16.残念令嬢と財務官(前編)
リブリア河畔、カルヴィーノ商会のレンガ倉庫。
あれから何度か通ううちに、作業員のお兄さんたちとも気軽に挨拶を交わすようになった私は、カミーユともども顔パスで中に入れてもらい――。
そこで、はたと立ち止まった。
いつもなら、荷揚げ直後でにぎやかにごった返しているはずの倉庫内が、妙に静まり返っていたからだ。
「……?」
確かに人は大勢いる。
でも皆、壁際に縮こまり、息を殺してある一点を見つめているのだ。
視線の先には、ダリオと、その前に立つ黒紫のローブをまとった人物がいた。
「あら。あれは……」
グスマン侯爵のご嫡男、イサーク様。
財務大臣のグスマン閣下とお父様は、王立学院時代の同期生。その関係で、今も何かと交流がある。
私も、イサーク様とは王立学院の在学期間が被っていたから、お顔は存じ上げている。
もっとも、入学から卒業までスクールカーストの最低辺に貼りついていた私のことなど、開校以来の英才といわれたイサーク様は知りもしなかっただろうけど。
「だから、何度も言ってるだろう。うちは故買屋なんかじゃねえ。これだってちゃんと正規の手続きを踏んで仕入れたものだ」
ダリオが苛立った声で言っている。
対するイサーク様は、いたって冷静だ。
「こちらも再三言ったとおり、訴えがあれば調べるのが仕事だ」
「ねえ。何があったの?」
私は、たまたま近くにいた顔見知りの作業員に小声で話しかけた。
「誰かが、うちの商会をあいつに
「まあ」
作業員は「くそっ」とくやしげに拳を握りしめる。
「会頭が
その間も、ダリオとイサーク様のやりとりは続いている。
「帳簿ならさっき見せたろうが」
「表向きの帳簿はな。だが、後ろ暗い稼業をする者は、それとは別に正確な帳簿をどこかに隠しているものだ。俗に裏帳簿といわれるものを」
「てめえっ!」
「会頭!」
キレかけたダリオを諫めるように、ランドルフが背後から声をかける。
イサーク様はそれも意に介さず、「そもそも」と再び口を開いた。
「おまえたちは、これまでずっと平民だけを相手にしてきた。貴族の伝手を持たない身では、貴族を顧客に持つ商店主と取引するのが精一杯だったからだ。それが突然、このように高価な品物を、しかも大量に仕入れられるはずがない。たとえばこれだ」
そう言ってイサーク様が足元の箱から出したのは、ピンクのフリルをこれでもか! と重ねに重ねたパニエだった。
「このドレスは、大陸でしか産出されない絹織物でできている。しかも、これほど大ぶりのものを作るには……」
「やめてええええええっ!」
私は、喉も裂けよと絶叫した。
倉庫内の視線が、いっせいに私に集中する。
さすがのイサーク様も、ぎょっとしたように、切れ長の目をこちらに向けた。
指の長い貴族的な手で、ウエスト周りが95cmもある巨大な
もちろん、私が先日下取りに出したものだ。
私はつかつかとイサーク様に歩み寄ると、無言でパニエを奪い取った。
「レ、レディ? 一体……」
眉をひそめる長身のイサーク様を、下から涙目でにらみ上げる。
「これはドレスではなくパニエです。スカート部分にボリュームを出すためにハリのある生地でできたアンダースカートで、裾からチラ見せすることもあるので露骨に『下着でーす!』ってアイテムじゃありませんけど、それだって殿方に――それも赤の他人の殿方に、こんなふうに見られていいものじゃありませんわ!」
一気にそこまでまくし立てたところで息が切れた。
はあはあと肩で息をつく私を、イサーク様は最初あっけにとられた顔で見ていたが、一拍遅れて内容を理解したのだろう。みるみるその頬が赤くなった。
「……申し訳ない。女性の衣服のことには、とんと疎いもので」
「おう、嬢ちゃん。ついでにこの堅物野郎に言ってやってくれよ。この箱の中身は全部、嬢ちゃんがうちに卸した物だってな」
脇からダリオがにやにやしながら口を挟む。
さっきまでの怒りはすっかりなりをひそめ、完全に面白がっている顔だ。
「ええ。ダリオさんのおっしゃるとおりですわ」
私が肩をそびやかすと、イサーク様は再び「申し訳ない」と深々と頭を下げたのだった。
◇◇◇
「いやあ、本当にいい所に来てくれたな。おかげで痛くもない腹を探られずに済んで助かったぜ」
ダリオは上機嫌でそう言うと、私にレモネードを出してくれた。
「まだ疑いが完全に晴れたわけじゃない」
とイサーク様。ダリオのデスクに座り、広げた帳簿を丹念に目で追っている。
倉庫二階のオフィスには、ダリオとイサーク、それに私の三人が座っていた。
カミーユはといえば、今はすっかり喧噪を取り戻した階下の倉庫で、生地選びに余念がない。
「けっ。疑り深いやつだ。そんなだから、いつまでたっても嫁の来手がないんだぜ」
憎まれ口をたたくダリオをきれいに無視して、イサーク様がこちらを向いた。
「リドリー嬢。大変申し訳ないが、お売りになった品物と帳簿を照合させていただいても?」
イサーク様の現在の仕事は財務官。それも、密輸や脱税を取り締まる部署の筆頭捜査官だそうだ。
櫛目の通ったアッシュブロンドに、極上のサファイアを思わせるダークブルーの瞳。
王立学院きっての英才は、卒業後、最年少で王宮入りするや、25歳の若さでひとつの部署を任されるという有能ぶりを見せつけた。
おまけに、いずれは父の後を継いで侯爵になるという、娘を持つ親にとってはこれ以上ない優良物件だ。
かつて父がダメ元で私との婚約を打診し、秒で断られた過去がある。
――と、そんなことはおいといて。
私は「わかりましたわ」と頷いた。
帳簿確認の件である。
「では、グスマン様は帳簿をご覧になっていてくださいませ。今から私が売った品物を申し上げますので、該当するものにチェックを入れていけば確認がとれますわよね?」
「理屈上はそうだが、レディ。帳簿は全部で5ページもある」
イサーク様の抗議に構わず、私は目を閉じて売ったものを列挙していった。
「まずアンダーウェアからまいりますわ。さきほどイサーク様がご覧になったシルクサテンのピンクのパニエが一点。クリーム色のチュールのパニエが一点。クリームイエローのビスチェが一点。サーモンピンクのコルセットが一点……」
メリサと一緒に整理したクローゼットの棚を、ひとつひとつ思い浮かべながらリストアップする。
「続いて、私が子ども時代に来ていた衣類にまいります。すべて一点物ですので、点数は省かせていただきますね。クリーム地に赤の小花柄のワンピース。淡い黄緑色のブラウスと同色のスカートのセット。葬儀用の黒のワンピース。クリームイエローの冬用コート……」
ぱらり、とページを繰る音を聞きながら、私は数々のアイテムを、種類別に淀みなく挙げていった。
「……以上、124点ですわ。おそらく漏れはないかと存じますが」
乾いた喉をレモネードで潤しながらそう言うと、イサーク様もダリオも、半ば呆れ、半ば驚いたような顔でこちらを見ていた。
「こいつは……」
「これは……」
「「驚いた」」
そう言う声もハモっている。
イサーク様が、ぱたりと帳簿を閉じた。
「ご協力に感謝する、リドリー嬢。故買に関する密告は、どうやら誤りだったようだ」
「ふん。だから最初からそう言ってるだろうが。用が済んだらさっさと帰れ」
しっしっ、と手を振るダリオには目もくれず、イサーク様は興味深げに私を見た。
「それはそうと、リドリー嬢。あなたはここへ何をしに?」
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