第13話

翌日小雨が降った後の薄い膜が貼ったようなもやが立ち込める中、銀座八丁目にあるオステリア・パートリアというダイニングバーに向かい店内に入ると先に仲江が到着していた。

奥の座席に座りワインと豚の各部位のテリーヌ、生ウニのバベッティーネなど数品注文し、テーブルに品が揃ったところで乾杯をした。


仲江は後ろの壁のブラックボードに店員が手書きで書いたメニューやイラストを見てはお洒落だと言い、葵陽もこのような狭い空間が落ち着くので今回あえて選んだと話した。

仲江の食事の進み具合が遅いので葵陽は気になることでもあるのかと尋ねると、手術の日が決まったことを告げ、就寝中も眠りが浅く途中で目を覚ましてしまう事が多いという。


「たしかに、色々と気になってしまう事ってありますよね」

「細かいことを気にするタチじゃないのに、やっぱりその日が来るまでの間が不安を覚える感覚になります」

「ご両親にはお話はできましたか?」

「ええ。結構気にかけています。なので今の詳しい段階は言わずにとりあえず術後の経過を見ないとわからないと話してはあります」

「できれば、具体的に言っておく方がいいんじゃないですか?」


すると、仲江は持っていたフォークを置いて膝にかけているナプキンで口元を拭いた。


「私も、女性です。どうなってしまうか、そうなる前に好きな男性に甘えたい時もあります」

「好きな人?……」


彼女は葵陽の目を眺めては涙腺が緩むように物悲しげな表情をしていた。


「私とお付き合いするのは難しいですか?」


葵陽も手を止めてワインを飲み少しだけ俯いて考えていた。


「あなたのことを気になるから、こうして食事に誘いました。ただ僕は……仲江さんがご病気のことが本当かどうか、まだ自分自身疑っているんです」

「疑う?」

「僕らが通っている婚活の相談所って、どこまで信じて良いのかわからないところがあるんです。もちろん、なかには真剣に来ている方もいれば、反対に気軽な気持ちで相手を見つけたいとか、そういう風に色々な人が出入りしているんじゃないかって思って……」


仲江はその言葉を聞いて含み笑いをした。葵陽は戸惑いながら何かが可笑しいかと問うと彼女は軽く頷いた。


「矢貫さん、考え過ぎですよ。ふざけてくるなら初めから相談所に登録なんてしませんし」

「疑ってすみません。仲江さんの事情を聞いて率直に受け止めていいのか、どうしたらいいものか検討がつかなくなって……」

「病気の事は事実です。やっぱり、外見からはそう弱っているなんてわかるものじゃないですしね」


仲江はバッグからがん検診手帳を取り出して手渡すと彼もそれを見て胸を撫で下ろした。


「いや、僕がいけないんです。……ここに、証明できるものがあって良かった」

「私も前回会った時にお見せしてもいいかと思ったんですが、どう反応されるか様子を見ていました。こちらこそごめんなさい」

「食事、冷めるから食べましょう」


しばらく無言で食事を摂り葵陽は仲江と目が合うたびに小さく心の底にある鼓動が揺れていくのを感じていた。彼女はある程度食事を終えると次にデザートを頼みたいと言ってきたので、好きに選んでいいと答えた。

店員を呼び彼女がティラミスを二つ注文し、自身の仕事の話をしていると店員が運んできたティラミスを見て葵陽は、好きなものを目の前にした子どものように目を丸くしていると仲江は声をかけてきた。


「甘いもの、お好きですか?」

「はい、大好きです!……あ、すみません。大きな声を出してしまって」

「いえ。一緒に食べましょう」

「……マスカルポーネの酸味がちょうどいい。食べやすくて食後に合いますね」

「矢貫さん、正直な方で面白い」

「甘いもの目の前にすると、つい自分の馬鹿正直さが出てしまう。こういう場面を職場の女性群に見せると引かれるんです」

「こんなに喜ぶ男性も珍しいですしね」


二人は笑い合い、時間が経つたびに帰るのが名残惜しい気持ちになっていった。会計を済ませて店の外に出るとまた雨が降っていたので、仲江は葵陽の傘の中に入らせて欲しいと言ってきたので、一つの傘を開きそのまま駅までともに歩いていった。

新橋駅に着き、ホームが別々になる前に仲江は葵陽の腕を掴んでまた会いたいと言ってきた。


「今度は私がお店を探すのでそれまで時間をください」

「良いですよ。また美味しいもの食べに行きましょう」


彼は承諾して、取材が終わった後に一緒に行こうと告げると彼女は微笑んで挨拶をし改札口へと入っていった。葵陽は電車を待つ間に、ちょうどよく浸透して酔い出す身体の火照り加減に心地良さを感じていた。

時折ホームにゆっくりと吹き上がる風が身体を優しく包み込む。仲江に対する疑念も打ち解けていき彼女を信じてあげようという思いになりかけていった。


再び雨が霧雨に変わりビル街の灯りが柔らかく浸っていくのを見送るように電車に乗って家路へと向かった。

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