神様が決めたこと

ぜろ

第1話

「じゃあホームルーム始めるぞー」

 トレードマークだった本が無くなった保志先生にはちょっとした違和感が付きまとっていたけれど、今はそれももう感じなくなっていた。そう言えば河原崎先生の公判っていつなんだろう、あたし達も証人で出なきゃいけないのかなあ、なんて考えながら暗くなり始めた空を眺める。秋だ。秋と言ったら食欲の秋だ。パイが無性に作りたくなる。市販のパイはりんごが事前に煮られていてふにゃふにゃしたところがあるのがちょっと苦手だけれど、オーブンの過熱だけだとしゃきっとした食感が残って結構おいしくなる。勿論あたし調べだ。慧天も昔からそんなパイばかり食べてたから、趣味は一緒だ。今度の日曜日は二つぐらい焼いちゃおうかなあ、なんて思いながら教卓に向かっている学級委員長を見る。保志先生は適当な椅子に座っていた。

 再来週の日曜日は学園祭である。早いところ演目を決めないと他のクラスに後れを取ると言う事で、それでも十分遅いと思う今日のホームルームの課題はそれだった。喫茶店、お化け屋敷、バルーンアート――みんな結構熱心に意見を出す。そんな中にもう一つ案を出してきたのは、あまり発言しない方だった畔上くろかみさんだった。珍しい、と手を挙げているのを見るのはショートカットの学級委員長も同じで、当てられた畔上さんははいっとちょっと上ずった声で返事をする。

「クレープ屋さんはどうでしょう。うちに専門のプレートを持っているので、役に立てると思います」

「焼き方解るの? 畔上さん」

「はい、夏にはフルーツや生クリームを使っておやつ作ったりしますから」

「喫茶店より持ち歩き出来る利点があるから便利かもね。並ばなくて済むし」

 と、にやりと笑うのは保志先生だ。

「いーねぇ。おじさんも生クリームは大好きだ。ちなみにカスタードクリームってクレープに合うの?」

「プリン・ア・ラ・モードがあるぐらいだから大丈夫じゃないですか? そうなると男子総出でカスタードクリーム作ってもらうことになりますけど。ホイップなら冷凍で売ってるし」

「うちにハンドミキサーあります」

「うちも」

「うちもー」

「うちもあります」

 あたしも手を挙げる。滅多に使わないけれど確か食器棚の奥にあったはずだ。夏にアイス作るのに使ったきりじゃないだろうか。まあちゃんと動くだろう。

 結構な数の女子と男子が手を挙げたので。委員長は良し、として黒板に書記がクレープ屋と縦に書く。黒板の縦書きが苦手なあたしには綺麗に字が書けるのが羨ましい。国語の時間は二つの意味でびくびくするぐらいだ。苦手なのと板書あるのとで。あたしの属性は軽ファイターなのだ。頭の方はその、あんまり、それほど。でも化学は得意だ。水兵リーベ僕の船。そしてそんなあたしより頭が良いのが慧天だ。ちょっとだけ。ちょっとだけだけどね。十番ぐらいしか違わないもんね。百四十人の学年でそれは大きな差かも知れないけれど。うちの学校小さいから煮凝りのようなものがテストの度に生まれているのだ。


 最終的に案が出尽くしたところで、挙手による投票が行われる。慧天、と小さく呟くと、ぼんやり眠りそうになっていた慧天がぱちっと目を覚ましてあたしの方を見た。不特定多数の人間が来る文化祭なんて、慧天は裏方しかやることは出来ない。多分カスタード班になるだろうけれど、聞いていたのかしらこいつは。黒板を見てうげっと言う顔をする。食事系は手間がかかるけれど、お化け屋敷なんてもっと手間だろう。今からコンセプトを決めて被り物だの音楽だの探したり作ったりは面倒だ。バルーンアートは生徒全員で技術を学ばなくてはいけないけれど、みんな合わせてじゃ一人で作れるのは二つか三つが良いところだろう。バリエーションがない。

 となるとあたしもクレープ屋かな、と思えてきた。材料は買えば良いし道具は持ってる人が持ち寄れば良いし。しかし大量に残るだろう白身はどうするんだろう。卵の。まあメレンゲにして調理室のトースターで焼けば、軽食になって良いかな。慧天も卵にはアレルギーないし、大丈夫だろう。あたしもだ。

 ちなみにあたしは魚卵アレルギー。一度てまり寿司に入ってたいくらを食べて転がって苦しんだ事もある。どうしようもなくて排泄するに任せたけれど、二度と味わいたくない苦しみだった。アレルギーとは思われず放置されたので、口に入るものには気を付けている。加熱すれば大丈夫なので、焼きたらこやたらこスパゲッティは大丈夫だけれど。慧天はお蕎麦だったかな。蕎麦粉アレルギーがあるから、迂闊なうどん屋にも入れない。大概蕎麦もやっててうっかり入ってるかもしれないからだ。慧天のアナフィラキシーは結構強めで、喉が腫れて息が出来ないレベルになることもあると言う。さすがに見たことはないけれど、そんな慧天。慧天のうちはお母さんがしっかりしてるから。子供を危険から守るためには、本当、しっかりしている人だから。

 クレープ屋に決まった投票で、次は予算内の具材を考える。バナナとイチゴは鉄板だろうと言う事で通る。キウイやパイナップルも。時期じゃないからお高い具材はジャムで代用。小麦粉や砂糖は調理室から持ち出しオーケー。おかずクレープの案も出たけれど、さすがに予算オーバーと言う事で却下。好きだけどな、ハムチーズクレープ。しかし予算は無視できない壁だ。イチゴは形の残ったジャムで。パイナップルは缶で。と、諸々決まる頃にはもう夕暮れは過ぎ去っていた。


「でも慧天、腕力大丈夫?」

「え?」

 帰り道は二人とも自転車通学のゾーンに入っていないから、徒歩でぽてぽて隣同士の家まで帰るのが習慣だ。いつからの習慣かは忘れてしまったけれど、小学校に入る頃にはもうそうだったと思う。クラスも離れた事ないし、第一そんなに人口が多い方じゃないのだ、この街は。ベッドタウンではあるけれど、電車なんかで私立の学校に行く人も多いから、昼間は驚くほどおっとりしている。

 そのおっとりの中でヘッドホンを常に付けている慧天は、ちょっと目立つ方だ。いつ充電しているかは分からないけれど、時によっては眠る時も付けているらしい。その原因が自分にあると思えば憂鬱ではあるけれど、慣れているお互いに危険を感じないではない。本当。いつになったらあたし達の関係って変わるのかな。『ヒーロー』と『名探偵』。慧天は真野君たちとつるむことを覚えるようになった。フリョー君の三人組は存外体育会系でさっぱりした性格であることが分かっている。フリョーではあるけれど、部活では本気出すタイプ。今は外部からコーチを招いているけれど、来年からは保志先生が長谷先生に代わって顧問になるらしい。あのぼんやりしただらけてる顧問で良いんだろうか。ソフト部の将来が心配である。

 ラインでめっきり仲良しになっているのは、ちょっと羨ましいかな、とも思えた。男の子の距離感は女の子であるあたしにはよく解らない。もしかして慧天より友達少ないのかもな、と思うと笑えてしまった。二年前の事件。慧天はもう笑える。高校に行く頃にはヘッドホンだって外れているかもしれない。あと一年半をどう過ごすかで、あたしや慧天の進路も決まるだろう。分かれたら。怖がっているのはあたしの方かもしれない。

「男子はバックヤードで延々カスタードクリーム作りかも知れない、ってこと。あんたそんなに腕力ある方じゃないでしょ」

「静紅からハンドミキサー借りれば良いじゃない。静紅は表に出てさ。多分お客さん集まるよ、静紅、最近可愛いから」

「最近?」

「大人っぽくなって来たって言うかね。僕が置いていかれそう」

 苦笑して見せる慧天に、あたしもまた苦笑する。中学二年の女の子っぽさなんて、あたしにはない。部活だって女子部員が少なくて男子と組んでるぐらいだ。だからか間違って試合に勝つことも多い。となるとやっかんでくるのは同じ女子部員だ。先輩たちの一年先の結束がある。女子って面倒くさい。でもそれが女の子らしさって言うんなら、あたしは一生要らないかもな。

 慧天にはそれでもあたしが女の子っぽく見えるのだと言う。あたしにとっての慧天は何だろう。やっぱり人数の少ない囲碁・将棋部の囲碁メンバー。よくお父さんと打ってるのが、冬のうちの日常風景。ただしお父さんも強い方じゃないから実力伯仲しているのが本当の所。慧天もそんなに強くない。普段はネットで初心者向けを打っているらしい。初心者って程でもないと思うけどな、とあたしはふゅーっと息を吐く。白いものが混じり始めていた。冬になって春になったら三年生だ。早いものだと思う。その一年の中であたし達はどうなって行くんだろう。進学したら離れちゃうのかな。同じところに入れるかな。そうでなくても一緒のクラスでなくなるのは怖い。怖がってるのはやっぱり、あたしなのだろうか。助けて『ヒーロー』。あたしはまた何かをやらかしてしまうのかもしれない。そう思うと、怖いものがあった。怖い。慧天の夏は終わりかけているのかもしれない。あたしには冬が襲い来る時節なのかも。

 怖いのは嫌だなあ。髪も長くなって三つ編みだって出来るようになって来た。近いうちにショートにしよう。やっぱり変わってないのはあたしだ、そうなると。解んないけど怖かった。今は解るものも怖い。だから物理的に強くなるために空手部に入った。それでも教室の窓から突き落とされてるんだからまったく世話がない。

 なんでこうなっちゃうかなぁ、はーっとまた息を吐くと、慧天がぽんぽん、とあたしの背を叩いた。触れているのは安心するけれど、手を繋いで逃げられるほどに幼くはない。大人に近付いてしまったのを感じるとちょっと頬が熱くなった。まったく、この幼馴染は人の好意に鈍感な所があるから、静紅ちゃん心配ですよ。慧天君。

「慧天だって背が伸びて来たじゃない。あたしばっかり大人になってないわよ。ちなみに今日のお供は?」

「メイド・イン・ヘヴン」

「神様の言う通り、か」

「五年もリリースしなかったって凄いよね」

「それだけあって良いアルバムに仕上がってるわよね」

 相変わらずQUEEN好きな所は変わっていなくて、あたしはそれに安心したりした。そう、そこだけは変わらないで欲しい。いつまでも共通の話題で、あって欲しい。My Life Has Been Saved。だから。ねえ、『ヒーロー』。

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