英雄の伝承
オレンジの明かり。
テーブルにいろんな食事が並んでいた。
汚れた労働服を着がえもせず父がほし肉をひとつつまんだ。
そして子に聞いた。
「伝説の英雄、それは何か?」
「……」
その子は大きく澄んだ瞳でじっと父を見た。
年は十二、三歳だろう。
肩まで伸びた朱色の髪がなんとも映えて美しい。
しかしそれ以上にその顔立ちは可憐だった。
子の名はラマフェロナという。
春先にもかかわらず寒くないのか。
ふともももあらわなパンツ姿。
上はパーカーを着ている。
男子ではあるが―。
あまりにも顔立ちが可憐なのが親には自慢だ。
少年の母は特にそんな服を着せて愛らしく見せていた。
ただし父はこの子が英雄になる事を望んでいた。
なので今夜もあの話をする。
「敵の船は海をおおうほどだった。
我がマケルタの兵も戦いはした数が違う。
次々に倒れ、辺りは血の海となった。
侵略者たちの行く手をはばむ者はない。
もはや我が南部は負ける手前だった。
希望も失せていた」
「英雄は戦ったの?」
「いや、戦ってはいない。
無数の弾丸が飛び交う中 一人祈ったという」
「祈ったの?」
少年はやや驚いて父に聞いた。
英雄なのだからそこから派手に暴れると思っていた。
しかし父は言う。
「祈ったんだよ。
しかし急に空が曇って稲妻の矢が降った」
「まさかそんな事が…」
少年はさらに驚いた。
「いや、言い伝えではの話だが続けていいか?」
「うん」と少年は身を乗り出して答えた。
父は語る。
「すさまじい吹雪が吹き荒れはじめた。
風は身を切るような冷たさ。
吹雪のせいで少し先も見えない。
それが何日も続き北部メーベル海は凍った。
水平線の彼方まで白銀の世界だ。
それで戦争は終わった。
だから人々は彼を平和の英雄と呼ぶ。
ただその英雄を見た者はいない。
語られる事はあっても見た者は一人もいない」
ラマフェロナの頭にもその光景が浮かぶ。
もう耳元に吹雪の音まで聞こえていた。
それでたまらず聞いた。
「映像記録だってあった時代に!?」
うなずきながら父は言葉を続けた。
「映像記録もない。音声や写真もない。
ともかく記録は一つも残っていない。
その五十年前にはフレア連合に加盟している。
時は宇宙の人々との交流さえ行われていた時代にだ」
ラマフェロナはこくりとうなずいた。
フレア連合―
惑星フレアに住む人々が結んだ平和の連合である。
ある日、この惑星デルトゥスにやってきて平和条約を結びに来た。
父の話はそれよりも後の事である。
父はほし肉をつまむともう一度
ゆっくりとした口調で話をはじめた。
「近代戦争のさなか英雄が出現して祈りで戦争を終わらせた。
時代や文化、そして科学。
いずれも現代ほどじゃないだろう。
つじつまがあう所もあればない所もある。
最大の謎は平和とは何かだがそれは難しい。
英雄は作り話ではないかという人もいるが」
「英雄が信じられている理由はどんなものが?」
ラマフェロナのひじがスープカップの脇をかすめてあぶなっかしい。
しかし父もすっかり話に夢中だった。
テーブルにぐいっと身を乗り出し得意げに語る。
「学者達はこんなふうに考えているらしい。
当時南部地方の指揮をとっていた名将ジン・マロゼフ将軍。
彼が戦争に勝つためにそういう話を作ったのだと」
「何のために?」
「そういう英雄がいると信じるだけで人々は強くなれる。
それも一理あると言えるだろう?」
「それが作り話だとして強くなれるものなの?」
「じゃあ、ラマフェロナはどう考える?」
父はにやりと笑って聞いた。
ラマフェロナは大きな瞳で父を見つめた。
「実際に見てないものを信じるのは難しいよ。
ただ遺跡の発見なんかは昔の神話がカギになってる。
それに人間の意志が世界に与える影響は計り知れない。
こんな科学の話があるんだ。
一匹の蝶が羽ばたいたとする。
するとこの惑星の気温全体が上昇する。
そんな自然現象があるらしいんだ。
僕でさえ晴れて欲しいと願えば時々晴れてくれる事がある。
何かそれを増幅させる方法を英雄が知っているのかも。
そんな考えは飛躍してるかな?」
「はっはっは、外宇宙を行き来できる科学の時代に?
まだ解明されてない秘術めいた方法があるって?」
「うん。おかしいかな?」
それまで二人のやり取りをだまって聞いていた母。
さすがにうるさくてたまらない。
「もう、お父さんもからかわないの」
そばにたたずむ祖母は――。
まるで置物のように反応もない。
もうすっかり背中も曲がり、白髪におおわれた祖母。
ただ眠たげに目を細め、口論を楽しむばかりである。
「いやいや、笑ってすまない。
確かに自然現象は未だに明かされていない。
俺もね、いないかと聞かれればそれは分からない。
まあ、ここからが大事なんだ」
「うん」
父は話を続けた。
「あの世界大戦から三百年も経った。
だがその確たる証拠がない。
ひょっとしたら今思うんだが――。
祈りで氷河期を起こした。
これは後から誰かがつけた理由なのかも知れない。
俺は特別な兵器。
あるいは天候を操作する作戦が行われたと考える」
「兵器?」
ラマフェロナは瞳を輝かせてすぐさま念を押した。
「そういうのは悪用されると危険だからね。
だから軍部と政府は、それを隠したのかもね」
父は正解だというように親指を立てて笑った。
が、これほどまでにわが子が反応するとは思わなかった。
すっかりいい気になって言葉を続けた。
「そう、つまりは極秘事項だ。
歴史の闇に葬り去られた作戦という訳だ。
もし自然を自由に操れる兵器があれば最強の兵器になる」
ラマフェロナはぴんと来ない。
「それが最強なの?」
すぐさまに父はすらすらと答えて見せた。
「兵器には輸送、補給、それら様々な作業が必要とされる。
銃で撃つばかりが戦争じゃないぞ。
夜は誰だって眠らなければならない。
腹が減ったら食事も必要だ。
弾の補給、食料の輸送。
大人数の移動ともなる作戦行動は得てして目立つ。
近代兵器は電波網に感知される。
だが自然の力なら予測しようがない。
今はフレア連合の気象兵器というものもあるがな。
当時はフレアですらそのような兵器はなかったという。
何しろ敵の本拠地に突然竜巻や地震を起こされて見ろ。
手の打ちようがないぞ」
納得したらしくラマフェロナはうなずいた。
「そうだね。納得。父さんが考えたの?」
父はにやっ、と笑って自慢げにうなずいた。
あきれ顔で母は苦笑をもらした。
「全くずいぶんなホラ話ね」
そんな話などしても出世する訳でもない。
むしろこういう情熱を仕事に向けて欲しい。
少しでも出世してもらいたい。
わが子ももっと勉強して欲しい。
そんな不満ももらしたくなる。
「いやいや、何かしらがあったのは確かだ」
子供の手前か、自論にこだわる父はおとなげない。
しかしラマフェロナは父の話が気に入ったらしい。
スープをすすりながら満面の笑みを浮かべている。
「結局、人間は自然の中で育まれて来たんだよね。
だから絶対に自然にはかなわないと思うんだ。
そして自然はいつでも語りかけてくれている。
雨だって優しく降ってくれてる時がある。
太陽だって暖かく照らしてくれてる時がある。
そういう気持ちこそが何かに通じるんだと思うよ」
「うむ、そうかも知れないな」
父の顔は一段と優しくわが子を見つめるばかり。
ラマフェロナは最後のパンをかじりながら話した。
「作戦や兵器という考え方は面白いね。
けど氷河期は自然の警告だったのかも知れない」
父はうなずいて言った。
「なるほど自然の警告か。
昔から自然災害の多くは警告だと考えられてきた」
「うん、自然崇拝になるのかな。原始的かも知れないけど」
父はふざけた様子もすっかり消えていた。
ただ真面目そうにうなずいた。
「いいや、ちっとも原始的だとは思わない。
科学文明が進み、合理化が進むのは危険だ。
そもそも俺達は自然の産物だ。
自然に対して人が優れているなど思い上がりだ。
科学こそ絶対なんて考え方が幸せの役に立っただろうか。
科学が戦争をむごいものにしてきたはずだ。
なるほど。考えてみればそういう気持ちなんだろう。
英雄という伝説が生まれるのは」
ラマフェロナはぼそりと言った。
「今の世の中はどこかおかしいと思うよ」
父は悲しそうにまゆを落とした。
「そうだなぁ。
役人も腐ってるし帝都の人なんかは雲の上だ。
それに比べてここの貧乏な事。
俺なんかその中でも一番貧乏だがな。
でも月が満ちればかならず欠けるものさ。
それは定めであり避けられない事だ。
どんな栄華も腐敗するのかも知れない」
「それはやはりフレアのせいもあると思う」
「フレアか。確かに我々はあの惑星に利用されてきた。
にもかかわらず連中に取り入る者ばかりだ。
デルトゥスの主権は見る影もない。
それもこれもあの……」
母が食器をかたずけはじめた。
「またその話?どうせ私達には関係のない話よ。
それよりとっとと食器をかたずけて」
これはいつもの事だ。
父がそれもこれもと言い出すと母はその話をさえぎる。
なのでラマフェロナは母と一緒に食器をかたづけた。
それからラマフェロナは部屋に戻りらくがきをした。
あっという間に時間が過ぎた。
ラマフェロナは明かりを消してベッドにもぐった。
二度、三度ほど瞳を閉じた。
静かな闇の中で、いくつか考えごとをした。
あれこれといろいろ考えてまとまらない。
まるでそれはいたずらな妖精のよう。
さあ、楽しみはこれからというように。
さまざまな光景を浮かび上がらせた。
とうとう――。
ラマフェロナはそっと暗闇の中、幻想に足を入れ―。
伝説の英雄が駆け巡る世界を夢に描いた。
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