第7話 女子校生(え、ストーカー?)
夕方の帰り道。
赤く染まったお日様が西の稜線に帰ろうとする頃。
通学路を駅に向かう私の足は雨夜のカエルのように落ち着きなくピョコピョコ跳ねていた。
「ふふ。今日の能登っち、面白かったなぁ」
今朝、刺激強めのスキンシップをお見舞いしたがリアクションは余裕いっぱいだった。
が、それはいつものことなので良いとして、手応えがあったのは授業中の不意打ちだ。
ノートの端っこに書いたメッセージをこっそり見せる作戦。
いつも授業中は真面目にしているからこんなことしたのは初めてだ。正直、成功するかドキドキしたけど読んでもらえたので大成功!
能登っちも満更でもなさそうにしてたけど、その割には少し動揺していた気がする。ちょっと思ったリアクションと違うけど、面白い顔が見れたし、改めてお礼の気持ちも伝えられたので上々だ。
と、浮かれ気分な私の向かう先、歩道の端にそわそわと落ち着かない様子で立っている人がいた。
パンツルックにブレザー、高めの身長から遠目でも男性と分かる。
なんだろう……不審者かな?
春になると出るっていうけど……。
「な、
え……声掛けられた。しかも私のこと知ってるの? 怖っ!?
その人は歩道の真ん中に立って通せんぼするように対峙してきた。
背は高いけどちょっと子供っぽい顔、明るく染めた茶髪は無造作風にセットされている。
誰だろう、と人相を確かめる前に私は彼の服装を見て眉を顰めてしまった。
ブレザーのデザインから彼が
仁安北高校――通称『ニョッキ』は北斉市の私立高校だ。愛宕と同じく自由な校風を謳っているが、『自由闊達』な愛宕と違い、ニョッキは『自由奔放』、あるいは校則上等な無法地帯と言われている。
そうなる理由は、中学生の頃からヤンチャだったり勉強のできない人が高校生の肩書き欲しさに集まるせいだ。
勉強は嫌いだが働きたくはない。かといって農業高校や工業高校には行きたくない。そんな我儘な人の集まりだから校則は破るし、無自覚に法に触れることもする。愛宕女学院での評判はすこぶる悪く、長期休暇前になると先生から注意喚起されるくらいだ。
身構えてしまったのは制服のエンブレムが
「えっと……どちら様? というか人違いじゃありません?」
「えぇ!? 五十嵐凪音ちゃんだよね? 俺のこと覚えてない?」
「……すみません。どちら様でしょう?」
実を言うとどこか引っ掛かりを覚える顔だ。以前会ったことのあるようなないような……。
「俺だよ!
「あ、あぁ……五木くんね!」
そういえば、そんな人いたなぁ……。
春休み中、友達に声をかけられて生まれて初めての合コンに参加したのだ。
彼はその中の一人。確かこの春から高校生になると言っていたので一つ年下。緊張して舌をもつれさせながら早口で話しかけてきた。おかげで何を言っているのか全く分からず、適当に相槌を打ってその日は終わったのだった。
帰り間際にLINEのIDは教えてほしいと言うので付き合いのつもりで渡した。すると、やたらメッセージを送ってくるので適当に相手をしていたのだが、その後はどうしたんだっけ?
「えっと、それで今日はどうしたの? おうち、この辺」
「いや、連絡してくれるって言ってたのに音沙汰なしだから……その……」
「ふーん……」
それで私のこと待ち伏せしてたわけ?
それは……やめてほしいな。
さっきまで元気だった私の足はカチコチになって地面にべったり張りついていた。
「俺、もっと凪音ちゃんと仲良くなりたいと思ってるんだ。だから今度の土日、どっか遊び行かない?(ヌチャァ)」
「えっと……ごめんなさい」
一歩、五木くんが踏み出すと反発する磁石のように私の身体は後退りした。
瞳孔の開いた彼の瞳はどこか鬼気迫るものがある。そのくせ視線は不安定に上下し、私の胸や脚を先ほどからチラチラ
飢えた獣に迫られる恐怖感。
防衛本能とほとんど変わらない忌避感は、誰かが私に逃げろと叫んでいるようだった。
「そんなこと、言わないでよ!」
焦りを滲ませた五木くんの手がにゅっと飛び出して私の手首をがっちり掴んだ。
年下なのにやっぱり男の子だな。太い指とゴツゴツした手のひらは、咄嗟に引っ込めようとした腕を放してくれない。
「い、痛いよ……」
痛いし、怖い。
どうしよう。他に愛宕生はいないし、街中と違って人通りもない。
……誰か、助けて……。
「そこで何してる?」
その時だ。張り詰めた低い声が背中に響いた。
背骨の節の一つ一つが震え、心臓が外からパーカッションされる。
顎が引っ張られて振り返った先には能登っちが――いや、能登先生が立っていた。
先生は眉間に皺を寄せている。今年で五年目の付き合いだから分かるが、これは真面目なお説教モードだ。
いつもの能登っちと思ってるとキツめに怒られる、ちょっと怖い能登先生の顔。
「五十嵐か。そっちの男子は友達か?」
能登先生は渋い顔で五木くんを一瞥し、すぐに視線を私に向けてそう問うた。
「いえ……そういうわけでは」
最悪だ……。誰かが助けてくれるのはありがたいが、それが能登先生だなんて……。
往来で、それも学校の近くで男の子と会ってるなんてあまり褒められたことではない。
そんな場面を能登先生に見られるなんて……恥ずかしくて涙が出そうだ。
「君、仁安北の生徒だね。こんなところで何してる? 家が近いの?」
「いえ、近くないです……」
「そうか。それじゃあ、その子を放してもう帰りなさい。あまり他所の学校の周りをうろちょろするもんじゃない」
目の奥がズンと震えるような低い声。五木くんは完全に萎縮してしまい、腕を握る手の力を緩めた。
「五十嵐はもう帰りなさい。それから君はちょっと残る。他所の生徒さんだけど、お説教があります」
先生はゾウみたいな歩調で私と五木くんの間に入ってきた。
その大きな背中を見て、私は安堵すると共に言い知れない不安を抱えていた。
私はずっと、能登先生には『良い生徒』と思われてきたはずだ。
ちょっとイタズラしてみたり、揶揄ったことはある。でも授業は真面目に受けたし、学校行事にも積極的に参加してきた。その甲斐あってか、先生には信頼されているはずだった。
それが、男子と密会みたいな場面を見られたせいで脆くも崩れ落ちる気がして胸が苦しくなった。
「あの先生……」
「なんだ?」
その誤解を解きたい。いや、それができなくともせめて一言お礼を言いたい。
だが一瞥もくれない先生の声はずっしりと圧を与える重厚さを帯びている。
それは、凛々しく教鞭を取る声でも、ふざける私にお説教する温かい声でも、ましてやあの夜に助けてくれた優しい声でもない。
私は完全に萎縮してしまい、次の言葉を紡げなかった。
「いえ……何でもありません」
「そうか」
先生は淡白に会話を終わらせる。
が、ふと私を振り返った。
「びっくりしたよな? でも怖がらなくていいよ」
先生のそんな声がそっと耳を撫でる。
それは木々の枝葉を力任せに揺らす突風。力強くて心地良い。
いや、実際には先生は何も言葉を発していない。
振り向きざまに浮かべたふんわりした笑顔がそう語っているのだ。
茜差す先生の面差しは、やっぱり私の大好きな能登先生で間違いない。
ドクン――。
その時、私は胸を貫かれたような痛みに襲われた。
息がどんどん苦しくなって全身が熱を帯びていく。つむじから煮えたぎるお湯を流し込まれたみたいにつま先に至るまでの身体中が一気に熱くなる。
私は先生の脇を通り抜け、逃げるようにその場を後にした。
早足になったのは先生から言いつけられたからではない。
胸に湧いてきた得体の知れない痛みが怖くて、それから逃げ出したかったのだ。
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