きつねは七化け

春道累

きつねは七化け

 案内された室内はラグジュアリーな内装で、十分な広さが確保されている。中央に恭しく置かれた猫足のバスタブとその手前のエアーマットが、この部屋が「そういう」目的で用いられるものだということを如実に表していた。そして、柔らかな絨毯の上で三つ指をついて俺を出迎える泡姫。その頭上では和毛の生えそろった立ち耳がぴこぴこと跳ね、柔らかそうな尾が緩やかに左右に揺れている。そう、ここはきつねのおよめさんラブハメソープ。この世界に遺された最後の楽園……。まずは軽くトークをしながら肩周りのマッサージ。一枚一枚服を脱がされた後は背中側から密着され、尾を使って立てた泡で身体を洗われた後は仁王立ち口淫で気持ちよく一発。身体を拭いてお互い浴衣に着替え、魅惑の膝まくらと耳掃除へ……。布越しにもしっとり吸い付くような絹肌に頭を委ねて綿棒で水気を拭われ、柔布と暖かい掌で包み込むような耳つぼ押しですっかりまどろみ心地になったところで甘やかな声で誘われて小生の大幣も本懐を思い出しすっかり臨戦態勢に。あつらえたような柔らかさの太腿に息子を圧迫されながらのあまあまローションベロキス手コキ、大迫力のご奉仕騎乗位にはさしもの小生も大満足。フィニッシュは手つなぎラブラブ正常位で……。


「……という筋で行こうと思うんだが、次作は」

「どうしてそれを私に話そうと思ったのかな」

 俺の前に座った金屋は呆れ声を上げた。それに合わせて、ふさふさとした銀毛の尾がばしばしと床を叩いた。

 装飾目的の肉体改造が大々的に許可されだして十年が経ち、街には一昔前ならフリークと呼ばれるような容姿の人間が溢れている。金屋もその一人で、数年前にしばらく見ない時期があると思っていたらいつの間にか立ち耳と尾を生やして狐の獣人と洒落こんでいた。彼は独身の公務員だから、きっと先立つものを貯め込んでいたのだろう。しがない猥褻映像作家の俺と生真面目な高校教員の金屋がこの年――もう不惑より知命も近い――になってもつるんでいるのは高校時代からの腐れ縁が成せる業だが、それについて今ここで詳しく述べるつもりはない。

「お前がちょうど部屋に来たから?」

「君はもう少し自らの言動に慎重になったほうがいいな。外で獣人相手に同じような話をしたら、三種のハラスメントセットで速攻社会のごみ箱行きだぞ」

「そもそもこの部屋がごみ溜めみたいなものなんだからいいだろ」

 ため息をつきつつ、金屋は手酌で急須から茶を注いでいる。うちではいつでも出がらしみたいな緑茶しか出さないが、こいつは毎度律儀に茶菓子を持ってくるのもよくわからないところだ。


 俺のこれまでの人生で最も大きな転換点を挙げよと言われたら、それは高校二年生の一月半ば、冬休み明けのたるんだ学生を叩き直すために古文の教師が机に山ほど積んだお手製問題集が手元に回ってきたときだとすぐに答えられる。後続の席まで厚さ一センチの冊子が行きわたるまでの間、ちょっと頭の良い文系高校生だった俺はそれをぱらぱらと流し読みし、そして運命に出会った。

 『玉水物語』だ。当然著作権は切れているので、おそらく何らかの公共アーカイブに、ひょっとしたら現代語訳も添えて掲載されているだろう。一目惚れした姫君に仕えるため人間に化けて、最後には姫の幸せを願って身を引く狐の説話。俺はその狐の健気さと慎ましさに感激した。ついでに、もしも好きな人に狐耳としっぽがついていたらめちゃめちゃかわいいだろうなとも思った。この破滅的なまでに素晴らしい出会いを経て俺は文学部に進学し、民話研究のゼミに所属して全国津々浦々の化け狐伝承のフィールドワークを行うようになった。同時にサブカルチャーにはびこる化け狐とも対峙し、「狐巫女の髪色と耳の毛色はどう合わせるべきか問題」や「能力バトルにおいて狐キャラは何属性とみなすべきか問題」とも真剣に向き合った。就職に失敗して今はロマンポルノの監督に身をやつしているが、きつねのおよめさんに対する情熱は日本でも五指に入ると自負している。金屋はこのパラダイムシフト時に隣の席に座っていたやつで、学部こそ違うものの同じ大学に入り、堅実に教員免許を取って就職した。こいつがどうして三十年間俺と縁を絶やさず、あまつさえ毎週二回欠かすことなく家に訪ねてくるのかは人生における大きな謎の一つだが、電子ディスプレイの中に理想の「きつねのおよめさん」を具現化するのに忙しい俺にそんなことを考えている余裕はない。次の撮影が来週にあるのに、脚本どころか構成すら考え終わっていないのだ。

「うるさい!狐の本性はみんな雌なんだ!俺にはわかる!」

「君は自分が時々最悪に差別的な発言をしていると自覚したほうがいい」

「違う!雌狐は女に化けて人間に嫁入りし、最後には正体を見破られて夫の元を去るという民話類型が確立しているんだ。雄の狐はどうかというと、こちらも女に化けて人をからかって遊ぶことが多い。俺はどちらも大好きだ。ちなみに狸は『八畳敷』のイメージが強くておおむね雄。蛇は時期によって変化があって、当初は形状からして男根のメタファとして扱われていたのが後世になるにつれ女性(にょしょう)の性質を帯び始めるぞ」

「君が学術的な話をしているのを見ると何となく納得がいかなくなるな……」

 非常に失礼なことを言われているが、金屋の言うことももっともだ。白髪交じりとは死んでも表せないほどよく枯れた灰髪を丁寧に撫でつけ、チーフを差したダブルのスーツを隙なく身に着けた金屋は、俺よりよっぽど賢そうに、なおかつ上品そうに見える。なお、俺は「身を持ち崩した人の見本」として教科書に載れそうな具合をここ数年キープしている。改めるつもりも、今のところはない。


「そもそもだ」

 金屋が軽く咳払いして人差し指を伸ばす。ほれぼれするような仕草だが、どうせ口から出てくるのは耳に痛い言葉の数々だろう。俺は身を縮こまらせて耐衝撃姿勢を取る。

「君が先ほど話していたあらすじには粗がある。君は一体、金で嬢に言うことを聞かせる下劣なシステムと『きつねのおよめさん』との心からのふれ合いのどちらを大切にしたいんだ。風俗シチュエーションで嬢に心からのイチャイチャを要求するのはただの社会的害悪だ。仕事だぞ!何がラブハメだ、真実のラブがそこにあるのか?本当に君が撮りたいものは何だ?過激さを求める世間に迎合していていいのか?」

 予想していたよりも相当まともな、当然と言ってもいいほどの指摘だった。確かに……確かにそうだ、風俗ものはプロットが立てやすい。見本がウェブ上にいくらでも転がっている。でも、俺が本当に撮りたいものは……?本当の望みは何なのか?俺はしばし熟考して、こう結論付けた。

「確かにそう言われればそうだな……ラブハメソープの前提を破壊してもっとこう……関係性にフォーカスするというか、お散歩シーンやバランスボールのシーン、エプロンを付けた主演が台所で油揚げを炊いて、夫の帰宅に気付いて振り返って微笑むシーンなんかを増やすべきなのかもしれない。後はあれだ、しっぽの付け根をポンポンしてこゃんこゃん鳴いてもらうシーンも入れたほうがいいな。何せ、『きつねのおよめさん』というコンセプトがあるのだから。ありがとう、さすが現役教師」

「性的ファンタジーに対する幻想と『きつねのおよめさん』に対する執着が複雑骨折しすぎていて気持ち悪い……」

 金屋は道端で死んでいるカナブンを見るような目つきで俺を見た。気持ち悪がりと哀れみの黄金比率だ。美形にそういう顔をされると、さすがに若干心に来る。

「参考までに聞いておくが、バランスボールというのは?」

「しどけない襦袢一枚でピンクのバランスボールの上にぺったん座りをしてもらって、しっぽでバランスを取っているところをありがたく拝ませていただく」

「そんなにしっぽの生理的機能を重視するならディスカバリーチャンネルを契約してリスの大家族のドキュメンタリーでも見ればいいじゃないか!」

 深いため息をついて眉間を揉む金屋。視線に含まれる哀れみの比率が、先ほどより有意に向上している。

「だいたい、君の性経験でロマンポルノを撮ろうというのが間違っているんじゃないかと思うね、私は」

「お前に何がわかる!」

「私は君が大学二年生の時バイト代をつぎ込んで吉原で童貞を捨ててから二十数年、ずっと素人童貞を脱出していないのを知っているが?」

 つい反射的に言い返してしまったのが藪蛇だった。痛いところを突かれて、俺は言いよどむ。まったくうまい返事が思いつかない。結局出てきたのは非常に陳腐な一言だけだった。

「な、なんでそれを」

「脱出させてやろうか?」

 金屋が何と言ったのか俺が反芻している間に、当の金屋は立ち上がって膝元の埃を払い、長い脚で羊羹の乗ったちゃぶ台をまたいで俺の胸倉をつかんだ。そのまま耳元で、唸るような小声でつぶやく。俺にはその声がかすかに震えているのもよくわかった。

「私は油揚げも炊けるし、……君がどうしてもというならバランスボールに乗ってやってもいい」

 つまりどういうことだろうか。硬直していると、金屋は打って変わって突き飛ばすように俺から離れた。

「まだ気づかないのか?」

 正面から俺を揺さぶる金屋の頬はうっすら赤い。とんでもない屈辱だと言わんばかりに俺を睨みつける目の表面に、うすらと涙の膜が張ってすらいるのに俺は気付く。

 もしかするとこいつは、これまで俺が気付いていたよりも相当かわいげのある人間なのかもしれない。それが狐獣人に改造されたこと由来の性質なのか、それとももっと何か特別なそれなのかを見極めてやろうと、俺はひとまず見るからに柔らかそうな金屋の立ち耳に手を伸ばすことにした。

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