靴を舐めろ
「どうした? 負けたのだから早く私の靴を舐めろ。お前に選択肢などない」
「靴じゃなくて、生足じゃダメですか?」
瞬間、女騎士のジェシカはポカンとして口を開けた。目の前の男が何を言っているのか、イマイチよく分からなかったからだ。
「はぁ?」
「いや、どーせなら騎士様の生足が舐めたいなぁと思いまして。それに、靴より生足の方が服従してる感ありません?」
「いや、いやいやいや。お前、状況を分かってるのか? 無謀にも決闘を申し込んできたお前への戒めなんだぞ? 決して、お前の欲望を私が満たしてやる的なイベントではないんだぞ?」
「あの、知ってることいちいち説明しないでもらっていいですか? 騎士様にぶっ飛ばれたせいで頭痛いんで」
チクリとした罪悪感を植え付けられ言葉を失ったジェシカ。立て続けに男が言う。
「今日は、結構暑かったですね」
「あ、あぁ。確かに、例年と比べてれば幾らか……」
戦いに身を投じてきた気高い彼女には、彼の存在そのものが分からなくなり始めていた。会話に応じてしまった理由もそれだ。
「俺をぶっ飛ばすときも、俺が結構逃げ回ったせいで走りましたよね。汗、かいてますし」
「そうだな。まったく、挑んできたかと思えば逃げて時間稼ぎなどと。小賢しくて涙が出る」
「数日前から、確か遠征任務に行かれていましたよね。今朝帰投したようですが、騎士様。風呂には入られましたか?」
「い、いや。王への無礼を承知で報告を優先させて頂いた。早急に情報をお耳に入れていただく必要があったのだ。今はその帰りだ」
「足、舐めさせてもらっていいですか?」
ジェシカは、男の頬を引っ叩いて転ばすと腰の上に片足を乗せてグリグリと踏みつけた。
「お前は本当に何を言っているのだ! 汚らわしい! 気持ち悪い!」
「指の間も舐めてあげますよ」
「やめて! 恥ずかしいからそれ以上は喋らないで!」
なぜ、勝負に負けた男がこんなにも恐ろしいのか。なぜ、勝った自分が後退りしているのか。ジェシカは、段々と自分の軽率な発言を後悔し始めた。
それは、苛烈を極める男たちの中で勝ち上がるために彼女を支え続けたプライドと傲慢の産物だ。しかし、目の前のチンピラはあろうことか自らの意地を肯定し、あまつさえ逆手に取られているのだから。
彼女には、もうどうしていいのかが本当に分からなかった。
「な、なぜ足を舐めたがるんだ」
「俺の浅知恵と変態性が、高貴な騎士様に通用するのか試したいからです」
「えぇ……」
そして、ようやく答えに行き着く。この男は決して決闘をしたかったワケではなく、身分の違う自分と口を利き更に誂うのが目的だったのだと。
初めから、絡め取られていた。これ以上の屈辱はない。
「少し違います、俺は本気で生足を舐めたいんてす」
「心を読むな!」
「読みやすいんです、騎士様は気高い美人ですがアホですから」
「な、なんだと!?」
「街ではもっぱらの噂ですよ、何もないところで転ぶだのダウンタウンの道に迷ってオロオロしてるだの」
「……え? それ本当? なんで知ってるの?」
「いいえ、俺の作り話です。しかし、本当のことだったみたいですね。他にも的中させてみましょうか?」
これ以上、この男と離していると幾つの醜態を晒されるかも分からない。危険を察知したジェシカは、諦めたように壁に手をつくと顔を真っ赤にしながらブーツとレギンスを脱いだ。
「ゆ、許してくれ。足を舐める事を許可するから」
「許可ですって? 何を勘違いしてるんですか?」
「……は?」
「立場は逆転したんです。騎士様が俺に、街のチンピラに過ぎない俺に『お願いですから足を舐めてください』と頼むんですよ」
「そ、それ以上の狼藉は……っ」
「ハヤシライスと間違えてカレーを頼んだ上、店員に『このハヤシは味がおかしい! 私は辛いモノが食べられないんだぞ!』とキレ散らかしてるビジョンが見えますねぇ」
「お、おおお、お願いですから、足を舐めてください!」
そして、チンピラは
「こ、この借りは必ず……っ! 必ず返すからなぁ……っ! ひぐ……っ」
「いつでもどうぞ」
路地を離れ表へ去っていくチンピラの後ろ姿を見て、悔し涙を流しながらブーツを履くと、レギンスを手に持ってシクシクと泣きながら誰にも見つからないようにダウンタウンの裏道を通って帰路へ着く。
しかし、そこでもまた道に迷い、今度からは絶対に一人でこの周辺を歩くのはやめようと心に誓ったジェシカであった。
余談だが、ニヤケ面で現れた例のチンピラのお陰で、ちゃんと家に帰れたようだ。
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