第6話 こと座流星群

 土曜日の夜八時。

 普通なら高校生が出歩くと補導されても文句言えない時間に、夏輝は学校に来ていた。

 目的はもちろん、こと座流星群の観測だ。

 幸い、雲がほとんどなく快晴といっていい天気である。天体観測には最適だ。


「こんばんは、夏輝君」

「こんばんは、明菜さん。でも、別にこんな早くに来なくてもよかったんだけど」


 こと座流星群の今年の極大化の時間帯は、深夜から明け方にかけて。

 本当の極大は明日の午前十時頃らしいが、その時間に日本で見ることはできない。とはいえ、明け方近くはかなり見れる確率が高いらしい。

 電車で来るしかない夏輝は、前日から学校に泊まり込むしかないが、学校まで歩いてこれる明菜がわざわざ早めに来る理由はない。


「うん、まあそれはそうなんだけどね。でも、夜の学校に泊まるって、ちょっとワクワクしない?」

「まあ、それは分かるけど。俺も泊まり込みは初めてだし。なので準備の勝手も分からないんだけどさ」

「そういえば、ごはんは?」

「俺は夜ご飯はまだだから持ってきてる。一応……二人分あるけど」

「一応私もコンビニで買ってきてるけど……」


 前日のうちに荷物のほとんどは準備室に置いてある。

 今日持ってきたのは泊まり込みのための食事と飲み物くらいだ。


「仮眠は?」

「一応お昼寝はしたよ。起きたのは少し前だし」

「じゃあまあ、行こうか」


 校門のところにあるインターホンを押すと、ほどなくして星川先生が対応してくれた。

 風邪をひかないようにしろよ、という忠告のみというのが果たしてどうなのか、と思うが。

 そもそも男女ペアだけだと気付いているのか。

 そういうつもりは全くなくても、少しは配慮してほしいが……無駄だろう。


「なんか夜の学校って……雰囲気あるよね」

「まあね。でも、去年の文化祭とかでは残らなかったの?」


 文化祭は開催前日だけは準備のための泊まり込みが許可される。

 去年も結構残っていたはずだ。

 夏輝は特になかったのでさっさと帰宅していたが。


「遅くまで残ってはいたけど、泊まり込みはしなかったし、それにあの時は人もいっぱいいたからね。こんなほぼ無人なんて、滅多になくない?」

「それは確かに」


 学校の七不思議がこの高校にあるかは分からないが、ホラー系が好きな人が喜びそうだ。走る人体模型とか定番だが。


 まずは地学準備室まで行く。

 非常灯以外のほとんどの灯りはないが、それでも十分明るい。

 とりあえず機材を回収する。


「まあ、メインの流星群は肉眼で見るから、今日こいつの出番はあまりないけどね」


 国内メーカーの反射式望遠鏡。

 上手く捉えれば、土星の環までははっきり見ることができる性能だ。

 流星群を見るだけなら別にこれを出す必要はないが、折角の観測会である。

 明菜に色々見せてあげたいというのもあるので、これも持ち出す。

 あとはレジャーシートと折り畳みの椅子とテーブル。


「結構色々あるね」

「今日は長丁場だしね。まあ寒くなったら一度校舎内に戻ればいいんだけど」


 幸い、今日はそれほど冷え込むという予報にはなっていない。

 機材を持って屋上に来ると、手早くセッティングをしてしまう。

 その上で、カバンを取り出し――。


「明菜さん、食事先にしちゃう?」

「あー、そうだね。二人分あるって言ってたけど、じゃあ私の買ってきた分を夜食に回す?」

「うん、それでいいかな。まだ少し暖かいだろうから、食べちゃおうか」

「え。作ってきたの?」

「あ、うん。といっても簡単なものだけどね」


 簡易テーブルの上にLEDランタンを置いて、その上に食事を広げる。

 ゴミが処理しやすいように、すべてラップやアルミホイルでくるんだおにぎりやロールパンサンド、唐揚げや卵焼き等。

 ちゃんとある程度冷ましてから包んだが、それでもまだほんのり温かい。

 飲み物はペットボトルのお茶だ。

 とりあえず明菜が唐揚げをつまんで――目を丸くしていた。


「……ねえ。これって夏輝君が作ったの?」

「そうだけど?」

「うわ、ちょっとショック。私より美味しいかも」

「唐揚げなんてレシピ通り作るだけだとは思うけど……まあ、家事経験長いから。兄さんが一緒に住んでいた時も、兄さん部活で忙しかったから食事はだいたい俺が担当だったし」

「もしかして料理の経験結構ある?」

「小学校の五年生くらいからだから、もう五年くらい家事やってるかなぁ」

「それはすごい……私なんてまだ一年ちょっとよ」

「食べられればいいと思うけど」


 実際料理が上手だという認識はない。

 まずいとは思わないが、かといって人が食べて感動できるほどではないだろう。

 ただ、手際がいいという自信はある。


「考えてみたら、夏輝君普段お弁当よね。あれも?」

「そりゃもちろん。作ってくれる人いないし」

「……朝何時に起きてるの?」

「だいたい六時かなぁ。男子は女子と違って、朝の準備は手軽だからね。寝ぐせさえなければ顔洗って着替えるだけだし」

「それでもすごい……何気に夏輝君、スペック高いよね」

「料理男子って? まあ今時このくらいは普通だろ」

「高校生でこれだけできるのはそういないと思うよ……私が自信なくしそう」

「人と比較する方が意味がないかと思うよ。自分がいいと思えばいいんだろうし」


 他人に認められることに、意味を見出す人もいるだろう。

 ただ、自分は――もうこりごりだ。


「夏輝君?」

「何でもない。さて、折角だし流星群前にいくつか星を見てみようか。この時間なら、火星がいい感じだし」

「火星?」

「ほら、見える? あの一際明るい赤い星」


 北西の方向にある星を指さす。


「あ、あれね。あれ、火星なんだ。恒星じゃなくて」

「うん。太陽と月を除けば、全天で一番明るい星はおおいぬ座のシリウスなんだけど……この時間じゃもう見えないな。火星や金星、木星や土星はそれより明るく見えるんだ」

「近いから?」

「そういうこと。なのでまあ……ん、よし。見てごらん」


 調整の終わった天体望遠鏡を明菜に勧める。


「わ、すごい。こんなにはっきり見えるのね。ホントだ……惑星だねぇ」


 この惑星が見える、というのは天体望遠鏡の醍醐味ともいえる。

 これが楽しいと思える人は、絶対星好きになれる。


「すごーい。こんな模様なんだねぇ」

「今日は三日月だし、もう沈みそうだけど……月も見てみる?」

「あ、それは見てみたい!」


 リクエストに応じて、角度とピントを調整する。


「はい、どうぞ」


 明菜が再び天体望遠鏡を覗き込む。


「うわぁ……ホントにクレーターまーではっきり見える。すごいねぇ」

「楽しんでもらえてるようで何より」


 その後も彼女のリクエストに応じて、恒星や星雲なども見てもらった。

 どれも図鑑でしか見たことがない明菜にとっては、とても面白かったようだ。

 気づけば、すでに日替わり近い時間になっている。


「面白過ぎて時間経つの忘れてた……そろそろ?」

「そうだね……明け方近くのがいいけど、そろそろ増え始める時間だと思う」

「方角は?」

「東だね。ほら、あそこ……一際明るい星があるでしょ。あれがこと座のα星、ベガ。あの方角に流れ星が見えるはず。レジャーシートに横になってみるのが定番だけど……その前に寒くない?」

「寒くは……ないけどちょっと冷えるね」

「それを寒いっていうんだけど。はい、これ」


 持ってきたポットからの液体を注ぐ。


「熱いコーヒー。眠気覚ましもかねて……あ。明菜さん、ブラックって平気?」


 自分基準にしていたので、ミルクも砂糖も持ってきていない。


「うーん。普段はコーヒー飲まないから……挑戦、してみる」


 明菜が恐る恐る一口飲む。

 感想は聞くまでもなかった。

 明菜が文字通りの渋面になっていた。


「苦い~~~~」

「ごめん。配慮が足りなかった」

「夏輝君は平気なの?」

「俺は慣れてるからなぁ」


 そういうと別のコップに入れてて、もう冷めたコーヒーを飲み干す。


「なんか悔しいので頑張る」

「いや、そういうところで張り合わなくても……」

「飲むったら飲むの」


 意地を張ってるのは分かるが、なんか可愛く思えてしまった。


「ほら、せめてこれ」


 同じく眠気覚ましに持ってきているチョコレート菓子を渡す。


「一緒に口に入れれば、まだ苦みが緩和されるかと」

「……ありがと。あ、ホントだ。美味しい」

「そりゃよかった」


 その時。


「あ、星が流れた!」

「え、マジ?」


 コーヒーを淹れてて見逃した。


「うん。……しかし願い事三回はやっぱ無理だね」

「まあそりゃあね。むしろだから願い事三回言えたら叶うって話もあるらしいよ」

「普通出来ないから?」

「らしい」

「むしろ夢がないね、それ」

「だね、確かに」


 そうして見上げていると――また流れた。

 今度は二人で見ることができた。


「不思議。実際はあれって、塵とかなんだよね」

「そうだね。彗星が引き連れていた塵とかの残骸に地球が重なって、大気中で燃えた反応だって話だけど」

「でもさ。こういうの見るとどうでもよくならない?」

「……それは確かに」


 科学的な裏付けというのはもちろん大事だ。

 ただ、星の美しさは科学的な根拠を知っていても知らなくても変わらない。

 ならば、今は美しさを堪能する方がいいに決まっている。


 レジャーシートに寝転んでいる状態で――また、星が流れた。

 去年も見たが、去年より多いし、きれいだと思う。

 あるいはそれは、隣にいる少女のおかげかも知れない、などと――およそ科学的ではないことを、夏輝は考えていた。

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