大切なコトは、大抵壊れないし、強いし、忘れられない

けーくら

第一話 あの日

 学校帰りに制服のまま自動ドアの前で佇む黒髪ストレートの女子高生。


「今日こそは勝利をこの手に……」


 一人呟きながら自動ドアを通り、このミッションに必須のアイテム二つを手にした。

 はい、私は三隈みくましおりと言います。近くの女子校に通う十六歳。文芸部に在籍する生粋の文系女子です。今から大事な対決の時なの。二戦二敗のこの勝負に終止符を打つために……いや、勝ってもまた来るけど。


――右手にトング、左手にトレイを持ちこの店の看板商品『完璧で究極な柔らかクリームパン』の前に立つ


「いざ出陣!」


 小声で宣言。

 さぁ、ゲットするよ、私の愛するクリームパン!

 そーっとパンに向かうトングは無駄に力が入り震えている。栞という少女の顔は真剣そのもの。トングがパンに触れるか触れないかのところで動きが止まる。


「お、お願いよ……私に……完璧な形で……」


 震えるトングに力を入れると、柔らかな感触がトング越しに感じられた。

 はぁーん、柔らかい。美味しそうよー!

 思わず力が入り、完璧な丸い形はぐにっと歪に潰れ始める。


「だ、ダメよっ!」


 プルプルと震えながらトングを持ち上げようとする。徐々に力が入り丸い形が瓢箪ひょうたんのような形に変化していく。


 あ、あぁ、ち、力を入れるな、私! でも、落としちゃダメよ! 前回は床に落ちて弁償だけして食べられなかったのよー!

 震えるクリームパンは遂に宙に浮きトレイへの旅路に出る。しかし既にトングの圧力に負けて二つに千切れそうなほどに形を変えている。


 あぁ、落とすよりは……二つに千切れても、味は変わらないわ! 落とすよりはマシよ!

 急速に速度を上げてトレイに急がされるクリームパン。重力、加速、圧力に負けて千切れる寸前にベチャッとトレイの中に投げ出された。


「はぁー……三戦三敗……」


 そこには無惨にも破れてクリームが漏れ出した瓢箪型のパンが居た。


「三百四十円でーす」


 少し破れたクリームパンを店員さんは手際よくビニール袋に詰めてくれた。電子マネーで払って慌ててエコバッグに入れる。


「ありがとうございましたー」


 敗北の虚しさにさいなまれながらエコバッグ越しにクリームパンをじっと見つめる栞。肩を落とし自動ドアを出て帰路に着く。


 敗者はただ去るのみよ。まぁ破けてるとはいえ、味は変わらないわ!


 名残惜しそうにガラスの向こうのまだ丸いクリームパンを覗く。すると見知った顔の生徒が真剣な顔をして同じクリームパンを睨みつけていた。

 あれは、石川さん……石川疾音はやねさんね。同じクラスの体育会系のスポーツ女子。確かバスケでレギュラー目指して頑張ってる子よね。明るい髪色をショートカットにしてて、背も私と同じくらい高いのよ。

 あ、私、無駄に背が高いの。百七十センチあるのよ、ふふん。


 くだらないことを考えてぼーっと見ていたら、疾音はトング片手に気合を入れている。

 あらっ? 貴女も勝負するの?

 少しドキドキしながらガラス越しにじっと見つめる。

 観客には全く気付かず集中している疾音。栞とは違い完璧な丸型を全く崩さず持ち上げ始めた。


「おぉ、がんばって!」


 思わず小声で応援。既にクリームパンはトレイへの旅路をスタートさせている。暑くもないパン屋さんで首筋に汗を浮かべる疾音。栞も店の外で小声で「いけっいけっ」と必死に応援中。勝利を確信しニヤリとほくそ笑んだ時、ふと、ガラス越しで祈るように両手を胸の前で組んだ栞と目が合った。


 学校では微妙な距離感の二人。苦笑しながら会釈し合っていると、遂に重力に負けてクリームパンが落下し始めた。口に手を当て声にならない悲鳴を上げる栞。逆に疾音は栞が気になって自らの危機に気付かない。


 何故自分などに興味を示している! 何故自分のピンチに気づかない? これ正しく『灯台下暗し』……じゃなくて私が原因だ、こりゃ!


 自分の愉快な振る舞いが盟友の危機を招いているとなれば、どうにかするのが私の責務。『店に飛び込み落ちるクリームパンをヘッドスライディングで受け取る自分』を想像したところで、ただ身振り手振りで伝えるだけで良いと気付いた。

 栞はトングから滑り落ち始めるクリームパンをガラス越しにビシッと指差した。そこで初めて自らの危機に視線を向ける疾音。だが時すでに遅し。クリームパンはトングから外れて自由落下を始めていた。


 思わず目を瞑る栞。遅かった、と後悔の念に包まれながらそっと目を開けると、膝の下までトレイを下げて辛うじてクリームパンを受け止めた疾音の姿が目に映っていた。

 ガラスの向こうで大袈裟に喜ぶ栞。照れる疾音はそそくさとレジに向かった。


「ありがとうございましたー」


 平べったくなって少し破れたクリームパンをエコバッグ越しに眺めながら自動ドアを出たところで栞から声がかかった。


「一緒に食べない?」


 愛想笑いの栞とキョトンとする疾音。暫く二人は店の前で固まっていた。

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