第320話

 イシュタルもベッドから立ち上がると、


「先にシャワー借りるぜ?」


 といい、上着を脱ぎバスルームへと向かった。やがて閉まった扉の向こう側からシャワーの音が聞こえる。ムエルテは、上着からもう一本ラッキーストライクを取り出すと再び火をつけた。


 アルボリートス施設への潜入時に腕や足に負った怪我はすっかり元通りになって、どこがけがをした場所かすら分からない。尋常ではない回復力に気が付いたのはいつだったか忘れたが、少年時代に遊びで付けたキズなども翌日にはすっかりふさがっていたが、それが当たり前だと思っていた。


 本格的に他人と違うと理解したのは、あの悲しくも忌々しい記憶。義両親であるホセとヴェロニカの命を奪われたメキシコの農園での出来事。

 エルディアブロのボス、シュワブによって撃たれた傷の回復の速さを看護師に指摘された時だった。


―――― 自分には何か特殊な体質、もしくは特別な能力がある?


 当たり前だと思っていたものが、特別なものであると認識する事には懐疑的ではあったが医療機関の人間がそういうのだからそうなのだろう。ならばその体質を最大限に生かせばいいと思っていた。メキシコ警察へ入隊したのにはそう言った「自信」も少なからずあったことは間違いない。


 ディミトリがプレストに疑念があるという。


 メキシコ特殊部隊フェデラレス部隊に所属していた折に、長官であるミケルカンにより推挙され、ラテンアメリカ特殊諜報部隊クルゥジャのディミトリと会った。ミケルカンにしてもクルゥジャの統括であるというプレストにしても直接会ったことは無い。


 仮想空間においての姿はメリーゴーランドの木馬に乗った姿だが、実際は車いすに乗った初老の老人らしい。特殊な能力を持っていて、ラテンアメリカ連合のAIオロドゥマレに人格ファイルが採用されていると聞く。相当の人格者だということか?


 そのプレストに疑念を持つという事は、よほどの事であるし、ダルセとフィーネがプレストを外した通信アプリケーションDFを開発した事ですら、ある意味裏切りだと取られても仕方ない事案ではある。


 ディミトリはキューバ軍に戦闘指導を行うロシア軍所属の兵士であったが、その後追放され、中南米のみならず世界各地の紛争地を傭兵として回っている。

 その際の伝手によって「部隊」のメンバーが構成されているわけだが、クルゥジャへの所属が決まった際に、脳内に埋め込まれたプレストとの専用回線ユニット、「万が一」ディミトリが裏切った際に作動する「サーキットブレイカー」が体内に埋め込まれている。


 自らの命を差し出してまでクルゥジャに所属したディミトリが何を考える?


 キューバの暖かい風がタバコから立ち上る煙を吹き流していく。当然煙は広がり、薄まり、何事もなかったかのように消えていく。


 確実に存在しそこにあるにもかかわらず、見えないもの、なかったものとして扱われているものがある。


 フロリダから運び込まれたミンとシンの体を持ち去った連中の事も突き止めたい。

キューバに滞在している間に、マフィアや裏社会だけではなく、政府側の人間の事も調査した方がいいかもしれない。


 特にそう、あのハバナトレンチのラウールの父親であるというリチャデイロ議員だ。今回のメキシコ=キューバ紛争の引き金を引いたのは彼。


 何を企んでいる。「グレートリセット」の為にミンとシンはあの施設においてクローン化されて補完されているのか?


 ミンとシンのオリジナルはどこにいる?

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