第5話 二人の呼び方と観測計画

 帰りのHRホームルームも終わって、部活がある生徒は残りあとは帰るだけ、という時間帯に――二年三組は全員が教室に残っていた。

 クラス会議が行われているのである。

 その議題は――。


「紛らわしいこの二人の呼び方をクラスで統一しよう!」


 でかでかと黒板にこう書かれていた。

 その下に、カタカナで『アキナ ナツキ』『ナツキ アキナ』と書かれている。


 事の発端は、委員会の選出だった。

 まず夏輝がじゃんけんで負けて学級委員にされてしまった。

 通常だと自己主張の激しい、よく言えば意識高い系の生徒が引き受けるか、リーダーシップのある生徒が引き受けるのが常なのだが、なぜかこのクラスにはそういうのが一人もいなかった。

 皆無ではない。一人適正人物に夏輝は心当たりがあるが、その本人は学級委員など引き受けずに楽をする、と決めつけている、佐藤賢太というやつだ。もっともあまり人のことは言えた者ではないが、夏輝にそれをやる気は全くない――はずだった。

 学級委員といっても、この学校の場合は基本的には授業の準備の手伝いや教師や生徒会との連絡役などの雑用がメインで、イベントごとは別の委員が担当する。

 なのでそれほど忙しいわけではないのだが、目立たず生きていたいと思っている夏輝はさすがに凹んでいた。

 ここまでじゃんけん弱かっただろうか。


 ところがこの後、候補者が同様に皆無だと思われた女子の学級委員に、那月明菜が立候補した。

 そして予想できた展開だが、那月さんがやるなら、といって立候補する男子が次々と現れ――そういう男子とは一緒にやりたくない、と那月さんがバッサリ。

 かくして席順以上の嫉妬の視線をシャワーどころか集中豪雨で浴びることになった夏輝だが――決定の時に全員が困ったことに気が付いたのだ。


「じゃあ、学級委員は秋名君と那月さんで決まりという事で」


 担任が宣言するところまでは良かったのだが。


「明菜、頑張れー。……ん?」


 女子はよく名前で呼び合う。

 女子との交友関係の広い彼女は、特に名前で呼ばれていることが多い。

 だがその名前は、夏輝の姓である『秋名』と音が同じ。

 紛らわしいことこの上ない。


 かくして。

 委員選出後、帰る前に、クラス内での二人の呼び方検討会議なるものが開催されることになったのだ。


「なんつーか、なんでこんな面倒なことに、だなぁ」


 少し前の席で賢太が楽しそうに笑っている。

 他人事ひとごとだと思いやがって、と思うが、実際他人事ひとごとだろう。


「今更明菜を『那月さん』とか呼ぶのは違和感あるよねぇ。でも明菜って呼ぶと秋名君と区別つかないっていうかなんか違う……」

「こっちとしても今まで通り呼ぶとしたら『秋名』になるけど、別に那月さんを呼ぶつもりなくてもそうなるしな……常に君付けもなんだしなぁ」

「本人たちは希望ある?」


 思わず二人は顔を見合せた。

 突然振られても困る。


「んー。私としては友達から普段『明菜』って呼ばれてるから、それが変わると違和感あるしなぁ。秋名君は?」

「希望はない。呼び方統一には賛成だけど。間違って反応したら、恥ずいから」

「そうだよねー」


 強いて言えば『夏輝』と『那月』はイントネーションが微妙に違う。

 だが、それとて確実ではないし、紛らわしいのは同じだろう。


「まあ結局、明菜がそのままがいいっていうなら、秋名君を『夏輝君』か『夏輝』って呼ぶしかないんじゃない? 明菜は男子はまあ『明菜さん』で」


 女子の一人の意見に、多くが同意した。


(まさかこんなことで名前で呼ばれることになるとはなぁ……)


 現状『夏輝』と名前で呼ぶのは、去年から友人である賢太一人だった。

 それが突然、クラス全員、女子まで、という事になったらしい。

 結局他に代替案もなく、半ば強制的に名前で呼ばれることで確定してしまった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「面白いよね、私たちの名前」


 放課後、やっと会議から解放された夏輝は、地学準備室にいた。

 遅れて、明菜が現れて第一声がそれだった。


「まあ……そうそうないだろうからなぁ。苗字にも名前になる音って。しかもそれが組み合わさってるって」


 多分探せば結構あるとは思うが、それがピンポイントでこうやって同じクラスになる、というのはさすがに稀だろう。

 名簿で並んでいる分には特に何の違和感もない。

 隣に並べて読んでみて、はじめて気づくおかしさである。


「とりあえず……私も夏輝君、でいいのかな?」

「いいんじゃないかな。俺も……明菜さん、となるか」

「別に呼び捨てでもいいよ?」

「いやいや、それはさすがにハードルが高い」

「高いかなぁ。名前呼びは確かに男女間だとハードル高いっていうけど、こうやって強制的に超えちゃったんだし、今更じゃない?」

「いや、なつ……明菜さん、いきなり俺を『夏輝』って呼べる?」

「ん~。……あ、うん。確かにちょっと恥ずかしいね」

「でしょう」


 思わず吹き出した。

 彼女が同好会に入って数日が経過しているが、明菜は思った以上に話しやすい相手ではあった。

 少なくとも現状、夏輝の負担になるようなことはほとんどない。

 まともに顔を見るとまだ少し緊張するが。


「で、今日は何するの?」

「次の観測会の予定決めかな。な……明菜さん、家がここから近いなら、夜学校に来れる?」

「うん。自転車ですぐだし……って、夜?」

「そ。星は夜じゃないと見えないから。来週末くらいに、こと座流星群が極大化するんだ」

「流れ星が見れるの!?」


 男女問わず、なぜか『流れ星』というのは誰もが憧れる。

 無論夏輝にもその気持ちは分かるが。


「うん。多分見れる。まあ一応、泊まり込みで申請も出してる。明菜さんが入ってくれたおかげで、それが可能になったんだ」

「そうなの?」

「会員三人以上いれば学校の泊まり込みは許可されるんだ。もちろん顧問同伴が条件だけど」

「星川先生?」

「うん。まあ星川先生はいつも宿直室で待機だけどね」

「あと一人って佐藤君?」

「まあ名前だけだから、あいつが来ることはない……から。なので俺と二人だけってことになるけど……」

「いいよそれは。夏輝君のことは信用してるし」

「まあ何もしないと約束するけどさ」

「正面からちゃんとそういう人の方が、信用できるよ。取り繕わない分ね」


 そう言って笑う彼女がとても魅力的で。

 だからこそ夏輝は、その信頼を裏切らないように、と強く誓うのだった。

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