泳げないプール 第4話
わたしの返事に満足したようで、凛はにっと八重歯を見せた。
これまで、「なぜ水が抜かれたのか?」という動機ばかりに焦点を当てていて、「どうやって水を抜いたのか?」という手口を考えることに関しては疎かにしていた。
目配せをし合うと、わたしと凛は二人を置き去りにして、プールに背を向けて駆け出す。目指す先は……あそこだ。
背中越しに、不満そうな声が聞こえた。日向だ。
「ちょっと先輩たち、置いてかないでくださいよ。どこに行くんですかっ」
三、四メートルほど走ると、目的の場所にたどり着き、わたしと凛は立ち止まる。木陰に涼んでおられる後輩たちとの距離が、二メートルほどに縮まった。
遅れてやってきた日向と梢を振り返り、
「ここ」
と、わたしは地面を指さした。人差し指の先にあるのは、直径二十センチほどの小さな丸いマンホールだ。経年劣化による錆が目立っている。鉄製の蓋には、『止水栓』という文字が彫られている。
日向が戸惑った顔をして、首を捻る。
「マンホール……ですか?」
「そ」
一音で答え、わたしは膝を曲げてしゃがみ込む。
「このマンホールの下に、排水バルブがあって、それを……どっちだっけ。時計回りか反時計回りに回すと、水が抜けると思うんだけど……」
言いつつ、鉄の蓋を持ち上げるために小さな穴に指をかけた瞬間、
「あっつ!」
思わず、反射的に指を離した。野太い声を出してしまったことが恥ずかしい。この場に男子がいないことにほっとする。
「沙希、大丈夫?」
頭上から、凛の気遣う声が降ってきた。
「大丈夫、大丈夫。ちょっと、びっくりしただけ」
金属は熱を伝えやすいため、炎天下に晒されたプールサイドの鉄の蓋は、かなりの高温になっている。そういう性質を、わたしは特に留意せずに触れてしまった。大丈夫か、理系の学部志望、と自分にツッコミを入れる。
日向が意気込んで、
「先輩、わたしやりますよっ」
と言ってくれる。
「ほんと? マジで熱いよ?」
「大丈夫です! 蓋を開ければいいんですよね?」
わたしは頷き、
「気をつけてね」
と呼びかける。日向は親指を立てて、まぶしいほどの笑顔で答えた。
「こういう力仕事、慣れてるんで!」
両膝をつくと、直接触らないように、日向は制服のスカートの越しに蓋を開けようとしている。裾の部分を、鍋つかみみたいに利用しているのだ。
なるほど、その手があったか。でも、日向には悪いけど……
「あれ、開かない」
額に深くしわを寄せて、日向はつぶやく。
「ぜんっぜん、びくともしませんよ」
こじ開けようと奮闘しているが、それでも蓋はぴくりとも動く様子はない。
……やっぱり。マンホールの蓋は、普通は開かない。そのことを、わたしと凛は確かめたかったのだ。
前提として、プールの水は消えているから、犯人が蓋を開けてバルブを回し、水を抜いたことは間違いない。だけどいま、蓋は開かない。つまり、「開かない」ことが確定したことが、大事。立ち上がり、手の甲で額の汗を拭う。
日向も立ち上がると、汗を滴らせながら不満そうに言ってくる。
「これ開かないっすよ、先輩」
「うん。わかってた」
そう端的に返すと、日向はあからさまに嫌な顔をした。鋭く目を細めて、口をへの形に曲げている。でも、文句は言ってこない。
凛が口に手を当てて、冷静に言った。
「やっぱ蓋を開けるには、何か専用の工具か何かが必要ってことね」
「だね」
短い返事をして、わたしは言う。
「これで、犯人がその専用の工具を使って、蓋を開けたことが確定したってわけ」
しかし、これが判明したところで、別に犯人が絞り込めるというわけではないのだけど。かといって、なにもわからないよりはマシだ。それと、念のための確認事項がもうひとつ。
「あのさ、夏休み中の水泳部の練習時間って、正確には何時から何時までだっけ?」
わたしの問いに、梢がすんなりと答えてくれた。
「基本的に、お昼の十二時半から夕方の六時までですね。先輩たちもご存知の通り、大会直前にはもっと遅くまで残ることもありますけど、昨日は、六時半までにはみんな出払いましたし、それまでには確かにプールの水はあったんです」
軽く頷いて、わかった、という返事に代えた。夏休み中、水泳部の練習がお昼から始まるのは、他の部活からしたらちょっと珍しいのかな。
——バルブを緩めてプールの水を抜けば、完全に抜け切るまでに少なくとも三時間はかかる。このことは、プール掃除の経験がある水泳部員ならみんな知っている。
つまり、十二時半からの練習が開始される三時間前までには、遅くともすでにバルブは回されていたことになる。他に、いまの梢の証言ではっきりしたことは、夕方の六時半にはまだプールの水はあったということ。以上のことを考えると、
「犯行時刻は、昨日の午後六時半から今朝の九時半までといったところか。ええと……」
指折り数える。
「ざっと十五時間ね」
わたしの言葉に、異論は出なかった。まあ、これもわかりきっていることだから当然っちゃ当然か。
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