第2話Ep5.Why?/Do?
「スバルって、てっきり漢字一文字の昴かと思ってましたよ。守るに生きる流れで
かっこいい名前ですね。そう言ってその先輩は軽く笑った。
いつもの窓際の席に座ったスバルの横で彼はそんなどうでもいい話を続けていく。僕のサトルもちょっと変わった字書くんですよ、覚えるって漢字でサトルって読むんです。りっしんべんの悟じゃないんですよ。薄く笑いながらそう話す彼に、スバルは曖昧に頷いた。
――この時間はなんなのだろう。彼がわざわざ自分に話しかけた目的なんて、ひとつに決まっている。あの怖い先輩が来るまでの時間稼ぎなのだろうか。
そう思った途端、サトル先輩は前屈みになっていた背をゆったりと引いた。膝の間で組んでいた両手を解いて、両膝の上に軽く置く。
「ふふ、すみません。こう見えて僕は結構好きなんですよ、雑談とか、たわいもない世間話が。ですが本題に入りましょうか。僕がきみとなにを話したいのか――言われるまでもなく、きみはわかっていますよね」
その言葉に心臓が縮み上がる。
――怒られる。
そう思って下を向いたスバルに、
「合言葉。答えは『手短に』、ですね」
「え……」
思わず先輩の顔を見ると、眼鏡の奥の目が柔らかく微笑んだ。
♢ ♦ ♢
「トイマもありがとな、いろいろ考えてくれて助かったよ」
「あ、いえ――」
この数分間、サトルは鼻まで覆うように口元に手を当て、机の一点を見つめ黙り込んでいた。イコマの礼にもどこか上の空だ。
ジンゴはそんな後輩をチラリと見てから、
「イコマ、スバルの処遇はどうすんのよ」
「明日の昼休みにでも注意しに行くよ。大方、こうやって頭を抱える人間のことを想像できてないだけだろう。それでも続くようならまた考えねばならないが」
「りょーかい。その時俺も行くわ。お前スバルと面識ねーだろ」
「そうだな、仕方ない。お前にも声を掛けよう。じゃあ、今日はこれで」
世話をかけた。そう言って教室を出ようとするイコマに、
「あ、待ってください」
サトルは鋭い声をかけた。彼にしては珍しい、焦ったような上ずった声だ。
「どうした」
「あ、いや――。やっぱイコマ先輩には関係がないというか……。先輩の目的は犯人捜しなので、それが達成された以上、もう帰ってもらってもだいじょぶなんですけど……」
目を逸らして片手で口元を押さえながら言う彼に、
「なんだ、気になるじゃないか。教えてくれ」
イコマは再び席に着いた。
右側にジンゴ、左側にカイ、正面にタツオミ。三人の視線が集中する中、サトルは口元に手を当てたまま訥々と話す。
「僕はスバルくんのことをよく知りませんけど――、こういう、小さなイタズラをするタイプには見えませんでした。しかも一回のみならず、二週間毎日毎日貼りなおすなんて――。イタズラではなく、確実に何かしらの意図がある。それが――」
サトルは一度言葉を切った。
姿勢はそのまま、眉間に皺を寄せて、低い声で。
「僕には、SOSに思えます」
♢ ♦ ♢
「わかってしまえば謎でも暗号でもない、簡単な話でしたね。きみがいつも読んでる本、『お饅頭』のシリーズですよね。高校が舞台の日常系ミステリー。アニメ化もしてる。おもしろいですよね、僕もむかし読みました」
読んだのがむかし過ぎて内容すっかり忘れてましたよ。昨日慌てて図書室で借りて読みなおしました。久しぶりに読んだけどやっぱりおもしろかったし、むかしわからなかったシーンもいまなら理解できました。
そう話す先輩の口調は穏やかで、それを聞きながらスバルは自分の手のひらを握りしめた。
できるなら、身を乗り出して「おもしろいですよね!?」と言いたかった。好きなキャラの話を、好きなストーリーの話をしたかった。
けれど人見知りの自分にそんな勢いはなく、なによりこの先輩がこんな話をする意図がわからなかった。この人は「お饅頭」の話がしたくて自分に話しかけたのではないはずだ。
「『やるべきことなら手短に』っていうのは、主人公の口癖、というかモットーですよね。きみがやったように『黒蛇の会』と書かれた紙切れを掲示板に貼る話もある。その真似をしたんですね。――さて、スバルくん」
俯いていたスバルは名前を呼ばれ顔を上げた。涼し気な切れ長の瞳と目が合う。
そのまま、サトルはゆっくりと一音一音を口に出した。
「タツオミ先輩が気にしていたのは『誰が』だけでしたが、僕は『どうして』が気になります。きみはどうして、あの紙を毎日貼り続けたんですか? 最後までちゃんと聞きますから。きみの言葉で、教えてください」
時計の秒針がカチカチと響く。
運動部がグラウンドを走る掛け声が大きくなって、離れていく。
窓から風が吹き込み、カーテンが膨らんでまたしぼむ。
コチリ。分針がちょうど数字の位置にきて、小さく音を鳴らす。
♢ ♦ ♢
SOS。
予想外に重い言葉を三人が受け止めきる前に、サトルは矢継ぎ早に言葉を紡いだ。
「彼は吃音持ちだ、今まで普通の人の何倍も人間関係に苦労してきたはず、それでも毎日生活指導室に来ている、誰と話すでもなく……。そしてこの黒蛇の会と書かれたメモ用紙、こんなの――、」
サトルはまた言葉を切った。切った――、いや、詰まったというべきか。
彼は覆った手のひらの下で口を開けて、何も出さずにまた閉じた。出さずに、いいや、出せずに。
大きすぎる何かがつっかえたみたいに眉を寄せて。それをどうにか吐き出そうと一層顔を歪めて。
苦しそうなその様子にジンゴが何か言おうとして、けれどサトルがそれを吐き出す方が早かった。
そして血を吐くみたいに出た台詞は。
「友達がほしい以外、なにがあるっていうんですか」
♢ ♦ ♢
――たぶん、この先輩は自分が答えるまで、何分でもこうやってじっと待つのだろう。
逃げられないと悟ったスバルは、どうにか喉を開いて唇を動かした。
「――ぅんっ。……ん、ぉ…………。――っとっ」
「はい」
「と、と…………」
「うん」
「と、ととととと、友達がっ。ほ、ほしくてっ」
スバルの早口で上ずった台詞を、サトルはゆっくりと反芻した。
「友達がほしい。それでどうして、あの紙を貼ろうと思いました?」
「お、おおおお、俺っ。人見知りで、うまく喋れなくて……っ。――んっ、ん、でも、『お饅頭』は好きでっ、お、おお同じ好きな人となら、喋れるんじゃないかと、思ってっ」
「人見知りでうまく喋れない。けど、同じ小説を好きな人となら喋って仲良くなれるんじゃないかと思った。それでまずは『お饅頭』を好きな人を見つけるためにあの紙を貼った、と。それで合ってます?」
「は、はいっ」
「うんうん。……合言葉を作ったのはなぜですか? 電話を掛けてくるだけでは不合格だった?」
「あ、あ、あ、合言葉に、答えられないと……っ、ホントに好きなのか、イタズラかわからないから……っ」
「ああ、なるほど。電話してきた人がイタズラなのか、本当に『お饅頭』の読者なのか確かめるために合言葉を設定した、と。ふふ、頭いいですね」
サトルはニコリと頷き顎に手を当てた。
「――それで、どうでした? 友達になれそうな人から電話はありました?」
「あっ。いっ、いえ…………」
小さく言ってうなだれる。
その姿をサトルは三呼吸分じっと見た。それからゆっくりと息を吸い込んだ。
「スバルくん。――きみはただ単に、『友達がほしい』のでしょうか。それとも、『好きな本について語れる友達がほしい』のでしょうか。単に友達がほしいのであれば、部活や研究会に入るのも手だと思うのですが、そういうのは?」
スバルはさらに身体を縮こまらせて目を逸らした。
言われるまでもなく、それを考えたことはある。けれど――部活に入って、もし友達ができなかったら。それどころか、嗤われていじめられたりしたら。
こんなのはただの考えすぎで、もしかしたら入ったら普通に友達ができるのかもしれない。つっかえずに話せる日がくるのかもしれない。しかしどうしてもその考えは消えず、部活は見学に行くことすらためらわれた。
黙り込むスバルから何かを察したのだろうか。サトルはそれ以上の追及はしなかった。
♢ ♦ ♢
静寂が一段階深くなる。
さっきまでが「シンと静まり返るような」なら、今は「耳が痛くなるような」静寂だ。
友達がほしい。
その言葉に、誰も、何も、言わなかった。いつも一番に声を上げるジンゴも、多少図々しいカイも、真面目で押しに弱いイコマも。掛けるべき言葉を、ある者は探して、ある者はわからず、ある者は見つからず、結果的に、ただただ黙りこくった。
その静寂に溶けそうなくらいのろのろと、
「――それで、これがわかったところで。僕たちは彼に対してどう動くべきなんでしょう」
サトルは小さく呟いた。
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