どうも、吸血鬼のルークです

けろけろ

第1話 どうも、吸血鬼のルークです

 深夜だった。

 部屋の主、立花京香は、アットホームなブラック企業に勤めているため、疲れですっかり寝入っている。

 しかしテラスには、ごそごそ動く人影一つ。




「……で、これは何事?」

「はは、起こしちゃった? ごめん」

 ベッドに仰向けで寝ている私。

 その私に覆い被さってるのは──オールバックの金髪碧眼、かなりのイケメン、黒マントを着込んだ長身の男。

「とりあえず退いて!」

「連れないなぁ、美しい人」

「連れるわけないでしょ!」

 私がそう言っても、男は一向に退かない。

「まずは自己紹介でもする? 僕はねぇ」

「嫌よ! 早く退いて!」

「あのね、僕は、ルーク=ヴァインベルグっていうんだよ。職業は吸血鬼で──」

「はぁ?」

 退いてと言った私の台詞を華麗に無視した挙句、自己紹介まで始めるルークとやら。

 しかも。

「きゅ、吸血鬼!?」

「うん、ほら」

 ルークが私に、牙を見せる。ふむ、確かに牙だ。通常の人間では有り得ないほど、長くて鋭い。それに服装関連も、黒いマントの中は貴族風な襟元のスーツ……まぁイメージ通りという所だろうか。

「という訳で、いただきまーす!」

「わーっ! 待ってよ!! 貴方に見せたい書類があるの! だから少しだけ退いて!」

 興味を引いたらしい。ルークが素直に私から離れた。

 私は立ち上がり、机の引き出しを開ける。そこには、先日受けた健康診断の書類があった。

「これを見て」

「なに? ……うーん、数値が悪いな、医者に行けとも書いてある」

「でしょう? これは貧血という血が薄くなる病気!」

「……何と言うことだ、美しい人!」

 そう。

 自慢ではないが、私の赤血球は少ない。医者には、「もっと食べろ、太れ」と言われる。ちなみに、レバーなんかは大の苦手だ。

「こんな薄い血を飲んでも、美味しくないよ? ね?」

 ルークが本当に吸血鬼かどうかは判らない。しかし、牙があるのは事実。それだけでも驚愕に値する。だから私は、営業仕込みの話術でこの危機を乗り切る事にしたのだ。

 ルークは健康診断の結果をまだ眺めている。かなり悩んでいる風に見えた。

「確かに、どうせなら美味しく頂きたいものだが……」

「でしょ!? だから、美味しくなるまで待つべきよ。私が治療をすれば、やがて貧血は治るはず。今日は諦めて帰ってね!」

 イレギュラーの割には完璧な作戦だ。私の貧血は、そうそう治らない自信がある。そのうちルークも、飽きるか諦めるだろう。

 しかし。

「いや、諦めきれないなぁ……」

 ルークが、さっと私の傍に来る。足音も立てず、かなり素早い。

「君を初めて見かけた時の胸の高鳴りを思えば──とても諦めきれない」

「……胸の高鳴りって」

 芝居がかった仕草で、ルークは朗々と歌い上げる。

「気が狂ったような暑さの夜! 滑らかな陶磁のような肌、どこまでも黒く闇に沈む髪! その瞳は宝石のよう! しなやかな手脚! これに心奪われずして、いったい何に──!」

 夜空に向かって片手を差し出すルーク。一方、置いてけぼりの私。

「……盛り上がっているところ悪いけど、私をいつ見かけたと?」

「さっきだよ、三時間くらい前」

「ああ、ティッシュと卵が切れて、急遽買いに行った時かぁ」

 ルークが、がくっと膝を折った。軽く涙目になっている。

「物憂げな表情も素敵だったんだが……! ティッシュに卵……!」

「確かに物憂げだった。夜だというのに面倒くさい、と思っていたから」

 私は戦利品のティッシュを一枚、ルークにくれてやった。ルークが涙目をごしごしと拭く。

「まぁいいよ。ティッシュだろうと、卵だろうと、君は魅力的だ」

 気を取り直すように、ルークが私を抱きしめるが──私には話術以外にもコレがある。同じく机の引き出しに仕舞ってあった、十字架のアクセサリーだ。

「ちょっ……! 君!!」

 十字架を見せた途端、ルークは霧散した。黒と金色が混じったような、文字通りの霧。私は素直に驚いた。

「あなた、本当に吸血鬼なの!?」

「そうだよ! そう言ってるじゃない!」

 ルークが私からかなり離れて、人間の形に戻る。近づけない、という事らしい。

「君はズルい! 十字架なんか!」

「……こうなったら明日からニンニクも使う。もう貴方が私の血を吸うのは無理よ」

「ええーー!! 最初から本気出しておけば良かったぁぁぁ!」

 肩を落とすルーク。

 それを見て、少しだけ哀れになってきた。血液は吸血鬼にとって生命線の食事だ。怪物だから滅びろと言うのも人間のエゴだと言える。かと言って私はこの身を捧げたくはないし、他を当たれと言うのも無責任。

 私はルークにアドバイスをしてみる事にした。

「血が吸いたかったら、ほら……輸血用の血液パックがあるでしょう、あれなんかどう?」

「飽きた。あれをちゅーちゅーするのには、ほとほと飽きた」

 既に飲んでいたか。

 私は更に思考した。

「温めたり冷やしたりすると良いのでは……?」

「いつも体温程度にしてる、冷えても熱くても不味くなるんだ」

 ふむ、温度は工夫できないか。

 では──。

「血液には色々型がある訳だけど……簡単に判るものだけでもABO式三種とRh式二種、もっと細かくすればその数は三百種とも聞くわ。これだけの種類があれば、例え輸血用パックでもブレンドして味と香りを楽しめるのでは?」

「混ぜるな危険って噂で聞いた」

「……確かに凝固する組み合わせもあるね」

 だとすると、アプローチを変えるか。

「食事には雰囲気も必要よ。吸うだけではなく、例えば素敵な器に盛るとか、仲間と飲むとか──どう?」

「素敵な器は考えてなかった。けど、仲間はここ数百年とんと見掛けない」

 吸血鬼は絶滅危惧種であるらしい。それでは厳しいだろう──そこまで考え、私はある事に気づいた。

「貴方が血を吸えば、吸血鬼は増える筈でしょう?」

「僕が本気で吸い始めると、街はあっという間に吸血鬼だらけになるらしいよ。そこに吸血鬼狩りが来るらしくて、見つかれば根こそぎ殺されるらしい」

「物騒だね……というか、『らしい』が多いのはなぜ?」

 大げさに首を振りながら、ルークが肩をすくめた。

「実家の蔵書で見たからだ。だから吸血鬼になってこの方、人間から直接血を吸ったことが無いんだよ」

「へぇ……って、ホントに!?」

「だって怖いじゃない? 吸血鬼狩りの人たち、すごいんだって。ここぞとばかりに残虐で、地の果てまで追いかけて来るらしいよ。普段、お祈りに禁欲の生活だから、ストレス発散してるんだよ、きっと」

 ルークは身を潜めている吸血鬼という事か。これでは他の仲間に出会う機会も少なそうだ。

「……血液パックが出来上がったのは近年だよね。その前は、一体何で命を繋いでいたの?」

「レアなステーキ感覚で牛に噛み付いていた。あの頃の僕は闘牛士も真っ青だったと思う」

「なるほど。もしやキャトルミューティレーションは、貴方の仕業?」

 わけが解らないという顔で、ルークが私を見る。キャトルミューティレーションについて説明するのも面倒で、私は引き続き食生活の話題を続けた。

「この際、牛の血液を吸う生活に戻ってみてはどう?」

「やだよ! もう輸血パック以上に懲り懲りだ!」

「じゃあ、牛乳を試してみるといいかも。あれは乳腺を通った血液だし」

「へぇ、そういう飲み物があるんだ」

 ルークは胸元から古風なペンを出し、手の甲に『ぎゅうにゅう』と書いた。ついでに、成分無調整のものを選べとアドバイスしてやる。

「ありがとう。君は良い人間だなぁ」

「いや、被害を最小限に食い止められればと思っているだけで──そうだ!」

 気が向いた、としか言えないが、私はルークにある提案をした。

「牛乳で気が済むなら、少し飲み方へのアドバイスをしてあげる。牛乳は色々な楽しみ方があるよ」

「へぇ~、助かるなぁ。お腹すいてるから、すぐに頼んでもいい?」

「お腹……?」

「うん、もともと君の血を吸おうと思って来たわけで……」

 ルークが私に近寄って来るので、十字架をかざす。

 すると、ルークは口をへの字にして私から離れた。

「君を見てると、直接吸いたいという欲求が出てくるんだよね。でも吸血鬼狩りが怖いし、取り合えず牛乳を試そう」

「そ、それは良かった」

「待ってて、『せいぶんむちょうせい』を買って来る!」

 窓は閉まったままだというのに、ルークがすうっと通り抜ける。そして、あっという間に消えて行った。

「──牛乳を買いに行ったね、思ったよりも素直な吸血鬼だわ」

 今、窓や壁に十字架状の物を貼れば、ルークは二度と入って来られない。だが、何となく愛嬌がある吸血鬼なので、牛乳の件程度は面倒をみてやる事にした。念のため十字架をポケットに入れておけば良いだろう。

 やがて。

 こんこん、と窓がノックされた。

 窓の外には、スーパーマーケットの買い物袋をぶら下げたルーク。

「うん? 貴方は勝手に入って来られるでしょ?」

「僕はね。でも、牛乳は通り抜けられないよ」

「……なるほど」

 私は窓を開け、ルークを招き入れる。

「さ、こちらへ来て」

「はーい」

 そのまま二人、キッチンへと移動する。吸血鬼が好みそうなものは見当も付かないが、いくつかメニューを考えながら。

「では、まず」

 私は少しだけ洒落たグラスに牛乳を注いだ。途端にルークが叫び声を上げる。

「き、君! 白っ? 牛乳って、白いの……!?」

「……当たり前よ?」

「同じ売り場に、ピンク色っぽい液体が載ったパッケージもあった! あれには半分くらい血が混じってるの!? それならば僕でも……!」

「馬鹿ね、それはイチゴ牛乳!」

 私は八分目まで注いだグラスを、どん、とルークの前に出す。

「さぁ、飲んでみなさい!」

「う……」

 ルークは冷や汗を垂らしている。普段、赤いものばかり飲んでいるので、白いものには複雑な思いがするのであろう。

「ねぇ! 貴方いくつなの? 子供でもあるまいし、食わず嫌いをしないで!」

「わかったよ……!」

 ルークが、ぐいっとグラスをあおった。お味の方は──聞くまでも無い。

「冷えたものがダメなら、こちらを試そう」

「これは……?」

「少し温めてある、人肌よ」

 マグカップを手にしたルークは、神妙な面持ち。

「温めても、やはり白い……いや、飲むけど!」

 そう言いながら、カップを傾ける。マグカップなのに、どこか優雅だ。

「うーん……冷たいものよりは少しマシだけど、やっぱりマズいから口直しが欲しい」

 ルークはどこからか出した布ナフキンで、きゅきゅっと口元を拭く。そして、カフェオレを用意している私に向かって笑顔で喋り出した。

「ねぇねぇ、僕に血を吸わせて、一緒に吸血鬼にならない? ほぼ死なないし、貧血も治るよ?」

 早速口直しをしようと思ったのか、ルークが擦り寄ってくる。私は、あえて冷静に対応した。

「私の血を吸っても、味が薄くて残念な口直しになるよ。知ってるでしょ?」

「この際、薄くてもいいよ!」

 ルークは開き直ってきた──危険だ。ポケットの中に入れておいた十字架を握り、いつでも出せるように準備。ルークはどうやら、気付いていない。

「君は吸血鬼である僕にも親切だ。見た目だけではない、その心もきっと美しい」

 面倒を見てやろうなどという仏心が裏目に出た。買い物の隙に、壁や窓へ十字架を貼り付けておくべきだったようだ。

 後悔する私をよそに、ルークは尚も続ける。

「吸血鬼になって、二人でずっと一緒に暮らそう! 君となら血液パックも美味しく飲める気がする! だから被害も拡がらないし、そうしたら吸血鬼狩りも来ない! ……あ、器はウェッジウッドでどう?」

 これではまるで、プロポーズのようだ。べたべたしてくるルークに、私は十字架をかざした。するとルークが二、三歩だけ離れる。

「もー! 君ってば!」

「ルーク……昼間は外に出られない、ペペロンチーノや味噌ラーメンや餃子も無理、流れる水の上は渡れないから面倒、鏡に映らないから身だしなみにも苦労する……そんな吸血鬼に誰がなるっていうの!?」

「……うぐっ、悲しくなって来るけど、他にも吸血鬼はすごいんだぞ! 例えば魔眼とか! ……そうだ、魔眼!」

 しまった、と思ったが遅い。ルークの瞳が怪しく光ると──私は十字架を落とした上に、ふらふらと後方へよろけた。キッチンの床に倒れるかと思ったが、ルークは私を支えて抱き上げる。これが魔眼――。

「最初から、こうすれば良かったなぁ」

 ルークが私の首筋に顔を埋めた。ああ、お父さん、お母さん、本当にごめんなさい。私は吸血鬼になってしまう。

「泣かないで」

 いつの間にか流れていた私の涙を、ルークがぺろりと舐め取った。そして、妙な顔をする。

「……? ちょっとキスしていい?」

 身体が動かない私には、返事など出来ない。だから、ルークは簡単に私の唇を奪った。ちゅっちゅっと音を立て、舌を絡める。そして、また妙な顔。

「何だろう、これ……」

 ルークがキスを繰り返す。まるで唾液を吸い上げられているようだ。

「う……、うう……」

 血を吸われるのは嫌だが、唾液を吸われるのだって嫌だ。私は抵抗を試みる。

「や、め……」

 正直、ほとんど言葉にならない。それでもルークは私の声に驚き、盛んに首をひねっている。

「おっかしいなー、魔眼はしっかり使ってるんだけど……。じゃぁ更に、えいっ!」

「く……」

 ルークが私を見つめる。もう唇すら動かない。呼吸と瞬きをするのがやっとだ。自由を奪われた身体は不自然にぷるぷると震え、嫌な汗が浮いてくる。そんな汗も、ルークは綺麗に舐め取った。

「ああ! 分泌液って事なのか!」

独り言を呟きながら、ルークは私に深いキスを何度も重ねる。根こそぎ吸われて、なんだか咽喉がからからに乾いてきた。そこに魔眼が悪さをして、私は気を失う――。




 気付くと、ルークが私を心配そうに見おろしていた。

「ごめん! 調子に乗って、沢山飲んじゃった!」

「う……」

 酷くだるい。それでも首に力を入れると、重いながら動いた。

「ルーク、私は、人間……?」

「人間だよ、血は少しも吸ってない」

 私は一気に安堵する。血液に関しては、踏み止まってくれたらしい。ルークは息をついた私の両手をぎゅっと握った。

「でもごめん、血は吸ってないけど、なんか君の涙が美味しかったから、つい色々欲しくなって……」

「その程度なのに、なんでこんなに怠くなるの?」

「唾液や汗とか、分泌液を介して精気を吸った感じかなぁ?」

「まぁ、血を吸われるよりは千倍マシだけど……身体中の水分が抜けてしまった気分よ」

 私は水でも飲もうと身体を起こした。尋常ではない倦怠感に、眩暈。ふらりとする私を、ルークが抱きとめて支える。

「ああ、今後はこうして触れられない。とても残念だ……」

「ルーク……?」

 ルークから、意外な台詞が聞こえた。私は思わず聞き返す。

「どういう事?」

「ええと──君が嫌がってるから、今は血を吸いたくない。だから君を仲間に出来ない。そして、二度と君は僕を部屋に入れない、という感じかなぁって」

 てっきり、これからも狙われ続けると思っていた私は、毒気を抜かれた。

「あーあ、また血液パックで一人ぼっちの日々だよ。ま、器には凝ってみるけど」

 ルークは、おどけて見せるが──ルークが過ごして来た、そしてこの先も続くであろう孤独を考え、ちくりと胸が痛んだ。

「……血を吸わない、今日のように襲わないと約束するなら、また来てもいいよ?」

 酷い目に遭ったというのに、一抹の寂しさを覚え、つい声を掛けてしまう。

「ほ、ほんと? わー、嬉しい!!」

 ルークは、きらきらと瞳を輝かせた。吸血鬼のくせに、なんだか憎めなくて困る。

「私は紅茶、ルークは血液で、真夜中のお茶会を開催だね」

 ますます喜ぶルーク。種族は違えど、その生の一瞬に、少しだけ花を添えてやってもいいだろう。

「君のこと大好きになっちゃったよ! 一週間に一回くらい来てもいい?」

 こくりと頷けば、ルークがぎゅっと抱きしめてくる。私はそんなルークがすっかり失念している事を教えてあげた。

「ねぇ、そろそろ夜が明けるよ?」

 時計を見れば、もう午前四時だ。ルークが文字通り飛び上がって驚く。

「大変だ! 帰らなくちゃ!!」

「そうよ、早くしないと!」

「今度は、お揃いのカップ&ソーサーを持って来るからね!」

 そんな事を言い残し、ルークは金と黒に霧散した。




 これで一件落着──と思ったが、油断は出来ない。

『どうも、吸血鬼のルークです、差し入れどうぞ』

 翌日から窓の外には、そんなメッセージと共に、毎日レバーやらほうれん草やらが届くのだ。私の血を美味しく頂くという野望を持ち続けているのかとも思うが、まぁ貧血な私への好意として有難く受け取っておこう。

 苦手なレバーペーストのサンドウィッチも、ルークの気持ちが籠っているかと思えば――そんなに悪くないかも。

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どうも、吸血鬼のルークです けろけろ @suwakichi

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