#6 プラネタリーフットルーザー

 そいつは突然、俺の進路に現れた。先行するFS数機の挙動を追っていたメインディスプレイいっぱいになったそいつは、彼らとL5チェックポイントを一瞬で飲みこんでいた。



 商用恒星間航行の自由化を五年後に控えた昨年秋に、このグレートレースは開催された。L1とL2をスタートしたフォーミュラシップFSが公転軌道進行方向のL4、太陽の向こう側OSOSを通過してL5で折り返して一周する前代未聞の内惑星系レース「フォーミュラS」。全行程九億キロメートルにもおよぶ超長大な楕円軌道オーバルコースで速度と正確さを競うレースは、まさに次世代恒星間ロケットエンジンの性能試験場だった。

 それだけではない。完走まで優に九か月はかかるとされるこのレースだが、性能を最優先されるためペイロードは限りなくゼロに近い。そのうえ計算上の最大加速は20Gを超える。とても生体ウェットウェア操縦士パイロットに耐えられるものではない。そのため、FSパイロットは自律AIに限定される。ここでもハードウェアメーカー、蓄電メーカー、人工知能教育システム、脳転写医療等々の企業体が格好のプレゼンテーションの場と捉えていたりする。

 要するに、次世代先端産業の総合品評会なのだ。


 エンジンを提供する大手六社が早々に出走を決めて着々と準備を進める中、技術力はあるが弱小の町工場群がAI医療をメインとする二流財閥、童夢ホールディングスを軸に集結し、第七の出走枠に名乗り上げた。

 他に比べて準備期間の短いチーム童夢は、パイロット育成でズルをした。いや、別にズルではないのだが、今後のレギュレーションではほぼ間違いなく禁止になるだろうスキームを使ったのだ。つまり生体脳の全転写、である。

 その年の月周回耐久レースエンデューロで終盤に大激走し、初の掲示板に乗るかと思われた最終ラップで工業デブリと接触してクラッシュした機の生体パイロット、すなわち俺をFSパイロットにスカウトしてきたのだ。


 全身不随で感覚神経系のほぼ全てが断裂していた俺の脳にプルーフを打ち込み、脳の全記録をAIに転写して普通に機能する(セックスだってできる)合成生体を用意してくれるという悪魔の契約をもちかけてきた奴らは、見返りにたった一回だけのグレートレース出場を要求してきた。外界との接触が立たれ、煮え切らない思念だけをぐるぐるさせていた俺が、その提案を拒むワケもない。

 かくして俺は、世界初の脳転写AIの宙機パイロットとなったのだ。




 レースも半年を超え、最終局面が迫っていた。太陽フライバイでは経験値を活かし、他のメーカーAIたちよりも有効な加速を得ることはできたが、所詮は寄せ集めである。大手が本気で作ってきた大口径エンジンに出力で敵うはずもなく、最終コーナーのラグランジュ5手前での先行集団との差はおよそ一時間。距離にして十万キロ近く離されている。先頭集団の三機などは、まさに今ターンせんとするところだった。ぎりぎりまで減速を遅らせたとしても、三十分詰められればいいところだろう。あそこを越えたら、あとは地球圏までまっすぐだ。差を詰めるポイントは無い。ここまで水をあけられてしまっては、事故を呼ぶ男、アンラッキー・オサムの出番もあるまい。

 いや、むしろよくやったと言ってもらいたい。この半年の間、細かいトラブルがいくつあっただろうか。その全てをサポートAIのアキラと共同でクリアして、もとい、辻褄を合わせてきたのだ。町工場の親父どもに恥かかせるわけにはいかないという一念で。


 ドンケツを一人旅する俺が機内で溜息をついていたまさにその時、それは突然現れた。

 ディジタルズームで親指の先くらいに映っていたL5ステーションとその向こうに回り込んでいる先頭宙機のリアルタイム映像画面が真っ赤に染まった。あまりにも瞬間の出来事すぎて、オートフォーカスがついていけてない。俺はマニュアルでズームを引いた。

 前方八万キロ、L5ステーションがあった空間に赤い星が出現していた。即座に各種センサーを集中させる。直系は約一万キロ。表面温度はおよそ千度ケルビン。推定質量は五×十の二十四乗キログラム、誤差前後十パーセント。地球の八~九割のサイズだ。

 二番手集団の三機が次々と落下して、赤い星に飲みこまれていった。俺の機も毎秒九メートル加速の勢いで引っ張られている。重力センサーがあまりの異常値に悲鳴を上げていた。

 出現から十五秒。現在の速度は秒速三十六キロで、アンノウンは進行方向真正面。表面までの距離は七万九千四百キロ。接触まで二千秒を切っている。



「兄貴ィ、俺もう無理だよぉ」


 簡単に弱音を吐くアキラを、俺は叱咤する。


「馬鹿野郎! こっからが俺たちの勝負だ。奴の自転モーメントと角速度を計測しろ!」


「わかんないよぉ。あいつ、いきなり出てきたんだぜ。あんなの俺にわかるワケないじゃん」


 アキラが泣き声で返してくる。こいつはホントに駄目駄目な奴だ。普段は腰が軽いくせに、想定から外れた突発事態にはこうも弱いとは。

 かっとなって放り出したい気持ちを、俺はむりやり抑える。だがこんな馬鹿でも相棒だ。しゃんとさせればまだまだ役に立ってくれる……はず。


「出てきた原因や経緯なんてどうでもいい。いいか。今現在、あの天体はそこにあるんだ。それだけを考えろ。回転さえ把握できればフライバイができる。アレが地球と同じくらいの質量なら、俺たちの速度は十分に脱出速度を上回っているはずだ」


 俺の檄で、アキラは少し立ち直った。何を一番にすべきかが判ったとみえる。



 しばしの沈黙。ディスプレイが表示する相対距離はその数字を刻々と減らしている。接触までのカウントダウンは千八百二十秒。重力圏に捕らえられるのはプラス何秒なのだろうか?


「出た! 回転角ラジアンは地球と全く同じ。回転速度はちょい早い。公転軌道も地球と同じだよ」


「フライバイのための進入角補正は?」


「やってる。でも残り燃料の八割は必要。これ使っちゃうとL2で止まれなくなっちゃうよ」


「それはあとで考える。今はあの化け物から脱出することだけを最優先にしろ!」


「わかったよ、兄貴」


 アキラが答えるのと同時に機体に横Gが加わった。スラスターを噴射したようだ。そうだアキラ。余分なことは考えるな。今は機体をフライバイ軌道に乗せることだけに集中しろ。


 ディスプレイの半分を埋める赤い星が、少しずつ中心から左に外れていく。距離は六万五千。進行ターゲットはまだ赤い円盤の中。


 五万。四万五千。縁が近い。


 相対距離が二万を切ったところで赤い天体の外縁を外れた。ディスプレイに映る天体のへりの弧は、すでに直線に近くなっている。


「よし。そのまま突っ込むぞ。天体との近接点は十キロ以下。離脱までの時間は百二十秒。表面が肉眼でも見られるぞ」




 宙機は秒速四十キロの高速で、星の表面をかすめるように飛んでいた。表面には炭酸ガスと硫化水素の気体が発生していたが、高度十キロでの気体濃度はまださほどでもなく、多少の減速はあったものの無事通過することができた。

 星の大地は赤黒く煮えたぎり、そこここの表面がかさぶたのように冷えて固まっては、ずれてひび割れて赤い血がにじみ出る。そんな様子がパノラマ静止画のように窓の下を流れていった。



 

 俺とアキラを乗せた宙機は、L2ポイントで広げられた減速ネットの手を借りて無事回収された。結局、レースを完走したのは俺たちの七番艇だけだった。と同時に、それまで一部でだけの通り名だった「アンラッキー・オサム」の名前は、「アンラッキー・セブン」として人口に膾炙されることとなった。

 ちなみに俺たちが得た赤い天体の情報は、その後大きな事態を引き起こすことになったのだが、それはまた別の話になる。




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※筆者註:本文中の数字および単位系はすべて、読者の皆様が把握しやすいよう(読者諸兄が所属する)地球標準に置き換えております。

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