


 どうしても涙が溢れて、自暴自棄になってしまいそうな時は優愛が決まって俺の側にいてくれる。


 優愛は紛れもなく俺のたった一本の光だった。


「大丈夫だよ。私はずっと側にいるから。かっちゃんの優しさが報われる時がいつか必ずくるから‥」


 俺が涙する時は決まって優愛が側にいてくれた。絶対に壊さないようにと俺を強く抱きしめながら。こんな俺なんかの為に‥それがどれほど心強かったか‥‥


 愛しくてたまらない。彼女の為なら何でもしてあげれるし命でも喜んで差し出す事ができる。


 愛していたんだ。どうしようもないほどに‥。勿論今もこの想いは変わらない。簡単に変える事などできない。


「だけど‥‥何故よりによってアイツなんだ??」


 混濁した意識が正常に戻っていき、思わず一人呟いてしまう。


 忘れたい‥一刻も早く記憶から消し去りたい‥なのに今日の放課後の出来事が鮮明に思い起こされていく。


 別に優愛が、他の誰かを好きになってしまう事は仕方ないと思う。胸が張り裂けそうな想いだが、それでもこの想いを自分の胸に押し留める事くらいはできたのだ。


 アイツじゃなければ‥!!


 橘誠也たちばなせいや、現在の虐めグループのリーダーで毎日、毎日、毎日、毎日‥俺をサンドバッグにしてきた、小学校中学校の日々が可愛いく思えてしまう程の正真正銘の屑野郎。


 そんなクソ野郎と放課後優愛は‥‥。


 思い出したくもないのに、より鮮明に放課後の映像がフラッシュバックする。


 それは単なる偶然だった。忘れ物をし、学校の成績に響くという理由で特別に母親から外出許可を得た。普通はもう皆帰って誰もいないはずの教室で、一番見たくない光景をこの目にしてしまう。


「せ、誠也くんの逞しいのが‥欲しいです」

「何だって、もっとちゃんと言えよ?」

「せ、誠也くんの逞しくて大きなモノを私にください!!」


  教室を開けて見えてたのは、半裸で顔を赤く染めている優愛と橘誠也が口づけをしている姿だった。


 ここまでだ‥俺が記憶に残っているのは。見たモノのショックがあまりにも大きすぎて、それからの事はほとんど覚えていない。


 一番大好きな人と、一番憎い相手のそんな姿なんて直視出来る筈等なくあまりのショックに脇目も降らず学校を飛び出した。そして大雨の中、学校近くの公園まで走ってきたのだ。


 もうどれくらい、ここのベンチに座っているのかすらわからない‥。身体は雨でびしょ濡れ。何度も‥何度も放課後の優愛の事がフラッシュバックし頭痛や目眩、吐き気がその度に酷くなっていく。


 どうして俺ばかりこんな目に??俺が一体何をした??


 どうしようもないやるせなさと悲しみ‥とめどない憎しみが脳を支配していく。そして自分の中の嫌なドロドロとした物がとうとう抑え切れなくなるのを感じる。


 もうとっくの昔に臨界点など突破していたのだ。だが紙一重で支えていた理性も今日、とうとう失ったようだ。


「もう我慢は‥終わりにしようか‥‥」


 もはや復讐の事以外考えられない。


 俺を虐げてきたモノ全てに同等以上の痛みを教えてヤル‥必ず‥必ずだ‥‥


 思い知らせてやろう。


 臨界点をとうに超えた人間がどうなるのかを。


 お前らクズ共は、人の『痛み』を知るべきだ。

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