第13話 『私は君の名を呼ぼうと思ったことがない』(第一王子視点/過去編)

『殿下、私のささやかな願いをどうか聞き届けてくださいませ』


 呼べない。呼べるわけがない。呼びたいと思ったことはあっても、呼ぼうと思ったことはなかった。ーー葬儀の際、王妃の棺に縋りつき、王妃の名を呼び続ける父王の姿が酷く醜いものに見えてしまった。


『貴方に名を呼ばれる度に、苦痛で仕方がありませんでした』


 王妃の最期を見た王が、それでも妻の名を呼び続ける。あまりに独り善がりで、滑稽なものに見えて仕方がなかった。苦痛だと知っていながら、棺に収まる王妃の遺体になお、王は『苦痛』を与え続けている。王妃の言葉は一言一句違わずに覚えていると言っておきながら、都合の悪い言葉は無視することにしているらしい。


 父にとって母は『最愛』であっても、『大切』ではなかったのだ。王妃の忘れ形見である私と、王妃の忠臣である側室を排除しようとすることで、王妃の死を自分しか知らないものにしようとするのが、何よりの証。隙あらば、私の首を落とさんとする言動行動を見る度に、言葉にはできない激情が溜まっていく。


 それまでに私の首を落としたいのならば。いっそあの家臣の言葉に従って、王妃の不貞にしてしまえばよかったのだ。王妃の身分を取り上げて、別の女を後妻に娶ればいいものを。そうして、二人目の王妃が産んだ子を『第一王子』にすげ替えればよかったのだ。つくづく度し難い父王である。


 父は母以外どうでもよかったのだ。


 だからこそ、父王は母に毒を盛っていたのではないかと考えてしまう。母は私以外の王子王女を身籠れなかった。どんな形であれ、国王の寵愛を一身に受けていたにもかかわらず。しかし、それは果たして事実だろうか。そもそも、父は母が側室を勧める前からあの毒を持っていたらしい。母の死後、酔った父が言っていた。ならば、あの毒は何の為に手に入れたのか。


『私はそなたを妻に迎えただけだ。王妃の務めなど気にしなくてともよかったのだ』


 あれが父王の全てだった。そう思えて仕方がない。ならば、私はどうなのか。彼女のことを好ましく思っている一方で、この感情が果たして父と同じではないと断言しきれない自分がいた。私が彼女に向ける感情が、仮に父王と同じものだったとして。


 私は彼女を殺さないでいられるだろうか?


 彼女が苦痛を訴えたとしても、見て見ぬふりをし続けて、手元に置きたがるような。身勝手で独りよがりな感情を向けてしまわないか。


 挙げ句、彼女に母と同じ死に方をさせてしまうのではないか。そう考えたら、彼女の名を呼ぼうとは思えなくなってしまった。呼びたいと思ったとしても、亡き母の死体が脳裏を過ぎると同時に、それが彼女のそれと重なって見えるようになっていった。つまらない想像の産物でしかないと、頭では分かっていたとしても、全身を竦ませる恐怖にも似た感情は余人にはきっと理解しがたいものだろう。


 いつの間にか、彼女の目に映る自分すら直視できなくなっていき、目を逸らしてしまうのが癖になっていた。


 だから私は、彼女に名を呼んでほしいと言われた際も、


『私は君の名を呼ぼうと思ったことがない』


 彼女から目を背けた状態で、彼女を傷つける言葉を口にしていた。

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