25.残念令嬢とお父様

「ほう、これは珍しい。南国ガザズの郷土料理だな?」


 トマトの赤もあざやかな冷製スープ。

 それを一口飲むなり、お父様が言った。


「本国ではトマトと大蒜ニンニク、パンと塩だけの素朴な味つけだったが、そこに玉葱とキュウリ、パプリカを加えて風味付けしたわけか」

「はい。以前、御前に教えていただいた料理を元に工夫しました。いかがでしょうか」

「見事だ。美味しいよ。王宮の料理人にも、これほどの物は作れまい」

「そんな。もったいないお言葉でございます」


 ジョーンズ夫人が、真っ赤になった顔にエプロンを押し当てる。

 うん。

 お父様は、もう少しご自分の外見ルックスの破壊力を自覚したほうがいいと思うんだ。

「美味しいよ」のとこだけ口調を崩して笑いかけるとか、あれ全部素でやってるもんなあ……。

 衝撃波にやられたか、壁際に立っていたパーラーメイドのシャーロットまで、胸を押さえて悶絶してる。


 ――最近、我が家の食卓がえらいことになっている件について。


 お父様が私の真似をして、出された料理の感想を言うようになった。

 おかげで、もともと腕のいい料理人コックだったジョーンズ夫人のモラルが爆上がり。

 最近は、お父様が赴任先の国で食べたことのある料理を片っ端から調べ上げ、その再現と改良に血道を上げている。

 ひょっとすると、お寿司やカレーみたいな料理さえ、そのうち食卓に並ぶかもしれない……。

 

「ところで、パトリシア。私に何か話があるそうだな」


 お父様の声に、私ははっと居住まいを正した。


「はい。実は先日〈セルドール〉という馬具工房で……」


 あの後、イサーク様に何とか彼らを救う手立てがないか訊いてみたけど、これといった解決策は出なかった。


「すまないが、私は正直者を救う手立てを探すより、法を破った者たちを捜すほうが向いているようだ」


 とのこと。ただしそう言った後で、


「法律のことなら君の父上に相談してみては? 直接はご存知なくとも、詳しい者を知っている可能性は高いと思うが」


 という、至極もっともなアドバイスをいただいたので、最近はほぼ毎日のように朝食を一緒にとるようになったお父様に話をもちかけてみたのだが――。


「――というわけですの」

「なるほど、意匠法か。あれは確か、ファインズ伯爵がしばらく前に通した法案だったが……」


 ひととおり聞き終えたお父様は、しばらく何か考える顔をしていたが、やがて私に視線を戻した。


「後で執務室に来なさい。紹介状を書いてやろう。それを持って〈離塔の主〉に会いに行くといい」

「離塔の……?」

「旧王城の資料室だ。ついでだから、途中まで一緒に行くとしようか」


 そう言うと、お父様はピアースを連れて、妙に機嫌よく食堂を出ていった。

 今朝のスープが、よほどお気に召したらしい。


 だから――。


 私はもちろん、知らなかった。

 廊下を歩くお父様とピアースが、こんな話をしていたなんて。


「旦那様。どうかスキップはおやめください。貴族としても、大臣としても品位に関わります」

「だがな、ケニー。見たか? 最近のあの子の愛らしいことといったら! おまけに学院時代の友人を助けたいとか、我が娘は天使か? そうだ、きっとそうに違いない!」

「パトリシア様は、もともと愛らしいお嬢様でしたよ。ただ……」


 ――ただ、誰にも顧みられなかっただけで。


 幼馴染の執事の想いは、声に出さずとも主人に届いたらしい。

 リドリー卿は「そうだな」と静かに頷いた。


「これからは、父としてあの子をもっとよく見てやるべきだと思う」

「そうですね。あのご様子では、近いうちに求婚したいという殿方も大勢出ていらっしゃるでしょうし」

「えっ!」


 リドリー卿の足がぴたりと止まる。


「何を驚くことがありましょう? とうにお気づきかと思いますが、今のパトリシア様は、日に日にセレーナ様のお若いころに似てきていらっしゃいますよ」


 執事が見上げた廊下の先には、リドリー卿の亡き妻の肖像画がかかっていた。

 純金の髪に紫の瞳。白磁の肌に整った顔立ち。

 宮廷画家たちが女神ミューズと讃え、宮廷詩人たちが幾編もの十四行詩ソネットを捧げた美貌の王女は、ある日、一人の若き伯爵と嵐のような恋に落ちた。

 宮廷中を騒がせたその恋模様ロマンスは、当時を知る者たちの間では、今も語り草となっている。


「待て待て。確かあの子の目方は……」

「侍女のメリサが申すには、お嬢様の今朝の体重は167ポンド(約77kg)だったそうでございます。この調子で減っていけば、来年の今ごろには、もっと引き締まっておいででしょう」

「むう……」


 難しい顔で黙り込む主人を、ピアースはかすかな微笑をたたえて見守った。


「どうした、コル。今さら嫁に出すのが惜しくなったのか?」

「そんなことはない! 断じてそんなことはないぞ。だがまあ、もう少し……」


 ――もう少しだけ、手許で慈しみたいと思うのは私の我儘だろうか。


 幼馴染の主人の想いは、わざわざ声に出さずとも、有能な執事には筒抜けだった。

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