第11話
翌週、葵陽は深見に企画に使う写真をいくつか閲覧してもらい、ツジリとも取材したレコーダーを聴きながら原稿に目を通していった。しばらくして彼女が次の依頼主に連絡を取ろうとしていた時、葵陽は仲江の話を持ち掛けてみた。
「話って何?」
「俺の知り合いの人に今やっている企画の事の話をしたんだ。そうしたらさ、その人ががんを患っていて手術を控えているみたいなんだ」
「もう新規の依頼は終わってるでしょう。なんで話したの?」
「ごめん。その人の話を聞いているうちに向井のこと思い出してさ」
「ああ、向井ね。あの人も末期がんで亡くなったもんね」
「深見さんにさ、その事相談してみようかと思っていてさ」
「今更って言われるよ。いいの?」
「とりあえず言ってみる。あの人なら泣いて同情しそうな気がするからさ」
「まさかぁ」
そのまさかは的中した。その日の夕方、深見を呼び止めて仲江の話を持ち掛けてできるだけ急いで取材を引き受けたいと伝えたら、滝のように流す涙が止まらなくなった彼を見て、葵陽は慌ててティッシュペーパーを渡し、そこまで涙腺が崩れやすくなったのかと突っ込んでは介抱していてあげた。
「そうか。矢貫もそういう辛い目に会ってきたんだな。俺もな、色んな人の一生の話を聞いてきているから、どうも脆くなってしまっているんだ。まあ今回は特別にその人に会って取材してきて。ツジリちゃんは他の取材が入ったからお前一人で行ってきてくれ」
「分かりました、ありがとうございます」
葵陽は仲江にメールで連絡をして折り返し来た返信に次に会える日程を伝えた。ひと息つこうとしておもいきり背伸びをして椅子の背もたれと一緒に反り返すと、茂木が覗き込んできたので声をあげて驚いた。
「何だよお前!」
「何ですかぁ、そこまで驚かなくてもいいでしょう?これ、差し入れです」
「あ、プリンじゃん」
「祐天寺駅の近くにあるプリン天堂っていうところ。物珍しいものがあったんで買ってきましたよ」
「……これ何かの餅か?」
「わらび餅です。わらび餅の入ったプリンですよ」
「じゃあ早速いただくよ。……うわ、なめらか。これヤバいやつだ」
「私もいただきます……ううーん、とろけるなぁ。店頭にあまり数が無かったから急いで買ってきたんですよ」
「このプリンみたいにさ、嫌な事もさっぱりと忘れられたらいいのにな……」
「例の企画、滞っているんですか?」
「いや、スムーズに行っていますよ。次の依頼主が新規で急に入ってさ、俺単独で行く事になったんだ」
「どんな人っすか?」
「乳がんを患っている人。なんであんな綺麗な人がなるのかなってさ」
「それって例の彼女さん?」
「そういう人が婚活の場にいるなんてな……あっ……」
「婚活?」
「茂木!ちょっとこっちに来い!」
葵陽は一瞬にして気が緩み、口が滑ったので慌てて茂木の腕を引いて会議室に連れ込んだ。
「矢貫さん、もしかして再婚考えているんですか?」
「しっ!もう少し声を落とせ。……一応な。月に一、二回くらい結婚相談所にも顔を出しに行って聞いているんだ」
「それ、ツジリさん知っているんですか?」
「知らないよ、バレたら殴られそうで怖いわ。別にここまで隠さなくてもいいけどさ、できるだけ慎重に事を進めていきたいんだよ」
「婚活なんてみんな堂々としていますよ?私も喋らないようにしておきますが、そのうちバレますって」
「とにかく今は黙っていてくれ、頼む!近いうちにプリンのお返しするからさ」
「え、マジっすか?じゃあ欲しいもの考えておくんで。私デスクに戻りますね」
「言わないでよ!」
「はーい」
それから数日が経ち、次の依頼主の所へ行きあらかじめ記載されていた連絡先の住所地に向かうと二階建ての一軒家に着いてインターホンを押すと、玄関から一人の二十代前半の小柄な女性が出てきた。
「真野さんのご自宅ですか?」
「そうです」
「柳の輪出版社の矢貫と辻本と言います。先日弊社にご家族さまの依頼を受けて今日来ました」
「ちょっと待っていてください」
その女性はどこか挙動不審になりながら家の中に入っていき、すると再びもう一人の母親らしき女性が出てきて挨拶をしてきた。
「雑誌の応募をされていた出版社の方ですね。お待ちしていました、どうぞ中へお入りください」
「お邪魔します」
リビングに入りソファに座ると母親が先程出迎えた娘だという女性が向かい合って座ってきた。
「今回の依頼が娘さんが一人暮らしをされるという事で伺っています。詳しい経緯を聞かせていただきたいのですが?」
娘は落ち着かない様子でいたのでツジリは母親に訊いてみたところ、彼女は軽度の知的障がいを持っていると話していた。当初は都内にある障がい者が働く事業所で数年ほど在籍していたが、本人が一人暮らしをしたいと言い、大阪にいる親族を頼りに彼女が働ける場所を探したところ、鞄を製作している障がい者雇用の枠の会社があり、見学に行った際に彼女が興味を持ち始めて、デザインしたデッサンがそこの代表者に気に入ってもらい、その縁で行く事が決まったという。
そこで母親は娘を自分の部屋にいるように指示してきて、彼女が部屋へ入るともう一つの相談があると話しをしてきた。
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