君が死んだ日

カタオカアツシ

いつか来る今日

 誰かいますか? そこにいますか? わたしの声は聞こえますか?

 音声通話のSNS。いつも、みんなが眠りについた頃に接続する。いつも返答はない。それが心地よい。誰かに聞かれると、ただでさえ痛い心がさらに痛むから。それなのに聞こえてきた声。

 あなたの声はよく聞こえます。

 私は昨日、死にました。

 あなたはいま、何をしていますか。

 声をまえに固まってしまった。

 誰かの問いかけなんてないと思って繋いでいたのに。私はいま何をしているんだろう。

 何もしていない、何もないから、ここと繋がっているのだから。

 私は昨日、死にました。

 釣りってやつかな。

 死にたいじゃなくて死にました、か。

 そんなので誰か釣れるのかな。

 フォロワーもいいねもコメントもつかないよ。

 可笑しくなって笑ってみた。

 あれ、笑い声が聞こえない。


 あなたの声はよく聞こえますよ。


 昨日死んだ誰かが親しげに語りかけてくる。


 私の声はよく聞こえますか?


 昨日死んだという誰かが訊いてくる。


 必ずしも返答を必要としていない、優しさが感じられる声。わたしはまだ上手く声が出せずに、ただ頷いてみる。


 そこに、いますよね。


 昨日死んだ誰かが、微笑んだ、ような気がした。


 うん、わたしはここにいます。


 はじめて、このSNSに、はっきりと語りかけた。

 わたしの声はいつも上手く届かなかった。どれだけ言葉を費やしても、どれだけ語りかけても、わたしはここにいると訴えても、誰も聞いてくれず、誰も応えてくれなかった。

 だから、いつしか、みんなが眠りについた頃に接続するようになっていた。

 ここには誰もいないと自分に言い聞かせて。

 ようやく誰かに出会えた。

 昨日死んだという誰か。

 

 ねえ、話をしようよ。この無限のネットワークの中で。秒速で、まるでビッグバンのように拡大していくデジタルユーザー。昨日まで暖炉の暖かさが染みこんでいた丸太造りのテーブルに、今日はスマートフォンが置かれている。年に二回しか雨が降らないあの砂漠にもSNSは届いている。誰の目でも追えない速度で広がるネットワーク。そう、それは私たちの中と同じ。私たちの大脳皮質には百四十億のニューロンがネットワークを広げている。そこに流れる電気信号が私たちの感情、私たちの記憶、私たちそのもの。私たちは電気信号。だから、アクセスしやすいの。


 このネットワークに。


 ねえ、聞こえるでしょ、私の声が。


 昨日死んだ誰かがわたしに言う。


 よく聞こえるよ、そうだよね、そうなんだよ、わたしたちは電気信号、外でも中でも、このネットワークを行き来する電気信号。だから、わたしたちはアクセスする。

 生きているときも、死んでからも。

 わたしが生きていた頃、みんな私の声を聞いてくれた。みんなが私の問いかけに応えてくれた。それなのにね、死んだらうまく届かなくなった。

 どれだけ言葉を費やしても、どれだけ叫んでも、欠片さえも伝わらなかった。

 わたしの声が届くのは、わたしと同じように、死んでここにアクセスしている死者たち。


 みんなここにいるよ。


 昨日死んだ誰かが優しく言ってくれる。


 ありがとう、わたしもここにいるよ。

 わたしは一昨年、死にました。


 ねえ、そこで、わたしの声を聞いてくれている君。


 君は


 いつ死にましたか?

 

  

 

 

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君が死んだ日 カタオカアツシ @konoha1003fuyu

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