中編



 次の日――。


「おはよう……」

「え?」

 挨拶されたことにまず驚いた。


 前日は母さんが帰って来て起こされるまですっかり寝てしまっていて、それから夕飯だったりお風呂だったりで、すっかりとスマホでのやり取りの事など忘れてしまっていた俺。夜になって少し遅くまでインターネットをしていたこともあって、まだ起き切れていない頭をようやく動かしながら、朝起きて朝食を食べていた。

 母さんがその時に何か言っていた気がするけど、そんな事など寝起きの頭が処理してくれるはずもなく、俺は生返事を返すだけで全く気にしないで学校へ行く準備を俺なりに急いだ。


 制服を着て二回にある自室から下へと降り、少し底がへたってきた革靴を履く。そして「行ってきます」とひと言家の中へ声を掛け、玄関のドアへと数歩進んで鍵を開け、ガチャリと音を立ててドアを開けると、そこには人影がって、驚いて顔を上げる。


 そして冒頭へと戻るのだが、そこで俺は混乱した。


――え? え? 何でここにいるんだ?


「……挨拶したんだけどな……」

「え? あ、あぁ……おはよう?」

「うん!!」

 ニコッと俺に微笑みかけるその人は、学校のマドンナ前島瞳その人。


 俺の頭が混乱してその場から動けないでいると、俺の後ろから足音を立てて母さんが出て来た。


「あらあら瞳ちゃんおはよう」

「おば様おはようございます」

「悪いわねぇ朝早くから……」

「いえいえ!! そ、その……嬉しいですし……」

「あら? まだようやくかしら?」

「……はい……」

 俺の前後で盛り上がっている会話に入ることが出来ず、俺はその会話をただぼぉ~っとしながら聞いていた。



――え? どういう状況?


「ではおば様そろそろ……」

「そうね。頑張ってね瞳ちゃん!! この子昔から感じだから」

「はい!!」

 ぺこりと母さんにお辞儀すると、俺の方へと視線を向ける。


「さ、行こう!!」

「うん……。え? あ、ちょっと!! おい!!」

 俺の腕をグイっと引っ張りながら、ずんずんと進んでいく。その姿からは昨日までの姿が全く感じられなかった。だからこそ抱く不思議すぎる空間と感情。


――どうしてこの子が俺の事を? それと俺の体を……。


「なぁ……」

「何?」

 俺の方を向かずに返事だけ返って来る。


「もう離してくれよ。独りで歩けるから……」

「え? あ!? ご、ごめん!!」

 声を掛けた瞬間に、ずっとそのまま歩いている事に気が付いたのか、パッっ!! と手を離すと小さな声で俺に謝る。


「いや、良いんだけど……。俺の事嫌ってるんじゃなかったのか?」

「嫌ってないよ? だって――」

「ん?」

 通勤時間や通学時間という事もあり、俺達が通う学校周りはけっこう通行量が多い。だからというわけではないが、近くにいない限りは少し大きな声を出さないと会話は聞こえないのだ。

――なんだ? 昨日までと少し雰囲気が……。


「そ、それで前島はどうして俺の家に?」

「え? 同じ学校だし通り道だし……一緒に行こうかな? って?」

「ふぅ~ん……。でもいいのか?」

「何が?」

 俺の方をじっと見つめる前島。

 ちょうど車が俺たちの方へと向かって来たので、そこで会話が一度途切れる。

 俺は前島の横へと移動してくるかからかばう様な態勢を取った。そんな俺をじっと見つめる前島。


「俺と一緒にいる事、誰かに見られたらさ――」

「そんな事か」

「そんな事って……。前島はマドンナって言われてるんだしさ、ちょっとは考えないと」

「気にしなくていいんじゃない?」

「いやいや、前島はーー」

「瞳だよ!!」

 そのまま歩きだしていた俺達だったが、急に立ち止って前島が俺に大きな声を出す。


「え?」

「瞳だよ。あの頃みたいに呼んでよ……」

「あの頃って……。でも今はもうさ立場が……」

 前島は頭をぶんぶんと大きく左右に振った。


「同じだよ。気持ちもあの頃と同じ。だから呼んで欲しい」

「…………分かったよ。どうなっても知らねぇぞ?」

「うん!! えへへ……」

 スキップでもしそうなほどに機嫌が良くなった前島。俺たちはそのまま学校へと向かって行く。


――なんだこの可愛い生き物は!?

 そんな前島……いや、瞳を見て俺は改めてその『マドンナ』という存在を感じていた。





 学校へと着けば噂にならないわけがない――。


 学校に着く前にもすれ違う同じ制服を着た生徒にじろじろと見られ、学校へと着けばついたで色々な視線を浴び、そんな感じでも離れずに俺に付いてくる瞳と共に我教室へと入って行けば、クラスメイトどころか先輩後輩限らず注目されるわけで、俺も居心地がいいとはいえなかった。


「どういう事?」

「二人付き合ってる?」

「いやいやあのマドンナがあり得ない!!」

「ひ、ひとみたんは俺と……」


――やっぱりこうなるよな……。というか最後の言ったやつ誰だ!!

 なんて思いつつ自分の席に着いてから顔を上げる。思った通りに好奇の視線が俺たち二人に注がれているわけだけど、外野は気にしないという様子で隣の席の瞳は準備を進めていた。


「おい和真!!」

「あん?」

 声を掛けられてその方へ視線を向ける。


「なんだよ……睨むなよ……」

「なんだ康太か……。何か用か?」

「いや用っつーか……」

 チラッと俺から視線を瞳の方へと向けつつ言葉を濁す康太。


「……何となくだけど、言いたいことは分かる」

 うんうんと俺も康太も頷きあう。

「じゃぁ……」

「すまん康太。俺にもよくわからん!!」

「はぁ?」

「詳しくは前島――ひぃ!!」

 名前ではなく名字を呼んだ瞬間に俺ににこぉ~っと微笑む瞳。


――笑顔なのにこわっ!!


「ひ、ひとみ……に聞いてくれないかな? 康太君」

「え? 瞳って……え?」

 俺から出た言葉に困惑する康太。そしてそのやり取りを聞いていた野次馬の皆さんもざわつき始める。


「えっと……前島さん? どういう事か聞いても良いかな?

 本当におそるおそる問う感じで康太が瞳に話しかける。


「あら? 別に不思議な事じゃないでしょ? 私たち元々幼馴染だし」

「「「「「「「「「「「「「「「えぇ~!?」」」」」」」」」」」」」」

 康太も何故か野次馬と共に驚いていた。


――お前は知ってるじゃねぇか……。

 未だに驚いて硬直している野次馬と、ニコニコと俺に笑顔を見せる瞳。俺はそれを見ながら大きな、本当に大きなため息をついた。




 そうなると一気に噂は大きくなっていく。あれだけ多くの人に見られているし、話を聞かれたのだから当たり前なのだけど、それ以上にその噂を広めている原因の一つがある。


「……何で付いてくるんだよ?」

「いいじゃん。一緒に行こうよ!!」

 移動教室の時も一緒に付いてくる瞳。


「和真!! お昼どうするの?」

「和真って……。まぁいいや。いつも通り購買に――」

「お弁当作ってきたの!! 一緒に中庭に行こう?」

「はぁ? 弁当って……。あ、いや!! 行くから!! 引っ張るなって!!」

 一緒に食べる約束などした覚えはないけど、弁当持参でこられてしまうとさすがに断る事もできず、そのまま瞳に強制連行されて行く。

 俺を見送る康太が何故かニヨニヨしているのを俺は見逃さなかった。



「和真今日は部活無いから一緒に帰ろ?」

「え? まぁ……いいけど……」

「やった!!」

 一緒に帰るなんて小学校の時以来になる。ただあの時は他にも何人も居たし、今の状況みたいに二人でというわけじゃなかった。


――あ!?


「誰かと一緒って事か?」

「え? 和真は私と二人じゃ嫌なの?」

 プクッと頬を膨らませて俺の顔を覗き込んでくる瞳。そんな様子を見て更に教室中がざわつく。


「おいあの姿みたか!!」

「かわいいぃ~!!」

「マドンナのあんな姿初めて見た……」

「ひ、ひとみたんは俺と帰る――」

 うん。最後に言ったやつが誰かに引きずられて行ったけど、見なかったことにする。






 ニコニコとしながら隣を歩く瞳を連れながら、俺達は帰路へと付いた。学校から出るだけでも視線を浴びていた俺は精神的に疲弊してしまったけど、瞳は何故かそれ自体を喜んでいるようにさえ感じた。


 何もない事が日常だったものが非日常へと変わり、俺もさすがに視線にも慣れて来た頃、最近では時間があるときは一緒に帰る様になった瞳と一緒に帰り道を歩きながら、疑問に思っている事を聞いてみる。



「なぁ……」

「うん?」

「どうしたんだ急に……」

「え?」

 質問の意味が分からないという様な表情をしたまま、俺の方を見上げる瞳。

 学校への通り道にある小さな公園へと瞳を誘い、入り口に併設されている自販機で瞳の好きな午○の紅茶・ミルクティーを買い、中へと進んで四阿まで到達すると、そこにあるベンチへと二人で腰を下ろした。


「ほら……」

「え? うわぁありがとう!! コレ……」

「好きだろ?」

「……覚えててくれたの?」

 俺の方をじっと見つめる瞳。


「そりゃ……覚えてるだろ」

「そっか……」

「懐かしいな……ここ」

「うん……」

 小学生の頃は良く友達と遊んでいた公園。


――そういえば……瞳と初めて会ったのもここだったな……。


 俺は小さい頃は地元のガキ大将――とは言わないまでも、皆と遊ぶときはまとめ役のような事をしていた。

 ケンカが起きれば仲裁したり、いじめのような事を見つければ注意する。そういうヒーローに少し憧れていた時期が有った。

 いつものように公園で遊んでいる時、小さな女の子が一人で公園へと入ってきた。見慣れないその子の事に興味が出たのは俺だけじゃなかったようで、少し大きい学年の子がちょっかいを掛けに行った。

 もちろんそんな事が許せなかった当時の俺は、その女の子を助けるために大きい子に挑んだのだが逆にやられてしまった。


 でも女の子はぼろぼろになった俺にお礼を言ってくれただけじゃなく、一緒に笑ってくれた。

 引っ越してきたばかりで友達がいないという曽於女の子を、俺は俺の友達に消化し、その日から一緒に遊ぶようになった。


 その女の子が今、ミルクティーを大事そうに持っている瞳である。友達が増えていくと、俺とばかりではなく遊ぶ人も増えていくわけで、他の女の子とも仲良くなった瞳は、俺と一緒にいるという事が少なくなった。そして学年を経て大きくなるにつれ、話す事も少なくなって、中学校が別々になったのだった。


――本当に懐かしいな……。

 小さなころを思い出して、何か胸にジンと来るものがある。


「あ、あの……ね?」

「うん?」

 いつの間にか手に持っているモノがスマホへと変わっていた瞳は、そのスマホを操作すると俺の目の前にバッ!! と勢いよく見せつけて来た。


「こ、コレ!!」

「なに?」

「わ、私も……その、和真の事がちゅき……だよ?」

「へ?」

 瞳がかんだ事も気になるけど、その言葉の意味が分からない。そして目の前にグッと押しつけるようにしているスマホの画面も。


『君が好き』

 スマホの画面には、メッセージアプリの中でダレかがそう書き込んでいるのが分る。


「と、突然だったけど嬉しかったの!!」

「え?」

「で、でもその……直接言って欲しかった……な」

 ちょっとウルっとした瞳をしながら、俺の方を覗き込んでくる。


「え? なに? ちょっと待って!!」

「なにって……和真が送ってきたんだよ?」

「え?」

 自分の中で記憶を探っていくけど、俺にはそんなメッセージを送った記憶が無い。

「……それっていつだっけ?」

「? 忘れたの? 修学旅行の話をしている日だよ」

「修学旅行の話? ……あ!!」

 慌てて俺は自分の持っているスマホを探し、その日のやり取りを確認する。


「あ……った……」


 あの日、班のメンバーとの話の中で、瞳の発言の返事として送ったはずの書き込み。でもその中では書き込みされておらず、なんと瞳に個人チャットとして書き込まれ、しかも内容の頭部分でソレが途切れたまま送信してしまっていたのだ。





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