笹垣くんに彼女は要らない

そばあきな

笹垣くんに彼女は要らない



 この間から、俺は変な同級生に好かれている。



笹垣ささがきくんには彼女は要らないよね!」


 そう言って俺の背中に腕を回したのは、同じクラスの半月はんげつ時雨しぐれだった。

 160センチギリギリない小柄な体格に、まだ幼さの残るあどけない顔立ちをした半月は、一見すると中学生にも見える容姿をしている。

 けれど、それを半月本人に直接言うと不機嫌になるので言わない――というのが周りでの暗黙のルールだった。


 そんな同級生にしては幼い見た目の半月へ、目線を合わせるようにして身体をひねると、すり寄っていた半月が「うっ」と声を漏らすのが聞こえた。

 慌てて身体を戻す。その動きで、一瞬昼に食べた弁当の中身が胃から飛び出すかと思った。

 なんとか飲み込んで背中の方に顔を向けると、「ちょっと笹垣くん、酷いじゃないか!」と、むくれる半月と目が合う。


 その姿を見ていると、本当に年下を相手しているようだと思ったが、あいにく俺には兄弟姉妹がいない。

 だから、どう対処すれば子供のような半月が満足してくれるのか、俺には分からなかった。


「……あのなあ、半月」

「うん?」


 自分の言葉に、半月が楽しそうに首をかしげる。


 少し前まで、自分と半月の関係について特記すべきことは何もなかった。

 たまに誰かを通して話すだけの、ただのクラスメイト。

 それがどうして、これほどまでに半月に声をかけられるようになったのだろうか、正直覚えがなかった。


「半月に言いたいことがある」

「何? 告白ならいつでも待ってるよ」

「しない。告白じゃない」


 その言葉にあからさまに残念そうにする半月に対し、自らの人差し指を突き出す。


「まず、咄嗟に動けないから誰かに動きを封じられるのは苦手だ。今度からはしないように頼む」

「理由が格闘脳すぎるんだけど。もしかして誰かに狙われてるの?」

「狙われている、ねえ…………」


 その言葉で目の前の半月のことが頭に浮かんだが、当の半月はその答えに行き着いてはいないようだった。

 半月が離してくれたことで身体が楽になったので、一度息をついてから、俺はそのまま話を続けた。


「そして、彼女の話だ。要る、要らないの話ならいつかは要るだろ」

「いや要らないよ。だって僕がいるからね!」


 自らの胸に手を当てながら、半月は身体をのけ反らせて自信満々に口を開く。


「だからその自信はどこから来るんだ」

「何ならそこらの女子より可愛い自信あるから、笹垣くんが望むなら女装もするし!」

「話聞けよ。自信が底を尽きることはないのか」


 いや、逆にこのポジティブさは逆に見習った方がいいのかもしれない。

 実際に半月の顔立ちは可愛い部類に入るのだろうし、女装をしたらそれなりに上位になるのだろうと思う。

 ただ、ここで正直に肯定してしまえば半月は調子に乗り、俺にますます構うようになるだろう。


 俺に構う時間があるなら、それこそ彼女を作る時間に割いてほしいというのが本音だった。

 そんな俺の心情なんていざ知らず、今日も半月は楽しそうに俺に絡んでくる。


「だから、もし合コンを断りたい時には呼んでね!いつでも女装するからさ!」

「だから話を……」


 聞けよ、とうきうきした半月に告げようとした時、「おーい笹垣」と別のクラスメイトに声を掛けられた。


「話し中のところ悪いな。笹垣に用があるってよ、が」

 、の部分を強調したクラスメイトの指差す方向を向くと、同じ部活の女子が廊下からこちらを見て手招きしていた。


 昨日の部活が終わって学校を出た後に、廊下にいる彼女から落ちていた俺の学生証を拾ったという話は聞いていた。

 別に次の部活まで彼女に預かってもらっていても良かったのだが、「持っていてもしょうがないし」と言われたので、部活の前に受け取ることにしたのだ。

 今日の休み時間に届けてくれるとメッセージが来ていたので、おそらくその用件だろう。

「ああ、分かった」

 それだけ言い、俺は半月をその場に残して廊下の方へと足を進めていった。


 廊下まで進み「はい、笹垣くん」と部活の女子から学生証を受け取る。

「じゃあまた部活で」と手をひらひらさせて別れる彼女を見て、ふいに先月の土曜に会った子のことを思い出した。



 ――――先月の土曜のことだ。

 外出した先で俺は、ナンパ男に絡まれていた小柄な子を助けた。

 言い寄られていた方が明らかに困っていそうな雰囲気だったので、お節介かとは思いながらも、俺は言い寄っていたナンパ男と言い寄られていた子の間に割って入ったのだ。

 その際、咄嗟にその子の彼氏のふりをして相手を追い払ったのだが、その子はそのことには触れず「ありがとうございます」と照れたようにほほ笑んでいたのを覚えている。

 その子は帽子を目深に被っていたから、顔まではちゃんと見えなかったはずなのに、可愛かったような記憶があるのは思い出補正なのだろう。


 ――そう、もうはっきりしたことも思い出せない先月の出来事の一つだ。

 どんな服装だったかもほとんど覚えていないし、その子の名前だって聞いていない。


 おそらく今後出会ったとしても、俺はその子だと認識することもできないのだろうと思う。


 それでも、月が変わった今でも時々思い出してしまうあたり、少しばかり未練があるのかもしれなかった。



 そう思いつつも教室に戻ると、俺が去った後もその場にとどまっていたのだろう、一歩も動いた様子もなくじっと足元を見つめる半月がいた。

 俺の知る、底なしに明るいいつもの姿とは違った様子の半月の雰囲気に、一瞬戸惑う。


 何かを憂うような半月の表情に、どうしてだか、先月に出会った子の姿が重なった。


「半月、何してんだ」と、咄嗟に声をかける。

 声をかけられた半月はというと、じっと見ていた足元からゆっくり視線を上げ、どこか不安げな目を俺に向けて口を開く。



 その目を、俺はどこかで一度見ている気がした。



「笹垣くん、彼女作るの……?」

「………………はあ?」


 その言葉に思わず、ため息のような声が漏れた。

 まさかあれだけ俺に彼女は必要ないと豪語している半月から、そんな言葉を聞くとは思わなかった。

 俺の落胆をよそに、半月は勝手に話を進めていく。


「そうだよね、笹垣くんカッコいいし、やっぱり僕じゃ………………」


 珍しくしゅんとした半月の額に、俺はデコピンをして口を開く。


「あのなあ、半月。まずさっきの子は同じ部活の女子で、俺の学生証を届けに来てくれただけだ。あと彼氏持ちだから変な噂流したら俺が怒られるからやめろよ。それに――」


 そこまで言って、俺は一度息を大きく吸って、もう一度半月の額にデコピンをした。


「――お前が『俺に彼女は要らない』って言ったんだろ、それだけ言うなら最後まで自信持てよ」


 俺の言葉に、半月が一度驚いたように目を開いた、気がした。


 しかしすぐにいつもの楽しそうな表情に戻り、俺の腕を引き寄せて笑みを浮かべる。


「そうだよね! まあ分かってたけど! だって僕がいるんだからね!」

「…………あのなあ」


 さっきまでのしおらしさはどこに行ったのか。

 でも、こっちの方が半月らしくてよっぽどいいと思えた。


「そういえば、なんで半月は俺のことをそんなに過大評価してるんだ?」

 なんとなく尋ねてみると、半月は首をゆっくり横に振った。


「過大評価じゃないよ。だって君は、困っていた僕を助けてくれたからね」

「そんなことしたっけか?」


 半月を助けたことなんてあっただろうか、と首をひねる。

 そんな俺の様子を見て、半月は少しおかしそうに笑った。


「別に覚えてなくてもいいよ。僕が覚えているからさ」

 どうやら教えてはくれないらしい。

 

 いつの間にか機嫌を直したらしい半月を見ながら、俺はふと考える。


 自分がいるから俺に彼女は要らないと豪語し、女装をすればそこらの女子より可愛いという自信に溢れ、ふとした瞬間に思い出す子すらその内上書きしてそうな勢いの半月が、いつか俺に飽きる日までは。



 ――確かに、俺にはしばらく彼女は要らないのかもしれない、と思ってしまったのだから。

 

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