【幕間】残念令嬢の元クラスメイト

『ジャネット・ファインズ様


 お茶会ティー・パーティーのお誘い、ありがとうございました。

 誠に残念ではございますが、その日はすでに別の予定が入っております。

 いずれ日を改めて、カフェ〈アマーリエ〉でお茶などご一緒できれば幸いです。


 パトリシア・リドリー』



 ――王都、ファインズ伯爵のタウンハウス。

 

 贅を尽くした食堂で、三人の人物が夕食のテーブルについていた。

 暖炉を背にした上座の席に、長男のニコラス・ファインズ。

 その両側に、次男のネイトと長女のジャネットという並びである。

 いずれもファインズ伯爵家特有のオレンジブロンドに緑の瞳。ただし小柄で顎の尖ったネイトとジャネットに対し、ニコラスだけは堂々たる体躯に、えらの張った四角い顔の持ち主だ。


 カルヴィーノ・ジャーナルの風刺画で、ニコラスがしばしば太った猫、ネイトとジャネットがハツカネズミとして描かれるゆえんである。

 

 食事はすでに片づけられ、卓上には食後の珈琲コーヒーと、ニコラスの前には書類挟みが置かれていた。


「〈セルドール ファインズ〉は今期限りで終わりだな」


 ニコラスの声に、ジャネットがびくりと肩を跳ねさせる。


「婦人鞍の意匠使用料は、本家〈セルドール〉が生産を中止したため入ってこない。一方、〈セルドール ファインうちズ〉で作った婦人鞍の売れ行きは不調。王宮騎士団の制式馬具は納品が大幅に遅れ、その上、不良品が多いと苦情が出ている。その他の馬具もさっぱり売れないというのでは、店を続ける意味がない」

「……も、申し訳ありません……」


 ジャネットは小声で言って縮こまった。

 父のファインズ伯爵はしばらく前に身体を壊し、仕事のほとんどを長男に託して、今は領地に引きこもっている。

 爵位こそ継いではいないものの、ニコラスはすでにファインズ家の実質上の当主といってよかった。

 そして、この腹違いの兄が、後妻の子であるネイトや自分を疎んじていることを、ジャネットは身に沁みて知っている。


 ニコラスが再び口を開いた。

 

「しかもだ。うちが売った馬具の調整や修理は、すべて〈セルドール〉に持ち込まれているそうだな? 騎士団の知り合いに聞いた話では、〈セルドール ファインズ〉に修理を頼もうにも、それができる職人がいないそうだ」

「それは……っ!」


 こんなはずじゃなかった。


 ジャネットはひそかにほぞを噛む。

 意匠法案を盾に製造元を締めつけ、売れることが確実な商品を独占販売することで莫大な利益を上げる――。

 父が編み出したこの手口で、ファインズ家は見る間に大きくなった。

 同じ方法でブルクナー家御用達の馬具店をのっとり、売上はもちろん、カイルとの仲も進展させるはずだったのに……。


「うまくいくはずだったんです。〈セルドール〉が潰れれば、あの工房は職人ごとうちが手に入れるはずだったのに!」


 実際、イアン・セルドールは工房の売却を決意しかけていたし、その時の条件として、職人たちをそのまま〈セルドール ファインズ〉で雇用することも決まっていた。


「だが、そうはならなかった。〈セルドール〉は潰れるどころか、今や王都一のブティックと組んで、とんでもない儲けをたたき出している」

「それも、うちのやり方をそっくり真似してね!」


 口をはさんだのは、年子の兄のネイトである。


「いやあ、意匠登録者の名簿を見て驚いたの何の。パトリシア・リドリー嬢に、まさかこんな芸当ができるとはね」

「うるさい。あんたは黙ってて!」


 ジャネットは怒った声を上げたが、ニコラスにじろりと睨まれて口を閉じた。

 

「この半年で、おまえが我が家に与えた損害がいくらになったか知っているか」

「…………」

「およそ六千万シルだ。知ってのとおり、ファインズ伯爵令嬢であるおまえには、生活費とは別に、毎年三百万シルの年金が支給されている。向こう二十年分の年金を、おまえはたった半年で使い切ってしまったわけだ」

「えっ」


 何やら話の雲行きがあやしくなってきたのを感じて、ジャネットはみるみる顔色を悪くした。


「当然だが、今後おまえに支給される年金は、全額返済に充ててもらう」

「待ってください、お兄様! 私の年金は結婚の持参金にとお父様がくださったものです。持参金もなしに、どこへ嫁げとおっしゃいますの⁉」

「どこにでも嫁げるさ、選り好みしなければ。平民でも、年上の貴族の妾でも。それが嫌なら、修道院にでも入るんだな」

「そんな! お待ちください、お兄様。お兄様――!」

 

 だがニコラスは席を立ち、さっさと食堂を出ていってしまった。


「あーあ。知ーらないっと」


 ネイトもそう言って後に続く。

 

『人生は食うか食われるかだ』

『弱者に生きる価値はない』


 一人残されたジャネットの耳に、元気だったころの父が口癖のように言っていた言葉がよみがえる。

 こうなった以上、兄たちが自分に手を貸すことはないだろう。


(何とかしなければ。何とか……)


 無意識に握りしめたスカートの中で、くしゃりと軽い手応えがあった。

 今朝方、リドリー家から――あの豚鬼オーク令嬢から届いた招待状の返信だ。


(オークの癖に生意気だわ。私からの招待を断るなんて。それに……)


 パトリシアが持っているたくさんの意匠権。

 あれさえあれば、〈セルドール ファインズ〉で出した損害なんてすぐに補填できる。


 ジャネットは、ポケットからくしゃくしゃになった便箋を引っぱり出した。


「カフェ〈アマーリエ〉……」


 デートや密談に向いたあのカフェは、王都の繁華街からは少し外れた場所にある。

 ジャネットの頭の中で、ひとつの計画がゆっくりと形になろうとしていた。

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