34.残念令嬢、危機一髪⁉(前編)
ポン! ポポン!
青空にはじける花火の音で目が覚めた。
今日は建国祭。
ケレス王国の始まりを祝うとともに、王都での社交シーズンの終わりを告げる盛大なイベントだ。
王宮では正午から式典、夕方から夜会が催されるため、式典に参加する大臣や官僚はもちろん、夜会に出る貴婦人やエスコートの紳士方も早朝から準備に大わらわ――。
なのだが。
「お嬢様の今朝の体重は、167ポンド8オンス(約76kg)でございます」
ロッドとの婚約破棄につき、公式行事への参加を自粛している私は、今朝も平常運転だ。
「うーん……。さすがに減りにくくなってきたわねえ」
食生活を改善し、毎日の運動量を地道に増やしていった結果、三ヶ月で減った体重はおよそ14kg。
だが身長160cm、体重76kgのBMI値は約30。まだまだ肥満の範囲内である。
とはいえ、脚の浮腫みが取れたおかげで、足首にくびれが出てきたし、背中まで段になっていた胸の肉が脇の下あたりでおさまるようになってきた。
三段重ねの腹肉も、心なしかボリュームが落ちてきたし……。
「それで、今日はどうするつもりだね?」
朝食の席で、お父様が訊いてきた。
先日カミーユが仕立てた式典服は、予想通り、お父様の男ぶりを二割も三割も上げている。
おかげで今朝の食堂には、執事のピアース、
つくづく、こっちの世界にスマホがないのが残念だ。
あればレアな式典服姿を加工して、待ち受けにでも何でもできたのに。
――などと思っていたら、後日、ウィリアム・ローズ・ワイト画伯が「ぜひそのお姿を描かせてほしい」とお父様を口説き落とし、そのミニチュアのポートレートは、王都で飛ぶように売れたとか……。
とまあ、そんな話はおいといて、今日の私の予定である。
「午前中はいつも通り鍛錬をして、午後は……ジャネット様と〈アマーリエ〉でお茶をすることになっていますの……」
後半の口調は自然と沈み、ついため息が出てしまう。
あちらの招待を断った手前、社交辞令として「いずれお茶でもご一緒に」とは書き送ったものの、正直、会う気は全然なかった。
なのに、向こうが「ぜひ!」「いつにしましょう?」と矢の催促をしてくるものだから、仕方なく今日を指定したのだ。
建国祭の当日なら、ジャネットは夜会の準備であまり長居できないだろうし、ワンチャン、キャンセルもあるかもしれない。
という淡い希望があったのだが……。
「ほう。ファインズの」
お父様が、ばさりと新聞を折り返した。
〈キングス・デイリー〉。
一面はもちろん建国祭の記事だが、社会面には〈セルドール ファインズ〉閉店のニュースがかなり大きく載っていた。
カイル様の話では、王宮騎士団に納入された制式馬具の不具合があまりに多かったため、リコール騒ぎにまでなったそうだ。
お父様はしばらくその記事に目を通していたが、やがてピアースが「旦那様、そろそろ」と声をかけると、「うん」と頷いて席を立った。
「では、行ってくるよ」
「はい、いってらっしゃい、お父様」
私も立ち上がり、会釈する。
この一連の動作も、体幹が安定したおかげで、すっかりスムーズにできるようになってきたなあ。
そんなわけで、食堂でお父様を見送った私は知らなかった。
玄関に向かう途中、お父様がピアースに何事か指示を出していたことを。
◇◇◇
カフェ〈アマーリエ〉は、大通りを少し外れたリブリア河畔に面していた。
王都でも有名なデートスポットの一つだが、値段設定がかなりお高めなので、利用者はほとんどが裕福な平民か貴族の子女である。
おまけに今日は建国祭とあって、いつもはほぼ満席の店内も、今日はかなり空いている。
レセプションで名前を言うと、奥の個室に通された。
壁際に繊細な木彫りの衝立。テーブルにはすでにお茶の支度が整い、開け放したフランス窓の向こうには、リブリア河をはさんでレンガ造りの倉庫街が見える。
そして、テーブルについているのは――……。
「こんにちは。ジャネット様」
「こんにちは。パトリシア様」
「…………」
「…………」
私は席に座ると同時に、さりげなく室内を見渡した。
用意された椅子は二つ。
ということは、今日はイモラは来ないのか。
改めてジャネットに視線を戻す。
「それで、今日はどういったご用件?」
挨拶も前置きも無しに訊ねると、ジャネットは一瞬、驚いたような顔をした。
「ふ、ふん。ずいぶんと偉そうな口をきくじゃない」
――
王立学院時代、〈パトリシア〉がさんざん言われた言葉を思い出す。
私は悠然と扇を取り出し、その陰で「ふっ」と笑ってやった。
「なっ、何よ! 何がおかしいの⁉」
「別に」
中でもジャネットのいじめは陰湿で、かつてのパトリシアは、もしかすると彼女を一番怖がっていたかもしれない。
だけど今の〈私〉は、いじめられておとなしく引っ込んでいるようなキャラじゃない。
――筋肉なめんな。
私は顔から笑みを消し、ジャネットの目を正面からのぞきこんだ。
「それで、ご用は何かしら。私たち、こんなふうにお茶を飲みながら、世間話をするような仲じゃないわよね? 用がないなら、私はもう帰らせていただくわ」
さっさと席を立とうとすると、ジャネットが「待って!」と声を上げた。
「用ならあるわ。あんたが持ってる意匠権――例の〈
そう言うと、ジャネットはテーブルの茶器を脇に寄せ、
蓋を開けると、中にはファイアオパールをちりばめたチェーンに、
宝飾品に疎い私でもわかる。前世なら国宝級の逸品だ。
「どう? 売れば最低でも二千万シルの値がつくわ。意匠権十個と引き換えでもお釣りがくるはずよ」
「…………」
「悪い話じゃないでしょう? あんたは大金を手に入れる。私はあのサンダルで〈セルドール ファインズ〉を立て直す。ね? どっちもいい思いができるのよ!」
早口でまくしたてるジャネットに、私ははっきりと首を横に振ってみせた。
「お断りするわ。あの意匠権は私のものじゃない。本当なら、サンダルを作った職人さんたちひとりひとりが持つべきものよ。あなたのお父様が通した法案のせいで、平民は意匠権が取れないから、私が代わりに取っただけ」
あれらは全部、私の大事な預かり物だ。
いつか、平民も自由に意匠権が取れるようになる日が来るまでの。
それと、重要なことがもう一つ。
「仮に、あの意匠権が全部私のだったとしても、そのネックレスは受け取れない。ファインズ家の家宝を不正に入手した罪で、逮捕なんてされたくないもの」
以前、私が自分のドレスや靴を売ったとき、ピアースが教えてくれたこと。
『ドレスや靴は、お嬢様の物ですからお好きになさってかまいません。ですが、家具や宝飾品は、すべてリドリー家に代々伝わる物でございます。ゆめゆめ売却などなさいませぬよう……』
貴族の家には、代々伝わる宝飾品や家具がある。俗に「家宝」と呼ばれる品だ。
それらは代々の当主や奥方に「貸与」され、亡くなれば家に戻される。
家宝を処分する権限を持つのは当主だけ。それも家や領地が危機に瀕するなど、よほどのことがないかぎり売却するなどありえない。
そして、ジャネットが持ってきたネックレス――
「……っ!」
ジャネットは悔しそうに握りしめた拳を震わせていたが、やがてキッと目を上げた。
「ならいいわ。本当はこんなことしたくなかったんだけど――バルド!」
衝立の陰から、一人の男がのっそりと姿を現した。
粗末なシャツにぼってりしたズボン。くたびれたハンチング帽の下からは、赤味がかったぼさぼさの金髪が飛び出している。
それは、イサーク様とボートに乗ったあの日、パブ〈
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