転生SFコメディ『私は壱万円札である』

猫文Ⅱ

プロローグ 転生するなら壱万円札でありたい

 大学院生活を始めてはや十年、とある大学の経済学研究科に滞留する独身三十五歳のしがない男。それが私だ。


 博士課程の修了に必要な要件の一つ、博士論文が、導入部分を書き終えたところで頓挫して一向にはかどらない。期限内の提出はなかばあきらめている。すでに私の在籍年数は上限に達し、もうこれ以上は留年も休学もできない。このままいけば来春、否が応でも単位取得退学の見込みだ。


 就職先は決まっていない。ただでさえポスドクの就職難が世間では取りざたされているのに、博士号もなく職歴もなくこの年齢で、空欄の多い履歴書を持って人事部に掛け合う自分の姿を想像する……さほど悲観はしないが、途方に暮れる。


 こんな私でも大学院に入学したての頃は、三十歳までに博士号をとって、アメリカに留学して、結婚して……という明るい将来を漠然と思い描いていた。どの一つをとっても全く実現しなかったが。


 かつては日本人初のノーベル経済学賞も夢みていた。いま思うと恥ずかしい。


 どうも自分の才能を過大評価していたようだ。そもそも研究者に向いていなかった。能力に見合わない環境に身を置くうちに、十年という取り返しのつかない歳月があっという間に流れてしまった。


 私と同期入学した院生たちは、修士号を取って社会に出たり、博士号を取ってアメリカで客員研究員や日本で准教授の地位に就いていたり……とにかくみんな優秀だ。風のうわさで彼らのリア充な生活ぶりがよく聞こえてくる。


 私だけが、私だけが、取り残された。


 私だけが未だに院生として研究室に居残り、後輩たちから研究室の窓際族としてみなされ、疎ましがられている。研究室に上下関係なんてないよ、もっと馴れ馴れしく扱ってくれよと声をかけても、自分の顔を鏡に見ればどう見てもオッサンだ。


 私だけが未だに家庭教師のアルバイトで生計を立てている。日本学術振興会の特別研究員になって給料を得ながら研究活動に専念する、なんて厚遇は一度も経験できずに。


 アルバイトの収入は月五万円ほど。その他に奨学金をもらって授業料の支払いや生活費などに当てている。だが奨学金は給付型ではなく貸付型。いずれ社会に出たら返済しなければならず、もらっている身分でおこがましいが、借金を負っている感覚だ。実際、消費者金融からも三社から三十万円ずつ計九十万円を借り入れている。


 ああ、私も同期たちのように優秀だったらなあ……と嘆いていると、家庭教師先の男子生徒から質問が飛んでくる。


「もとしセンセイ、英文法でちょっと分からないところがあるんですけど。今度の期末試験でそこが出るらしいので教えてください」


 いかんいかん、仕事中に物思いにふけるとは身勝手にも程がある。不真面目な自分を戒めて目の前の仕事に集中する。生徒はテキストの該当箇所を指差し、分からないところとやらを示している。


「もとしセンセイ、ここなんですけど I were のところが、どうして I was だといけないんですか?」


「どれどれ、見せてごらん……ああ、仮定法過去だね。うーん、たしかに I was でも良さそうだけど……」


 最近では、仮定法過去の一人称と三人称にwasを使う例もあるらしい。だからあながちダメなわけではない。かといって学校の先生がwereと教えているのに、私がwasでもいいと言って、無責任な知識の上書きで生徒に混乱を与えては、学校の先生に対して申し訳ない。


 回答に窮してしどろもどろしていると、ふと、ある映像が頭に浮かぶ。それはいつか観た、某英会話スクールのテレビCMだ。


 映像には女子高生がさっそうと登場する。顔の表情こそおぼろな記憶にしかないが、彼女が両手を広げ胸を張って主張するセリフの言霊が、私の耳のうちで響きわたる。


 I wish I were a bird !


 あのとき彼女はそう言った。たしか字幕があって〈もし私が鳥だったら……〉と訳されていた気がする。まあ、現代ラノベふうに意訳すれば〈転生するなら鳥でありたい〉だろうか。念のために言っておくが、けっして転生フラグを立てたいわけではない。


 しばらく脳裏でCMを上映していると、「センセイ?」と呼ばれて慌てて現実に戻る。


 私は仮定法過去be動詞問題に関する言及を避け、生徒にはとりあえず、耳にタコができるくらいこのセリフを何度も連呼しなさいと指導した。仮定法過去のbe動詞はwereでしかない、と無批判で理解してもらうのが最善だという判断のもとに。




 私は仕事終わりの帰り道を、仮定法過去の時制で過ごした。もし自分が経済学を好きじゃなかったら、お金のことを好きじゃなかったら、今頃はどんな人生を送っているだろうか、と空想しながら暗い夜道を歩いた。


 しかし結局は、自分が経済学のこと、お金のことを好きになったのは必然だったという確固たる事実に行き着く。


 幼い頃、両親は毎月二十五日にお小遣いをくれた。金額は学年かける百円。よく妹と二人で税込九十五円のアイスを買いに行き、百円玉で支払っておつりの五円玉は妹にあげた。妹はそれを招き猫の貯金箱に入れて、十九回目に貯めた九十五円でアイスをもう一本買った。そのときの衝撃は忘れもしない。それから私はどんな端金も無駄にせずコツコツ貯金して、辛抱して貯めた一万円を壱万円札に両替したときの喜びは、今でも鮮明に覚えている。銀行通帳を与えられてからはますますお金のことが好きになり、お金についてもっと知りたくて経済学に興味を持つようになった。


 私が通った高校の修学旅行先は東京で、選択制の社会科見学があった。数ある候補のなかからどうしても行きたくて選んだ見学先は、午前の部の国立印刷局滝野川工場と、午後の部の造幣局東京支局。自分でも笑ってしまうほど、筋金入りのお金好きだった。


 両親や恩師のことを思い出すと目頭が熱くなる。幸運なことに私の周りには、お金のこと、経済学のことを好きにさせてくれる人たちがいた。みんなのおかげで私はいま、お金を愛し、経済学を愛している。


 もし私が、あのCMの女子高生役を演じて仮定法過去を使うとしたら、なりたい先に鳥は選ばない。願わくばbirdをbillに替えて〈転生するなら壱万円札でありたい〉。


 I wish I were a bill !


 I wish I were a bill !


 I wish I were ……


 念仏のように何度も唱えていると、本当に壱万円札に転生したように思えてくる。鳥が空を自由に飛び回るように、私はいま市場を自由に飛び回っている。


 ああ、お金を想う、これこそが経済学研究を志したときの私の初心だ。この心境を保ったまま博士論文に向き合えば、執筆がはかどりそうな気がする。だとしたら今すぐ自宅に戻って着手したい、そう意気込んだ矢先に、


「「「危ない!」」」


 背後からの大声に驚いて振り返ると、転生にはもってこいのダンプカーが、私に向かって一直線に突っ込んでくる。


「「「キャアアアアアアア!」」」


 あまりにも突然だったので、あっと声を漏らしたときにはもう、私の視界は何度も何度も、その天地をひっくり返していた。薄れゆく意識のなかで、


 I wish …… I were …… a bill ……


 という想念の漂流を感じているが、次の瞬間、視界は暗転する。

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