しばし呆然と眼前の光景を眺めていたが、ふいに、自分のいる場所が尋常でない高さにあることに気付いた。目下もっかに拡がる深そうな森の、さらに上にこの建物はあるのである。

「ご主人様の俺から逃げるたぁいい度胸じゃねえか」

 背後で男の声がした。

「そっから逃げようと思ったのか? 無駄だ。ここは地上千三百メートル地点だからな。お前んちの二階の窓じゃないんだぜ。――そもそも逃げ出したってどうしようもねえよ。この地上に人類はおそらく俺とおまえ……いやしか存在しないだろうからな」

「……どうゆうことなの」

 ゆるゆると振り向く。男は腕を組んだまま薄ら笑いを浮かべていた。

「つまりな、おまえを助けにきてくれるってことだ」

(嘘よ……!)

 窓の外に広がるただれたような極彩色の森。空を滑空する未知の生物。クローゼットを通ってたどり着く不気味な部屋。それらすべてが男の言葉が真実であるあかしであるように思え――美月は気が遠のきかけた。

「もしそれが本当なら……人間は、どうなっちゃったの……」

「そんなこと知るのに、それこそ意味があんのかよ?」

「あるわ!」

(お父さんにお母さん、賢吾……そして麻矢は……)

 どくり、と心臓が激しく打ち付けた。

(麻矢……わたしの娘。わたしとこの男の――)

 硬く目をつむり、両手で顔を覆う。頭がおかしくなりそうだった。

「……お願い。一つだけ聞かせて。麻矢は……? 麻矢は……どこにいるの」

「死んじまったに決まってるだろ」

 美月は瞬間、男を見返した。

(麻矢が……死んだ……?)

 慄然とした。急速に血の気が引いてゆき――足元がふわふわとおぼつかなくなる。

「……嘘よ……」

「嘘なもんかよ」

 どうでもいいことのように言い捨てた男を、美月は呆然と見つめた。

(そんな。わたしはあの子にのに――)

「あんな親不孝なガキなんざそうでもいいだろ。――それよりな」

 不意に肩に手が回された。男が耳元に口を寄せ、囁く。

「おまえはここで俺と暮らすんだ。ずっと、二人きりでな」

「……こんなところであなたと暮らすくらいなら……死んだ方がましだわ……」

「死んだ方がねぇ。そういや美月も同じことを言いやがったな。抗老化アンチエイジング医療も受けず、今どき寿命に任せて死んだんだぜ。俺の治療を受ければ、若いまま、もっと長生きさせてやれたのに」

 男は美月の顔を覗き込んだ。

「だが今回は駄目だ。俺はまだ九十三歳だからな、あと百年は生きる。その間、お前はずっと俺のそばにいるんだ。――まあ、俺がく間際になったら、

 それまで仲良くやろうぜ、と男は酷薄そうに笑った。

「改めて言うのも妙な感じだが、俺の名は竹流たけるだ。この部屋はくれてやる。誕生日プレゼントにな。美月の記憶から抽出してできるだけ似せたつもりだが、よくできてるだろ?」

 そう得意げに言った男は、なぜかとても無邪気に見え――美月は茫然自失し、その場にへたり込んだ。


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