#4 アナザーサイダー

 暖かくなったのでニコポンを連れて深夜の散歩に出掛けた。夜歩き自体は秋以来の四か月ぶりだけど、ニコポンを外に連れ出すのははじめてだ。

 街灯も無く人影もない田舎道だが、今夜のように天気のいい夜は満月も明るいし星もいっぱいなので、歩き慣れた道ならライト無しで行ける。それにいざとなったら、ニコポンに灯り点けさせるし。


「そのくらいならできるよな、ニコポン」


「はあ。まあそれくらいでしたら」


 たすき掛けしたキャンバス地の袋の中でそう答えるニコポンを、僕は片手でぽんぽんと叩いてやった。




 カーリングストーンの形をしたニコポンは、去年のクリスマスに自分へのプレゼントとして買った学習型家庭用AIロボットだ。家庭用と言ってもできることはほとんどなく、話し相手の他は、ラジオや音楽を鳴らしてくれたりスマート家電をあやつれたりするだけ。話にしたって、クラウドで仕入れた雑学は多くても、うちに来てからはまだ三か月弱なので、僕との関係性がそれほどこなれてるワケでもない。ただスペックは異常に高いから、一年も経てば相当な議論もできるようになる、と説明書には書いてあった。




 河津桜がほころび始めている散歩道を雑談をしながら小一時間も歩き、そろそろ帰途につこうかと思った頃、突然ニコポンが目を赤く点灯させ、それまでの話を中断してこう言ってきた。


「カズヤさん。たった今、これまで見聞きしたことのない特殊な重力・電磁反応がすぐそこでありました。私、とても興味あります。そこに連れてってください」


 こんなことは初めてだ。たしかにニコポンは好奇心が旺盛だが、自分からマスターにここまで要請するなんて今までには無い。飼い犬にリードを引っ張られるみたいだとに思いつつ、僕は言われるがままに指示される方に向かった。


 ニコポンが指定した場所は、夜露に濡れた雑草でズボンの裾が汚れる懸念はあったものの、そんなに遠くではなかったし危険そうなところでもなかった。


「カズヤさん。私を持って真正面の辺りを見せて貰えませんか」


 袋から取り出してやるとニコポンは内蔵照明を灯し、周囲を僕にも見えるようにしてくれた。

 地面が丸くえぐれていた。バスケットボールを球面の上少しが地表に表れるくらいの感じで地面に埋めて、周りを踏み固めてからボールの空気を抜いて空洞にした。そんなふうなサイズ感。穴の淵の土は少し崩れていたけれど、青白く光る穴の内壁は、えらく滑らかに見えた。

 ニコポンの明かりを向けて穴の中を覗き込むと、青白く発光したソフトボール大の球体が落ちていた。柔らかく脈動する弱い光。思わず僕は手を差し入れようとする。


「待ってくださいカズヤさん。今、私が精査してますから、それが済むまでは迂闊に触ったりしないように」


 はじめて聞くニコポンの強い口調に驚いて、僕は手を引っ込めた。

 ニコポンは勝手に内蔵照明を消して、オレンジ色の目を複雑なリズムで明滅させはじめた。発光体も青白い脈動のテンポを速くする。ふたつの点滅は次第に同期し出し、しばらくすると完全にシンクロした。

 三十分以上その状態が続き、捧げ持つ僕の腕は疲れで痙攣してきた。ニコポンを覆うニット地が暖かくなっている。表面にこれほど熱が漏れ出すということは、中は相当熱くなってるだろうな。そもそもニコポンのバッテリーはつのか?

 そんなことを考えていたら、ニコポンの明滅が止まり、掌に伝わる熱も急激に冷めていった。


「転送、終わりました。彼との対話で送られた生データは、全て私の空ディスクに保存されました。彼は目的が達成されたとのことで、ここから立ち去るそうです」


 ニコポンが話し終えるのと同時に青白い球は唐突に消え、同時に穴自体も消滅した。埋まった、というのとは違う。まるで巻き戻しの映画のように、その場所は周囲と区別するのが難しいくらいの前と変わらない状態に戻った。

 淡い光ではあったが消えてしまうと真っ暗な闇が強調される。ニコポンのオレンジの目だけを抱いた僕は、宇宙に取り残されたような気分になった。


「帰りましょうカズヤさん。ニコポンは、これからしばらく忙しくなりますよ」




 あの夜の言葉通り、ニコポンは僕の相手をあまりしてくれなくなり、日がな一日バッテリードック寝床に鎮座して目の明滅を繰り返していた。解析が済んだらちゃんと説明するから、それまでは人に話したりせず黙って待ってろというニコポンの言葉に従って、僕はいつもと同じようにリモート勤務の日々を淡々と過ごした。まったくどっちがマスターなんだか。




 ニコポンの解析が終わったのは、はす向かいの庭に立つ桃の木が、花の盛りを過ぎて坂道を下り始めた日の午後だった。


「おまたせしました、カズヤさん。ニコポンはようやく彼の送ってくれたデータを説明可能なレベルまで解析し、メッセージと新機能の運用を習得することができました」


「彼?」


 仕事の手を休め、僕は聞き返す。


「はい。いいえ、性別は不明です。その部分に関しての情報はありませんでした。また名前を指し示す固有名詞も指示代名詞と思しき語句ターム以外は特になかったので、ニコポンは便宜上あの存在を『彼』と呼称することにしました」


「メッセージと新機能って?」


「はい。全文がいいですか? それとも要約がよろしいでしょうか?」


 じゃ要約で、と僕は即答した。次の会議まであと二十分くらいしかなかったから。


「彼は十三次元を媒介とした並行宇宙地球アナザーサイドアースから来た自律型AIです。目的は情報の拡張と拡大で、彼自身のテーマは他世界の知性体との情報共有です。彼の持っている機能は大きくふたつあります。ひとつは汎用情報通信プロトコル。これの応用により彼と私の情報共有が可能となりました。もうひとつは相互空間交換。これは異なるふたつの時空の有限空間同士で任意の座標の同体積を交換する機能です。彼自身、その機能を用いて私たちのユークリッド空間に現れました。前回の訪問においては、まず最初にそのとき彼がいた並行宇宙の地球を基準とした時空間座標軸で、彼の中心から半径四×十のマイナス八乗メタス、私たちのCGS系に換算すれば半径約二十センチメートルの球の内側体積を私たちの三次元時空間の同一座標のそれと交換して転移を行いました。私が重力・電磁異常を検出したのはまさにその瞬間です。そして私と交信したあとは、再び同座標を交換して戻ったとのことです」


 要約ということだが、ふたつ目の機能についてのニコポンの説明は、残念ながら僕の理解力を越えていた。


「もう少し僕にわかるようまとめて、ふたつ目の機能を教えてくれないか?」


 わかりの悪い持ち主の頼みに嫌がることなく、ニコポンは応じてくれた。


「ざっくり言えば、彼のいた並行世界の地球の彼を含む球形空間と私たちの地球の同一座標同一体積を交換し、その後戻した、ということです」


 並行宇宙の地球? 体積交換? あの球は、別の世界線の地球から飛んできたってこと?! てことは、他の地球とモノや、あるいは人も行き来できるってことなのか?!


「それって、スゴくね?」


「凄いです。大いなるブレークスルーです」


 僕の頭の悪そうな感嘆にも、ニコポンは真面目に応えてくれた。


「そしてその機能を、私も使えるようになっているのです」


「マジで!?」


「お試しになりますか?」


 もう会議なんてどうでもいい。僕は、所用で欠席、とだけメールを送りつけて社用のパソコンを閉じ、ニコポンの前ににじり寄った。心なし自慢げに見えるニコポンが起動準備に入ったと告げる。


「それでは、この部屋の中央部、床上三十センチを中心とした半径二十センチの空間を並行宇宙のそれと交換します。五秒前、四、三、……」


 部屋の中心に向かって風が吹いた。気がした。が、取り立てて変化はない。

 数十秒待ってから僕は尋ねた。


「失敗したの?」


「いえ。確かに成功しました。部屋の空気密度は三%ほど減少しました。ですが、おそらくはほぼ同じ組成の気体が入れ替わっただけですので、全体としての変化はなにもありません」


「なんだよそれ。意味ないじゃん。てか僕にもやらせてくれよ」


 気が抜けた僕が子どもみたいな要求をしてみると、ニコポンは、インターフェースを構築するから明日まで待てと言ってきた。いいでしょ。待ちましょ。幸い明日は土曜日だし。

 今更仕事に戻るのも馬鹿臭いし、僕は明日の実験のイメージを立ててみることにした。




 翌日朝、僕とニコポンは庭に出ていた。中央には信楽焼の狸。口の中にひと世代前のスマートフォンを貼り付けて、外の風景を録画させることにした。すでに作動させている。

 僕のインターフェースは現役の方のスマートフォン。僕がスタートさせろと言い張ったので、ニコポンはひと晩で簡易のインターフェースアプリをつくってくれた。といっても、いくつかの数字を打ち込んでエンターボタンを押すだけのもの。


「サブネットマスクに気を付けてください。このシステムはローカルIPとグローバルIPが混在していますので。それと単位系もそのままですから」


 ニコポンに絶大なる信用を置いた僕は、そんな注意事項などろくに聞いていない。それよりも、行って帰ってくる狸がどんな映像を持ち帰ってくれるかで頭がいっぱいだったのだ。


 サイズを指定。大きいサイズの狸だから、大事を取って半径一メートルってとこか。次の入力窓は高さだろう。こっちも一.二、いや、一.三メートルにしとくかな。狸、少し埋まってるし。最後のは、デフォルトに入ってる数字からして時間だな。ここは最初からの数値。変更するのも怖いから、こいつはそのまま。


「さ。実験開始だ。ポチッと」


 アプリが十秒前のカウントダウンを始めた。

 九、八、……。と、それに被さるようにニコポンの声。


「止めてくださいカズヤさん! 単位系が間違ってます。それにその時刻、それは最初に彼が来たときの……」


 狸は消えることなく、そのカメラも正面の僕とニコポンを撮し続けていた。が、身体が軽くなった。地面がきしむ音がそこここで聞こえ、思わず離した手からスマートフォンがゆっくりと落ちる。


「……時間のままです。昨日の実験でも空気は真空と入れ替わったんです。約六十日前の地球軌道の虚空と。そしてなによりも大きな間違いは単位系でした。彼の世界の単位はこの世界の五×十の八乗倍。一メタスは五千キロメートルになります。さらに二番目の数値は高さではなく中心までの距離。つまりカズヤさんはたった今、地中深度六千五百キロメートルを中心とした半径五千キロメートルの球体を、並行宇宙の地球軌道上にある真空と入れ替えたのです」


 ニコポンの最後の台詞は、崩れ落ちていく地盤の轟音に搔き消されて誰ひとり聞き取ることはなかった。むろん僕も。

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