第63話

 天気が良いこともあり、空にはまだほんのりとだが明るさが残っている。

 ビル群の合間からは遠くにぼんやりと山脈の影が見えた。


 会議が終わり、俺と遠山は会社の屋上にいた。

 鈴木隼人として彼女と肩を並べている。


 噂を聞きつけた同僚が、隠れる気もない騒がしい様子で俺達を伺っているらしく。


「隼人さん!? なんで隼人さんが!? ねぇ! どういうこと!?」


 元口などは、慌てふためいているのか無意味に俺の名を呼んでいる。

 まあ、人気モデル氷室葉月とただのおっさんサラリーマンが二人きりでいるのだから、当たり前の反応ではあるが。


「お前らどっかいけ!!」


 容赦なく一喝。睨みつけてやった。

 野次馬たちはしぶしぶ帰っていく。


 怒っているとかじゃない。

 ただ恥ずかしくて仕方がないだけなんだ。



 二人きりになった屋上。少し風が吹いている。

 遠山はその長い髪を軽く押さえて、俺に振り向いた。

 俺の知っている遠山がすぐそこにいた。


「本当に酷いわ。何の連絡もくれないなんて」


 すねたように言う遠山に、俺は当然の疑問と感情をぶつける。


「……どうやって。いや、ありえない……こんなバカなことがあってたまるか……」


「大変だったわ……。興信所を使ってしまったもの」


「……へ? ……はぁっ!?」


「芸能事務所はそういうところとも繋がりがあるのよ。でも、少ない情報で探すのは本当に苦労したわ。お金も随分とかかってしまったもの」


 興信所を使ってまで俺を探していたことには驚きだが、本当の疑問はそこではない。


「崎川恭介が俺だって、なんでわかったんだ」


「……そう、それなのよ。本当に不思議なことってあるのね――。崎川くんよ」


 崎川恭介。俺が一時期その体にいたことを、まさか覚えているのか。


「あいつが? 俺のことを話したってのか」


「いえ――」

 

 遠山は小さく首をふる。


「ねぇ、学校で突然倒れたの覚えてる?」


「ああ……」


 遠山と日山さんから迫られて、体育館裏から走って逃げた時のことだろう。


「それからしばらくして崎川くんから連絡が来たの。二人で話したいって。大事な話があるからって――――私とても期待したのにな……」


 最後の言葉は、空に投げるように呟いた。

 俺は聞かなかったことにして続ける。


「……崎川恭介はなんて言ったんだ?」


「『遠山さんと話していたのは僕じゃない』って唐突に言われたわ。何言っているのか意味が分からなくて……。私、とても怒ってしまったわ」


 遠山はその時のことを思い出したのか、くつくつ笑う。


「でも崎川くん、一生懸命に説明してくれた。その話を聞いていたら、確かに私の知っている崎川と目の前にいる崎川くんがあまりにも違ったの」


「そ、そうか……」


「だって、崎川くん、私のこと『遠山さん』って呼ぶし、敬語使うし。話している時だってずっとカチコチにかしこまっているのよ。多重人格なのかしらって疑ってしまうほどだったわ」


「……はは、崎川恭介はそんな感じなのか」


「ふふ。まったくの別人ね」


 崎川理恵にも似たような事を言われたのを思い出す。


「崎川くんね。あなたのことは断片的な印象みたいなものがあるだけで、あまり覚えてはいないんだって。ただ自分の中に誰かがいた気がする。でもとても温かくて、優しい人だったって。ずっと自分のことを気遣ってくれていたって。そう言ってた」


「だからって、俺が崎川恭介の中に入っていたって、それはどうやって……」


「ずっと考えてた。もし崎川くんの言っていることが本当だとしたら、どこかに私の知っている崎川がいるはずだって……なんだか言っててややこしいわね」


 遠山は自分で言って苦笑する。


「自転車で私を連れ出してくれた時、あなたが一つだけ残した情報を思い出したの」


「情報?」


「ええ、IT企業勤め。知り合いのスズキハヤトさん」


 そう言えば俺の事を知りたいと言った遠山に、言うに困ってその名を出したことを思い出した。


「偽名かも知れないし、適当な設定かもしれない。でも崎川の性格からしたら、たぶん事実。私はそう睨んだわ。……で、調べまくったわけ」


「マジかよ……。あんなのを覚えているなんて。すげぇな……」


「そう? 私、こう見えて崎川のこと随分見ていたつもりよ? あなたに言われたことは覚えているって以前にも言ったじゃない」


 そう言って得意げな顔をする。

 すると遠山は思いついたように言った。


「ね、隼人さん、でいい?」


 呼び名のことらしい。


「あ、ああ、何でもいいが……」


「隼人さん。ふふっ。なかなかいいわね」


「お、おう……」


 名前呼びになんだがむず痒くなる。

 

「隼人さんの会社が企業ブランディングのイメージキャラクターを探していることがわかったの。事務所の社長にその仕事をやらせてくれってお願いしたわ。私のイメージ戦略と違うって、最初は随分しぶられたけれど。押し通したわ」


 その行動力には驚きしかない。が、とあることにふと思い当たった。


「なぁ。もしかしてお前。うちの専務に俺の名前だしたりしたか?」


「ええ、もちろん。そうでもしないと会えないでしょ? 知り合いだからプロジェクトメンバーに入れて欲しいって、お願いしておいたわ」


 お前か……。技術屋の一般社員である俺が、なぜ企業ブランディングプロジェクトに呼ばれたのか合点がいった。


 だが鈴木隼人なんて名前。日本中探せば何人もいるに違いない。


「人違いだったらどうするつもりだったんだよ……」


「その時はその時。また別の鈴木隼人さんを探すだけよ」


 遠山は当たり前だとばかりに、きっぱりと答えた。


「でも、会えた……。やっと……。ほんと、隼人さんから会いに来てくれたらどれだけ楽だったか」


「無茶言うな。行けるわけないだろ。見ろよ、俺はただのおっさんだぞ」


「ふーん……。私、待ってたんだけどな」


 遠山は残念そうに言う。少し不機嫌な調子で付け加える。


「いつでも駆けつけるって言ってくれたのに。……ねぇ。私のこと、その程度だったの?」


「……え?」


「私はとても嬉しかったのだけれど。そう考えるとなんだか癪だわ……」


「お前が気になっているのは崎川恭介だろ。俺じゃない」


「違う」


 遠山は俺の目をまじまじと見つめた。


「勘違いしないで。私は――――私は、鈴木隼人が好き」

 

 その美しい瞳に気圧されるように、俺は視線を逸らした。


「……何言ってんだ。俺、33だぞ。お前の倍くらい生きてるんだ」


「そうね、15か」


「15?」


「年齢差。まあ、ありじゃないかしら、それくらい」


「ありってお前……」


「私の仕事関係者はアラフィフの男性なんていっぱいいるし。私、おじさまから結構人気あるのよ。口説かれるのなんてしょっちゅうなんだから」


「マジで!?」


「そうよ? だって私、綺麗だから、ね?」


 目を細め、いたずらっぽい微笑を浮かべる。

 まったく……。

 眼の前にいる遠山は、俺の知っている魅力あふれる彼女そのものだった。


「ああ、まったくその通りだ。お前は綺麗だよ」


「へぇ。素直に認めるのね?」


「だから俺のことは忘れろ。お前はお前の人生を生きてくれ」


「嫌よ」


「なんでだよ。俺と一緒にいても良いことなんてないって」


「それは私が決めること、隼人さんが決めることではないと思うわ」


「そりゃそうだが……」


「それにね」


 そう言った遠山は俺の真正面に立った。

 小さく細い手を伸ばし、俺の手を優しく握る。

 潤む瞳をまっすぐに向けてくる。

 

「私が、あなたのことを放っておけないの」


 しっかりとした口調。微笑んだ。


 俺と遠山の間に、一筋の風が吹き抜けていく。


「だから――。だから隣にいさせて下さい」


 俺の手を握る遠山の手にきゅっと力が込められた。

 俺はその手を握り返すことも、離すこともできずにいた。

 そのかわりに、遠山を見つめ返す。


 潤む瞳が輝いている。

 あまりの美しさに、視線を逸らすように空を見る。

 遠山も同じように顔を上げて、空を見た。


 夜の帳が降りている。

 一緒に夜空を眺めるのは、2度目だった。


 夜ということもあり空気は少し冷たく感じる。

 体温を奪われ始めた彼女の手。

 俺たち二人の間を抜けていく風に予感する――。


 夏を超え、秋を越え。

 遠くに見える山脈にまで届くくらい。

 どこまでも、どこまでも。

 それは巡っていくのだろう、と。

 



         了



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読者の皆様へ


最後までお読み頂き本当にありがとうございます。

沢山の方に読んで頂けたこと、かつ応援や評価までして下さり、執筆中とても幸せでした。

メインストーリはこれで終わりとなる為、完結ステータスを立てる予定ですが、後日サイドストーリーを数話ほど投稿しようかと考え中です。


投稿された際は、よろしければ読んでやってください。


あっ……!「★評価」がまだの方は是非お願いします!

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