竹流はリビングを突っ切りダイニングを横切ると、角を曲がった。

 奥はキッチンかと思ったが、そうではなかった。広い水盤があるだけである。コンロもレンジも冷蔵庫もない。

 竹流は突き当たりのドアを開いた。ドアの隙間から暗闇が覗いたと思ったら、ぱっと明かりがついた。

 ドアの向こうは打ちっぱなしのコンクリートの廊下だった。リビングダイニングのいかにもマイホームの様相から一変して、唐突に色のない空間が出現し、息を飲む。

 竹流の後に続いて廊下に足を踏み出す。靴下越しにざらざらとした質感が伝わってきた。コンクリートの床は冷たくて全身が冷えるようである。

 無機質な廊下の突き当りは下りの階段だった。竹流についてひたひたと降る。

 竹流は一階下の「地下四階」と記された廊下を曲がった。

 階段はさらに下の階まで続いているようだった。闇に飲み込まれるように続く階段が不安をあおる。――この下には何があるのだろう。

「何してる。こっちだ」

 美月は我に返ったように慌てて竹流の後を追った。

 地下四階もコンクリート調の廊下が続いていた。廊下の左右には頑丈そうなドアが並んでいる。

「この階はほぼ物置だ。飯もここに保存してある」

 竹流は一番手前のドアの前に立つと、エアロックを回し、重たげなドアを開けた。

 ひんやりとした空気が頬をかすめる。

「うー、さみい。寒いのも暑いのも大嫌いだ、くそっ。俺は室温二十四から二十六度、湿度四十五から六十度の閾値の中でしか暮らしていけねえんだよ」

 竹流は悪態をつきながらドアの隙間に入っていった。美月も恐る恐る中に入った。

 六畳ほどの広さの部屋だった。倉庫というだけあり、三方の壁は天井までのくくりつけの棚が設えられている。

 棚にはまったく同じ白い箱ばかりが一面にきっちりと詰め込まれていた。

 竹流は手前の棚から無造作に箱をひとつ引き抜くと、美月に持たせた。

「これを七時五十分と十九時五十分に俺のところに持ってくること。それが今日からお前の仕事だ。飯は毎日八時きっかりと二十時きっかりにることにしてる。だが、実験に没頭してたりすると忘れちまうからな。一分でもたがえるなよ? きっかりその時間だからな」

(この箱が食事なの……?)

 美月は目をしばたく。

 紙箱だった。ものすごく軽い。

 見れば開け口がジッパー加工になっていて、まるでお菓子のパッケージだった。箱の表には、円の中に正三角形の図がエンボス加工されており、その図の下には「タケダ」と印字されていた。

「慎重に持って来いよ。壊れても代わりを取りに戻る時間はねえからな」

 壊れ物が入っているのだろうか。なんにせよ、食べ物が入っているとは思えない軽さだった。

「おお、もう八時になっちまう。急いでリビングに戻らねえと。ほら早く出ろ」

 急き立てられて倉庫の外に出る。

「役立たずの失敗作を造っちまったと思ったが、今日からここに取りに来なくていいってのなら、それだけでもおまえを造った価値があるな。階段を下るのもだるかったんだよなぁ。つうか寒いのがなぁ――」

 確かに寒いが、そこまでだろうか。美月はドアの温湿度計のパネルに目を馳せた。室温表示は四度となっていた。

 そういえば目覚めて初めて寒さを感じたことに気付いた。このドームの気温は常に一定に保たれているのだろう。



 リビングに戻るやいなや、竹流は美月の手からボックスを乱暴にひったくった。

「あー、飯だ飯」

 壊れ物じゃないのか――呆れながらも背後から箱の中身を覗き込む。この時代の食べ物に興味津々だった。

 竹流は豪快にミシン目の帯をビリビリと引き開けた。

 上蓋が開かれ、美月はその中身にぎょっとする。――多種の錠剤が入った透明の密閉袋、銀色のパウチ、そして注射器とアンプルが緩衝材にぴったりと収まっていた。

(ご飯じゃない――)

 薬品ばかりである。なんとなくお弁当のようなものを想像していた美月は、唖然とした。

「これ……、どこか体調が悪いの?」

「あ? 俺は至って健康だぜ」

 竹流はおもむろに銀色のパウチを破ると、固形のバーを引っ張り出してぱくりとかぶりついた。

 カロリーメイトを思わせる四本入りのバーを早々に平らげるやいなや、十錠をこえる錠剤を口に放り込み、がりがりと噛んで飲みくだす。

 注射器とアンプルを緩衝材から引き抜き、手慣れた所作で薬液を吸い上げて注射針を腕に突き刺した。そして注射針を紙箱に放ると、竹流はソファーに深く凭れた。

「あー、血糖値が上がってく……」

 竹流はどこか陶然とした面持ちで呟いた。

「これが食事なの?」

「……ああ」

 美月は、床に落ちたパウチを拾い上げた。袋には「完全食バー」とだけ書かれた簡素なラベルが張られていた。

 呆気に取られていると、背後からタカアシガニの脚が伸びてきてパウチを奪われた。

 脚は壁や天井から何本も伸びて、テーブルの上に散らかった薬剤の袋や注射器などをひとまとめにして空き箱に詰め、抱え上げると、大きく開いた壁の穴に消えた。

「あの、ご飯は? ちゃんと食べないの?」

「ちゃんとだあ? 今、見せたとおりだ。時代によっての基準が違うんだ。お前の生きた平成や令和といった時代は欲望に任せて毒ばっかってた暗黒時代だろ。肥満や癌持ち、虫歯に糖尿の人間ばっかりだったじゃねえか。おまけに資源を馬鹿みてえにガバガバ使って無駄にしまくって……日本史上最もクソみてえな、最も愚かだった時代だ」

 竹流は吐き捨てるように言った。

「そもそも輸入に頼らなきゃならなかったのは無駄ばかりしてやがったからだ。あんな暮らししてりゃあいつかは破綻が来る。土地の限られた地下都市ならなおさらだ。だがな、地下都市移住に際し、栄養摂取の方法を根本的に見直してからは日本の食糧自給率は百パーセント。しかもほぼ地下都市でまかなってる。――こっちに横流しする余裕だってある」

 地下都市ではみんなあの箱の中身を三食べているのか。しかも毎日――美月は信じられない思いだった。

「まあ地下都市にも嗜好品だってあるにはあるが。とうとか肉とかな。だがそれらは上級階級の連中向けだ」

 竹流はソファーから背を離すと伸びをした。

「糖分は人工甘味料のみしか出回っていない。現存する植物由来の砂糖や異性化糖は厚生労働省管轄の研究所に資料として残っているものだけだ。動物性蛋白質は食用鼠ラットのみ。省スペースで増産しやすく品種改良した鼠の加工肉だ。それでも金持ちしか口にできねえ高級食材なんだぜ。平民でも食える肉は、遺伝子操作した大豆を香料やなんかで加工した合成肉だ。それと、バッタだな」

「バッタ!?」

 美月はぎょっと声を上げた。

「何を驚いてやがる。もともと昆虫の栄養価は完璧に近い。ほとんどが蛋白質で、必須アミノ酸、鉄分などのミネラル、ビタミンも豊富に含んでる。地下都市で増やしてる食用バッタは遺伝子操作でより栄養価も上がってるしな。しかも簡単に手間なく増えるよう改良もされてる。さっき食った完全食バーの主な原料だって大豆とバッタなんだぜ」

 美月は思わず口を押さえる。

「お前らが平然と食ってた着色料や香料、保存料の方がよっぽどオエーだぜ」

 竹流は心底嫌そうに舌を出して見せると、唐突に立ち上がった。

「――さて、しゃべりすぎたな。無駄な時間食っちまった」

 竹流はちらと時計を見上げると、螺旋階段に向かった。

「どこ行くの?」

「外だ」

「外って……もしかして、地下都市に行くの?」

 小走りで後をついてくる美月を、竹流は階段の中ほどで振り返った。

「あんなところ行くわけねえだろ。仕事だ仕事」

 えっと、美月は目を見開く。

「竹流さん、仕事なんてしてるの?」

「当り前だろ。稼がねえでどうやってこの生活を維持してると思ってんだ」

 それもそうである。だが、この孤立した生活から労働というイメージが結びつかなかった。悠々自適に隠遁生活でもしているのかと思っていたのだ。

「……留守番の間、わたし、なにかやることある?」

「特にねえな」

 言い捨てられ、美月はうつむく。これでは、本当に箱を倉庫から持ってくるためだけに生まれてきたようなものではないか。

 頭上から舌打ちが降ってきた。

「あのなあ。そんなの自分で考えろよ。知的レベルは十七の頃の美月と変わんねんだろ。趣味でも見つけんだなあ」

(……趣味)

 この自室とリビングのみという限られた空間で何か趣味を見つけろというのか。

「――そんな顔すんな。俺にしてほしいことがあるなら、はっきり言え。美月は要求があれば何が何でも譲らなかったぜ?」

 顔をあげた美月の目の前に、竹流は指を突きつける。

「俺と一緒にいたいんだろ? お前はそうゆうになっているはずだ。連れて行ってくれって懇願してみせろ。美月のように、ごねて要求を押し通してみせろよ」

 美月は気圧されたように、深紅の瞳を見返す。

 だが正直なところ――行き先が地下都市でないなら興味がなかった。

(要求……要求……そうだわ)

「じゃあ――お風呂に入りたい」


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