第3話 問題児と更生官(後)

「——きみはどうしてそこまでこの分野にこだわるんだい」と、僕は彼女が落ち着いたのを見計らって訊ねてみた。「自分には才能がないって、きみの方が痛いほどよくわかっているんじゃないのかな?」


 僕の言葉を受けて、彼女は歯痒そうに表情を歪めた。彼女の脳裡には今、これまで辛酸を舐めてきた経験が浮かんでいるのだろう。


 実際、問題児として生きていくことは、ともすれば僕らが想像する以上に苦難に満ちた道なのだ。才能があれば一日で出来るようになることが、才能がなければ一週間経ってもできないことなんてざらにある。そのうえ周囲を見渡せば、自分がいつまでも出来ないでいること、あるいはそれ以上のことをいとも容易くこなしてしまう人たちがいる。


 当事者でない僕には、彼女たちがどれだけの悔しさを味わってきたのかを正確に計り知ることはできないけれど、それが並大抵のモノではないということは断言できる。


 だけど、それでも彼女たちは問題児としてあり続けてきた。理不尽とも言える環境や結果にたえず苦しみながらも、彼女たちは努力を続けてきたのだ。


 彼女たちの背後には、それらを覆すほどの何かがあるのは必然だった。


 果たして彼女は言った。「——約束したのよ」

「約束?」僕は訊き返した。「それはどんな?」


 ここからが正念場だと僕は気を引き締める。


 さっきも言ったけれど、僕ら更生官の役目は彼女たち問題児が才能のない分野に努力を傾注しようとする意志を解消させることにある。そしてその努力を、正しい才能に向けさせることに。


 そのためには彼女たちが問題児として歩み始めることになったきっかけを明らかにすることが、もっとも重要なことのうちの一つだった。


 蚊の鳴くような声で話す彼女の言葉に、僕はじっと耳を傾ける。


「……妹と、約束したの。わたしが……お姉ちゃんが、望美のぞみの代わりに、望美の夢を叶えてみせるからって。……望美が死んじゃうまえに、そう、約束したのよ」


 僕は机の上に広げておいた彼女に関する資料について改めて目を通してみた。それによると、確かに彼女のいうとおり、彼女には望美という妹がいて、その子は彼女が一二歳の時に亡くなっていた。どうやら病死だったようだ。


「……望美は先天性の病気だったの。今でもまだ有効な治療法が見つかっていない、いわゆる不治の病ってやつだった。……でも、望美はそのことを決して嘆いたり、弱音を吐いたりせずにいつも笑ってわたしに言っていたわ。『ねえ、お姉ちゃん。わたしには薬をつくる才能があるんでしょ? えへへ、じゃあちょうどいいね。わたしはね、お姉ちゃん。いつか絶対、わたしと、わたしと同じ病気の人をみんな治せるような薬をつくってみせるよ。きっと。だから、それまでいっぱい頑張らなくっちゃ』って。……でも、その夢を叶えるまえに望美の病状は悪化していって…………」


 彼女の頬を涙が星屑のように流れ落ちていった。その涙を見て、僕は強く胸を揺さぶられる。でも、すぐに僕は自分が更生官であることを思い出して、


「……きみの妹が、きみに後を継いでくれるよう頼んだのかい?」


 と彼女に訊たずねた。そうだとしたら厄介な案件になるだろうな、と心の中で思いながら。


 死者の今際いまわのきわの言葉ほど、生者せいじゃを縛るモノを僕は知らない。


 だけど、僕にとっては幸いなことに、彼女はゆっくりと首を横に振った。


「……わたしが、そうしたいだけ……」


 僕は彼女に悟られないように気をつけながらそっと胸を撫で下ろした。そして同時に、自分に対する吐き気のするような失望をごまかすように、僕は考えてみた。


(亡くなった妹のために、か……。)


 だけど彼女がどれほどそれを決意しようとも、その先には悲劇的な結末しか待っていないことを僕らは知っていた。彼女の望む分野では、彼女は決して成功を収めることはできない。彼女に才能がない以上、それは決して揺るがない事実だった。


「……妹の夢を継ごうとするきみの姿勢は立派だって、素直にそう思うよ」


 本当に……きっと彼女の姿は正しいのだ。


 例えば僕が更生官ではなく彼女の友人で、彼女から妹の夢を叶えたいという強い決意を聞かされたとしたら、何も言わず背中を押してあげていたかもしれない。あるいは彼女が更生官に見つからないように隠し通しさえするかもしれない。もしかしたら彼女も、そんな周囲からの協力があったから、五年間も問題児としてあり続けられたのかもしれない。


 けれど実際には僕はいま更生官で、彼女は僕の担当する問題児だった。


 更生官の使命は、問題児に更生を促すこと。正しいとされている道に彼らを引き戻すことだ。


 だから僕は告げなくてはならない。


「でもね」と、僕は彼女のあおく静かに燃える瞳をみつめて言った。「——きみの妹は、いちばんにきみの幸せを願っているはずだよ」


 僕ら更生官にとって一番大事なスキルは、自分がロボットであることを心がけることだ。同情心を持ってはいけない。冷徹な心を持って、彼女たちに現実を突きつけなければいけない。それが彼女たちの為であると信じながら。


「きみにとって残酷なことを言うようだけど、僕ら人類にとって才能は絶対なんだ。それは〝保有才能調査〟が実用化される以前からの真理で、人は才能がない分野ではいくら努力したって才能のある人間には到底及ぶことがないって言われてきたし、また現代では多くの事例からそのことが実証されてもいる」


「だけど、幸いなことに現代を生きる僕らは、事前に自分の持つ才能を知ることができるようになった。それは本当に幸運なことなんだ。想像してごらんよ。ほんの一〇〇年ちょっと前までは、年老いた数学者が実に七〇年もの歳月をしても証明することができないでいる数式を前に頭をかかえていると同時に、世界の裏側では鼻くそをほじるくらいの気軽さでその証明を一五歳でやってのける少年がいたんだ。しかもそれは限られた例なんかじゃなくて、どんな分野にも、それこそ星の数ほどいた」


「そしてさらに言えば、数式と格闘しているあいだ、老人はこう思っていたのかもしれない。『私には数学の才能があったからこそ、今まで数学者としてやってこられた。だがしかし、私がどれほど心血しんけつを注いでも、私には目の前の数式を証明することができないでいる。ふむ、やはりこれは未来永劫解くことができない問題なのかもしれないな』と。だけど後者の少年はこう思っていたのかもしれない。『こんな簡単な証明やる意味あるのかなぁ……』ってね。まったく、それは実によくできた喜劇だって僕は思うよ。きみもそうは思わないかい?」


 もちろん彼女はうなずくことなく、じっと俯いて押し黙っていた。その姿からは、彼女に僕の言葉が届いているのかどうかはわからない。僕は彼女が聞いてくれていると信じて話を続けた。


「とにかく、僕らはこの幸運な時代に生まれてきたことに感謝し、相応の努力をしなければいけないんだ。自分の才能を伸ばす努力をね。……だって現代に生きる僕らは〝保有才能調査〟のお陰で、誰もが自分の才能を遺憾なく発揮できる権利を与えられているんだから。行使すれば成功は約束されていて、幸せになれる権利を」


 ——過去の時代の人たちからすれば、自分の才能が知れるなんていうのは垂涎モノの権利なんだ。たとえ何万、何億、何兆円かけても欲しい人がいるくらいに。


「だけどきみはその権利を破棄してしまおうとしている。その先に待っているのはただ破滅だけにもかかわらずに。残念ながら、努力は才能には勝てない。それは僕らが人類として誕生した瞬間から決まっている普遍的な真理なんだ。僕らの身体がDNAに従っている限り続く永遠の真理。だからきみがこれから先、たとえどれだけ寝る間を惜しんで妹の夢のために努力を続けたとしても、きみが望む結果は決して得られない。奇跡なんて起こるはずがないんだ。それはただきみを不幸にするだけなんだよ」


 僕が話を続けるあいだ、彼女はずっと言葉をなくしてしまった猫のように黙っていた。


「なにより——」僕はそんな彼女に向かって、ズルくて汚い、だけど決定的な一言を告げた。「——きみの妹は、自分のためにきみが不幸になることを望むと思うかい?」

「……」

「そんなはずはないよね? ……きみの妹は、きっと誰よりも、きみには幸せになって欲しいと願っているよ」


 とても仲の良い姉妹だったのだろう。亡くなった妹のために、結果の伴わない努力を五年間も続けるほどに。でもだからこそ、僕の最後の言葉は、どれだけ彼女が虚勢きょせいを張ろうとも、五年の間に衰弱しきった彼女の心を断ち切るのに十分だった。


 そうして、永遠とも思えるような数分が流れた後、やがて彼女は俯いたまま歯を食いしばり、目にまた涙を溢れさせて、それからゆっくりとうなだれるように首を縦にふった。


 僕はそれを見て「ありがとう」と言った。


 彼女はただ静かに涙をこぼしていた。


 これで、僕の仕事は終わりだった。

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