【第二章 異郷】 第7話 蒼玉の句珠
東方の町は、
かの地には、以前より見事な
陛下がどこからかその話を聞いて、
その玉は、魂の形のように、一方が丸く、一方が細い。大極図の白と黒を分けた形に似ている。東方の町ではそれが、生まれる前の子どもの形であるとも言うらしい。
その玉は親指の先ほどの大きさで、太くなっている部分の中心に、穴があるという。
我が国では、
だが、形だけが珍しいのではない。
色が青いのだという。
「青い石にはいろいろあるが、どうも、水晶のように向こうが透ける石なのだそうだ」
東に向かう道すがら、淵季が私に教えてくれた。
確かに、向こうが透けるような石で鮮やかな青色というのは、見たことがなかった。
「珍しいな」
「思い当たる石がないではないさ、
淵季は車の天井を見上げた。
車を引いているのは
「
表情が険しくなる。
私も自然と顔をしかめた。
海の向こうには、あの
蒼玉を産出する島が、蓬莱とどのような関係かは、はっきりしない。
だが、前に蓬莱の仙女の
「もう一つ、気になることがあってな。穴がある、ということだ」
車輪が
「しかし、淵季。装身具であるならば、穴は必要なのでは」
「確かに意地になって穴をあけないと、首にかけるのも、帯に下げるのも難しいだろうな。とはいっても、蒼玉となると」
淵季は顎をさすりながらうなる。
「やけに穴にこだわるな」
「少なくとも、現在の我が国で、蒼玉に穴をあける技術はないのだ。しかも、例の蒼玉は、千年近く前に伝わったものだという。正直、誰がどうやって穴をあけたのかわからないのだよ」
確かにそれでは、一度、淵季を派遣して実物を見てみるほかないだろう。
「しかし、そんな珍しいもの、見せてもらえるものなのか」
「その辺りは、程適が役に立ってくれるだろう。とりあえずは、見るだけだからな」
もちろん、いくら宝物好きの陛下とはいえ、何から何まで皇帝に献上せよと命じるわけではない。過去には、ある村の象徴となる宝物をそのままにして、出張を終えたこともある。
「何も起こらないといいな」
私は思わずつぶやいた。
「ああ」
淵季も、苦い顔で答えた。
宝物というのは、きれいなだけでは済まないことが多い。その土地で長らく守られてきたものは、人の思いや、その地の歴史が染みこむ。無理に都に運ぼうとすれば、ろくなことにはならない。
物体でありながら、その村を形作る法の一部になっていることすらある。
「程適が、一度見たことがあるそうだな」
突然、淵季がそう言った。
「そうらしいな。なんでも、子どもの成長を祝う儀式で、子ども達の
「穴があいているのは見たのか」
私は黙ってうなずく。とはいえ、蒼玉には
「やれやれ、また、妖怪だとか、道士だとかが
淵季は心底迷惑そうに息を吐いた。
到着した町は、海に面したところだった。風には耐えず潮の匂いがする。水は運河で慣れているとはいえ、生臭さを感じる海はあまり得意ではない。
すでに調査団派遣の知らせが届いていたらしく、この地方をまとめる役所の長と、町の長が出迎えてくれた。海にほど近い堂に宴会場が設けられ、一行をもてなしてくれる。
料理は魚や貝、海草などが多い。給仕をする者たちも着飾っていて、胸元には赤い飾りを下げていた。
淵季によると、
とはいえ、長く車に揺られてきた身には、深紅の珊瑚も、海の魚も、刺激が強すぎた。私は疲れを覚え、宴会場を離れて浜辺に出た。
昼であれば、海と空が織りなす風景を楽しめたのかもしれないが、あいにく、今は夜だ。月明かりの中、わずかに波頭が光るのが見えるだけだ。一方で、波の音は河とは比べものにならないほど大きく、絶え間ない。
少し歩を進めると、足元の砂が薄くさらわれる感覚があった。波打ち際に来たのであろう。私はしばらくその感覚を楽しみながら、月を見る。
やはり、水のにおいよりも、潮の香りが濃い。気にし始めると、空気全体に香りが満ちているようにも感じられる。
私はうっすらと目眩を覚えた。
「ああ、こちらでしたか」
不意に背後から女性の声がした。振り返ると、人影が見える。見たことがある人のようだ、と思った瞬間、月明かりが消えた。雲がかかったのであろう。
私は潮の香りの中に取り残された。
「こちらをご覧になりたかったのでしょう」
今度は、声が私のすぐ隣からした。同時に、海のものとは違う透明な香りがする。
覚えがある香りだ。しかし、どこでだろう。
「どうぞ」
私の顔の前で軽い風が起こる。月にかかっていた雲が薄くなったのか、辺りはぼうと明るくなった。目の前には女の手のひらが差し出され、真ん中に青い宝石が乗っていた。大極図を半分にしたような形だ。東方では、生まれる前の子どもの形だともいう。
宝石には薄雲がかかった月がくっきり映っていた。いちばんふくらんだ部分には穴があけられている。穴の中に月明かりは届かず、ただ、黒い。
宝石が青いからだろう。月の姿は、まるで青空に浮かぶようでもあった。いや、晴れた空というよりは、もっと青色が濃い。
私は奇妙な世界に迷い込んでしまうように感じて顔を上げた。
月にかかっていた雲が切れ、辺りに月光が満ちた。
目の前の人の顔がはっきり見えた途端、私は呼吸が止まりそうになった。
「おひさしゅうございます」
私はとっさに浜辺を走り出した。すぐに足元を水にすくわれ、
仙女は背後にいた。足音もなく、近づいてくる。
――私は泳げただろうか。
自問自答しながら、私は海に入った。水を含んだ
急に頭が重くなり、顔が水につく。慌てて顎をあげると、仙女が蒼玉を私の額に当てた。石の冷たさが、海水に濡れた体に響いた。
「選ばれし魂は地上で有限のときを。別に選ばれし魂は、わたしと共に悠久のときを」
海面より少し上で浮いているらしく、仙女の足も、薄い衣も水に濡れていない。私の上にかがみ込み、蒼玉でぐいぐいと海面に押し込んでくる。
このままでは、溺れるしかない。
「陸洋! 屈め!」
淵季の声が聞こえた。
目を向けると、程適が海に飛び込むのが見えた。
私はわけもわからず、体を屈めた。頭の上まで海水につかり、息が切れそうになる。
水の泡の音が耳元をかする。衣の重さに沈みそうになったとき、程適に手をつかまれた。そのまま、陸に引き戻され、浜に引きずりあげられる。
浜では、白い衣を着た人々が一心に何かを唱えていた。皆、神を下ろしている。同じ拍子で足を踏みならし、踊り続ける者もいた。
淵季はじっと、仙女を見つめている。仙女は少し興醒めした顔になると、手を月にかざした。手のひらに光が満ち、蒼玉が浮き上がる。
人々の唱える声はますます大きくなった。いつの間にか、程適も人々に加わっている。
潮の香りをしのぐほど、彼らの声が空気に満ちた。
刹那、仙女は手に集めた光を陸に向かって放り投げた。光はまっすぐに私の額めがけて飛んでくる。中心に、あの蒼玉があるのが見えた。穴をあけるのも難しい、硬い宝石だ。
「旦那!」
程適が私を庇うように飛びつく。砂に尻餅をついたとき、頭上を蒼玉がかすめた。
蒼玉はそれ以上飛ばず、祈り続ける人々の前に着地した。
町の長が黒塗りの箱を持ってきて、蒼玉をしまった。
人々が祈りをやめ、辺りは波の音だけになった。
「やれやれ。
淵季が町の長に話しかけた。
「何と申し上げてよいのやら。この石は、やがて来る災いを避けるためのものと言い伝えられておりますが、こんなことがあろうとは」
「本当に。おそらく、その蒼玉は蓬莱の産出でしょう。あちらでもそのような石が採れると聞いたことがある。陸洋は何とか逃れたが、あの調子で次々に魂を持っていかれてはたまりません。蒼玉にまつわる儀式と、祈り一式を記録させていただいて、調査は終わりといたしましょう。もちろん、その蒼玉は今まで通り、こちらでお守りください。動かしてはならないものだ」
淵季は柄にもなく、神妙に蒼玉に向かって拝礼する。蒼玉を捧げ持った町の長も、礼をした。
「それにしても、仙女を呼ぶ石とは。町ではこれまでも仙女を見たことがありますか」
「仙女?」
「さっき海上に浮いていた女のことです。昔風の薄衣を着ていたでしょう」
「いえ、わたくしには何も見えませんでしたが。使者様がずっと海を見ておられるので、どうしたのかと」
町の長が不思議そうに眉を寄せた。
「では、なぜあのように祈っていたのです」
「溺れていらっしゃったからです。この海は急に深くなっているので、溺れた者を助けるのも危険です。そちらの方が助けるために海に入ろうとなさったので、わたくしどもは蒼玉に祈ったのですが」
私は海上を見た。波頭が月明かりに光るだけで、仙女の姿はない。
「旦那ぁ、仙女って何です?」
私の耳元で程適がささやいた。私はぎょっとする。だが、程適も怪訝そうな顔をするだけだ。
淵季がごくりと喉を鳴らした。彼を見ると目があった。
私たちはただうなずき合い、海を後にした。
〈おわり〉
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