第2話幼馴染と告白
「おっはよー!」
朝にしては異常なほどに大きく、体を覆っていた睡魔を一瞬にして消し飛ばすほどに元気な少女の声。
聞き覚えのある声に、目を擦りながら振り返る。
運動部員とは思えない白い肌。
丁寧に結ばれた黒髪のポニーテールに、太陽の様に輝く笑顔。
そこに堂々と仁王立ちしていたのは、最近違和感を感じる幼馴染だった。
返事がないのを不思議に思ったのか、彼女は顔を近づけるなり、再び大声で挨拶をする。
あまりの声量に思わず耳を塞ぐと、ため息を零した後、仕方がなく挨拶に答える。
「……おう、おはよう鈴鹿。今日も五分遅れてるぞ」
「あ、時間に厳しい男はモテないよ。モテたいなら、少しの遅刻は許してよ」
「お前にモテても仕方がないから許さないよ。これで何回目だと……」
言葉を続けると、彼女は耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んだ。
声が聞こえていないかのように振舞うその様子は怒られている子供その物。
見た目は高校二年生なのにも関わらず、彼女の精神年齢は小学生と同格のようだ。
再びため息をつくと、地面に放っておかれている彼女の鞄へ手を伸ばす。
高校生が通学に使用しているとは思えない程に重量のある鞄を右手で持つと、彼女に合図を出し、一足先に学校へと向かう。
彼女は振り返らずとも分かるほどに勢い良く立ち上がり、満面の笑みを浮かべながら横を歩き始めた。
鞄を持つだけで機嫌を直し、元気に歩き始める。
普段通り、基本的に単純で明るい。
笑顔と夏の日差しが良く似合う、スポーツ女子。
間違いなく俺の知っている彼女。
何度も確認するが、普段の彼女と相違する点は一切ない。
しかし、違和感が残っている。
数分。数時間。数日。いくら考えたとて、判明されない違和感。
ここまで来たら、昨日決心した通り、本人に直接尋ねるのが一番だろう。
少し言い淀みながらも、数日間の疑問を解決するべく口を開こうとする。
その時、彼女は思い出したかのように声を上げた。
スマホを暫く注視したかと思うと、彼女の顔は見る見るうちに青ざめていく。
「やばい!後輩から連絡だ!あたし今日、朝練あったのすっかり忘れてた。遅刻してでも行かないとだから、先行くね!鞄持ってくれてありがとう」
彼女は焦りながら鞄を奪うと、鍛え上げられた自慢の脚力を惜しむ事無く発揮し、学校へと駆け出した。
彼女は都内屈指の実力を誇るソフトボール部の部長。
当然の事ながら、彼女はそれに見合った身体能力を持っている。
強靭な身体能力を発揮した彼女にはついて行けるはずもなく、簡単に置いて行かれてしまった。
仕方がなく彼女を追いかけるのは諦め、真っ青に染まる空を見上げながら、学校へと少しずつ歩いて行く。
それにしても、珍しい事もあるものだ。
彼女、秋元鈴鹿は部活が大好きである。
現在の学校に進学したのも、ソフトボール部が強いという理由からだ。
それでいて、彼女は状況によって小学生にも見える行動を行うが、意外としっかりとしている一面がある。
大好きな部活において、朝練であっても忘れるなんて事はないはずだ。
大切な練習を忘れるほどに疲れているのだろうか。
通学時間の暇を潰すように、彼女が練習を忘却した理由を考えながら、一歩ずつ学校へと向かって行く。
教室に到着した頃。時間は既に八時半を回っていた。
壁に埋め込められた黒板には白い文字で、担任の不在を伝える内容の文章が残されている。
毎朝のように行われている、担任からの長ったらしい話がない事に軽く喜ぶと、慣れた手つきで荷物を置き、授業の教科書を取り出す。
前日の授業を思い返し、教科書をめくろうとするが、紙と紙が隙間なく接触し、離れる気配がない。
そういえば昨日、教科書に軽く水を零した際、乾かすことなく鞄へ放り投げてしまった。
それが仇となり、水で紙同士が付着したまま、完全に乾いてしまったようだ。
覚えてはいないが、この現象にも名前のような物があった気がする。
いや、似たような現象なだけで、名前がついているのは別の現象だっただろうか。
意味のない思考を巡らせていると、丸眼鏡が特徴的なスーツ姿の男性が教室へと足を踏み入れた。
彼は自慢の鞄を教卓へ優しく置き、常人じゃ貼らない量の付箋が貼られた教科書を手に取る。
鋭い眼光で教室を見渡すと、挨拶をする事なく、淡々と授業を開始する。
現代文の教師とは思えない冷たさに普段と同様、動揺しながらも耳を傾ける。
「今日は前回同様、物語の授業を行う。……一つ聞く。君たちは神隠しという物を知っているかい?」
珍しい彼から生徒への問いかけに、クラスメイト一同一瞬顔を上げる。
しかし、彼ら彼女らは彼に指されたくないためか、理解出来ていないかのように、将又考えこんでいるかのように、机上の教科書へと目をやる。
同じように、俺も手元の教科書へと目をやる。
真面目である様に見せるべく、右手にはシャーペンも握っておく。
彼は嘘をついている者を探すかのように、一人一人の顔を見渡したのちに、再び黒板へと顔を戻した。
「神隠しとは人間がある日忽然と姿を消し、消え失せる事を言う。大昔では神の仕業と恐れられていたが、今では恐れられることはなく、唐突な失踪の事などを指す事もある」
彼は白いチョークを手に取ると、いつの間にか全て文字が消されていた黒板へ、白い粉を撒き散らしながら何かを描き始める。
中央に鳥居を描き、左右斜め下へ二つの円を描く。
一つの円には現世界。もう一つの円には別世界と記入すると、彼は音を立ててチョークを置いた。
全く絵を理解できず、俺達が頭上に疑問マークを浮かべていると、彼は勢い振り返り、小学生に教えるかのように優しい言葉で説明を始める。
「……神隠しには様々な説があったが、ある地域にはこんな話も存在する。それは別世界に連れて行かれた説。……神社の境内は神々の住む場所とされている。そのせいか、神社の鳥居は別世界とこの世界を繋ぐ門だと考えられていたこともあるんだ。ここまでは分かるか?」
彼は一言も発せず話を聞く生徒たちへ目線をやる。
彼らは顔を上げる事なく、数秒前と同様に教科書へ目をやっている。
そんな生徒たちに何かを言う事もなく、彼は説明を続ける。
「……神隠しにあった者は、鳥居をくぐり抜け、別世界へと迷い込んだ。そして、別世界に行った者は帰ってこれず、神隠しにあったとして考えられる事となった。……まあ、特定の地域にある、良くあるオカルト話に近いものだがな。……という事で、今日からは神隠しにまつわる物語を読み込んで行く」
長い前置きを終え、本格的に教科書の内容へと入る。
音読があるからか、前置きが終わると同時に大半の生徒の様子が変わり、少しではあるがやる気が感じ取れるようになった。
同じように音読対策を取ろうと考えたが、日付と出席番号が離れている事に気づき、筆記用具を机に置く。
暇な時間を潰すように、窓の外を観察しながら、教師の話を思い出す。
神隠し。鳥居。別世界。
まさしくおとぎ話のような話だった。
鳥居を潜ると別世界へと迷い込む。
そんな簡単に異なる世界へと行けるのだったら、年間何万人もの人が行方不明になっているはずだ。
言っていた通り、オカルト話として受け取って良いのだろう。
しかし、それはそれとして、本当に別世界へ繋がっているのだとしたら。
もし、そうだとしたら、どのような世界へと繋がっているのか。
興味がないという訳でもない。
男と言う生き物は別世界の空想をするのが好きなのだ。
別世界。この世界と異なる世界。
一体その世界には何があるのか。
その世界は一体……一体……。
思考を巡らせているうちに、意識が途切れた。
寝不足が続いていたからか、授業開始から数分で夢の世界へ行ってしまったようだ。
意識がハッキリした頃には授業終了のチャイムが鳴り、教師は教室から姿を消していた。
重い瞼を擦りながら教科書をまとめていると、聞き覚えのある声が後ろから聞こえてきた。
教科書をしまうついでに振り向くと、予想通りに幼馴染の男が仁王立ちしていた。
「おはよう!いやー、今日の授業も長かったなー。一時間のはずなのに、三時間は受けていた気がするわ」
「まあ、只管に聞き続けて、時々音読するだけだからな。寝てればすぐ終わるし良いだろ」
「それはそうだな!そう言えば、鈴鹿に聞きたい事があったんじゃなかったっけか?結局、話したん?」
「あー、それは……」
「あたしがなんだって?」
後ろから聞こえた声に振り向くと、そこには見慣れたもう一人の幼馴染が立っていた。
こちらの幼馴染も何故か仁王立ちをしている。
最近は仁王立ちで話しかけるのがブームなのだろうか。
「おー、鈴鹿!実は尚也がお前に話があるんやってよ!」
「え、なになにー?尚也から話なんて珍しいじゃん!」
「あー、そうだな。あのさ、お前最近……」
質問を投げつけようとした時。
ガラガラと教室の扉を開く音が響いた。
教室の入口へと目をやると、次の授業を行う教師が入室していた。
流れるように時計に目をやると、その針は授業開始の一分前を指していた。
適当に話している間に、貴重な休み時間の大部分は消えてしまっていたようだ。
俺と鈴鹿は放課後に話をすることを約束し、それぞれの席に着いた。
それから、二限、三限と平凡な授業が行われていった。
途中に睡眠を挟みながらも、全ての授業を乗り越えると、約束を思い出し、教室を見渡す。
視線を動かし、教室中を隈なく探すが、そこに彼女の姿はない。
彼女の友達に聞くと、約束を忘れたからか、話をしたくないからかは分からないが、部活に向かってしまったらしい。
仕方がなく、話は後日にしようと考え、帰宅しようと教室を出る。
しかし、不思議と嫌な考えが脳裏をよぎった。
ここで帰宅すれば、一生例の違和感を解決できない。
そんな考えが脳裏をよぎったのだ。
当然、そんな事はないだろう。
ないだろうが、不思議とその嫌な考えを信じてしまった。
帰路へと続く道から離れると、彼女が部活を行っている、グラウンド傍へと足を運んだ。
友達の話曰く、グラウンドを生徒会が使うという理由で、今日の部活は短時間で行うらしい。
短時間であるのならば、多少待てば部活は終わり、話の一つくらいは出来るだろう。
目に映ったベンチに腰を下ろすと、昼に購入した水のペットボトルを開封する。
季節は夏。ベンチ周りは多少日陰になっているものの、それでも少し汗が流れてしまう程に熱い。
開封した直後の水を考えなしに、喉へと流し込んで行く。
残りが半分になった頃にペットボトルを口から離し、グラウンドへと顔を向ける。
グラウンドではソフトボール部が汗を流しながら、必死に練習を行っている。
一人のピッチャーがボールを投げ、一人のバッターがそれを打つ。
他のメンバーが打たれたボールを捕る。
これをピッチャー以外が順々に位置を変えて行っているようだ。
ピッチャーを担当しているのは、汗も滴る良い女である幼馴染。
姿勢を整えると、腕全体をしならせ、素早く腕を振る。
その手から放たれたボールは高速でバッターへと向かい、バットに触れる事無くネットに包まれた。
それを確認すると、再び彼女は腕を振る。
三度、同じようにバットを避け続けると、褐色肌の女コーチの拳骨が彼女を襲った。
当然と言えば、当然だ。
状況から察するに、彼女達が行っているのはバッティング練習と守備練習。
それを豪速球を放ち、バッティングすらさせないとなると、注意されるに決まっている。
彼女は軽く注意を受け入れると、再び練習を再開した。
……ソフトボールの強さは全く変わらない。
普段と変わらない、県内屈指の豪速球を投げる投手。
フォームも見た限りでは、普段と大差ない。
こうして見ると、最近の違和感が嘘のようにも思える。
しかし、それでも心の奥深く。
深く深くで小さく引っかかる物があるのも事実。
様々な思考を巡らせながらも、彼女と話す事を決心する。
空が橙色に染まり始めた頃。
グラウンド横へと生徒会役員が集まり始めたのが分かった。
それを目にしたからか、女コーチは選手を集めると、撤収の合図を出した。
彼女らは急ぎ足に各々の使用した道具を片付け、グラウンドから移動し始める。
その最中。大量のボールが入った籠を軽々と持ち上げ、片手で運び始めた鈴鹿と目が合った。
彼女は驚いた表情を浮かべると、自慢の脚力を生かし、高速で俺の元へと駆けてきた。
「尚也!こんな所で何してるの?」
「何ってな……約束忘れたのか?」
彼女は一瞬悲しそうな表情を浮かべると、すぐに笑顔になり、少し待つように告げたのち、その場を後にした。
彼女の笑顔はどこか引きつっており、普段とは何かが違うと思わせる表情だった。
十数分後。制服姿へと戻った彼女は、約束を破る事無く、再びグラウンド傍へと現れた。
ベンチに忘れ物をしていないか確認すると、普段通りの道を通り、家へと向かい始める。
既に陽は深く沈んでおり、十数分で完全に地平線に沈む時間帯。
陽が沈みつつあるおかげか、昼間のような暑さは消え、どことなく涼しいように感じる。
話すのが好きな彼女の話に相槌を打ち、合間合間に脳内で思った事を口に出しながら歩き続ける。
長い付き合いだからこそ、遠慮する事無く、言葉を思ったままに放つ事が出来る。
普段と何も変わらない、普通の時間。何の変哲もない話し時間だが、不思議と落ち着く時間。
しかし、今日ばかりは、このまま落ち着いている訳にはいかない。
笑顔で言葉を発する彼女の話を遮り、意を決して本題を切り出す。
「それでさー、敬斗ったらさー……」
「なあ、鈴鹿。少し話したい事があるんだけど、良いかな?」
「え、話?うーん、まだ時間はあるし、後で良くない?それよりさ、敬斗がさ……」
「鈴鹿。今じゃなきゃ駄目なんだ。今、話をしよう」
「え、何?……もしかして、告白かなんか!?ごめんだけど、あたし告白されるのはイルミネーションの真ん中に決めてて……」
「……鈴鹿!」
話を逸らし続ける彼女へ、普段の生活では基本的に出さない大声を放つ。
彼女は驚愕した表情を浮かべると、諦めたような態度を取り、口を閉じた。
その様子から察するに、話を始めるのを待ってくれているようだ。
「……これから変な事言うかもだけど、真面目に聞いてほしい。……鈴鹿、お前は本当に鈴鹿か?お前は……俺の知っている秋元鈴鹿なのか?お前は……誰だ」
彼女は口を閉ざしたまま俯いた。
数秒後、引きつった笑顔を浮かべると、冗談を言うような声で質問に答える。
「……いや、いやいやいや!何言ってるの!あたしが鈴鹿か?って……鈴鹿に決まってるでしょ!大体、鈴鹿じゃないなら誰だって話よ。どこからどう見ても、あたしはあたしでしょ!」
「ああ……確かに、どこからどう見ても鈴鹿は鈴鹿。数日間、お前の事をよく見てたけど、行動も。言動も。全てが鈴鹿その物だった。一つも。本当に一つも、鈴鹿と違う所はなかったよ」
「じゃあ、何であたしがあたしじゃないみたいに……」
「……幼馴染だからだ。今日までずっと一緒にいたから、幼馴染だから、気付いたんだよ、違和感に。根拠はない。だけど……根拠はないけど、お前は鈴鹿じゃない。そんな気が……したんだ」
本心からの言葉。
その言葉を耳にすると、彼女は嬉しそうで、それでいて寂しそうで、悲しそうな表情を浮かべた。
彼女は少し涙目になりながら、ゆっくりと背を向けた。
そして、軽く目を擦るような仕草をすると、真っ直ぐに前を向き、勢い良く振り返る。
その表情は先程とは違い、目に涙を浮かべてはいるものの、心の底からの満面の笑みを浮かべていた。
「全く、尚也は……どんだけあたしの事好きなのよ!小さな違和感に気づくとか、あたしの事見過ぎだよ!」
「はー?いや、別にそんなに見てたわけじゃ……」
「尚也!……ありがとう。それと……騙してて、ごめんね。あたしはさ……尚也の知ってる、あたしじゃないんだ」
覚悟を決めた、彼女からの事実の告白。
その言葉の意味を理解できず、その場に立ち尽くせざる得なかった。
その時のアホのような顔を見たからか、彼女は更に笑顔を浮かべた。
彼女からの告白。
この告白が、俺達の運命を。
いや、俺達と俺達の運命を大きく変える事となった。
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