第5話 「何故毒を呷らなかったのですか、兄上」(第一王子視点)

「何故毒を呷らなかったのですか、兄上」


 彼女と入れ替わるように聞こえた足音がやけに不快に感じた。


「······無用心だな、今の自身の立場を忘れたか」

「いいえ、何一つ」


 顔を上げた先にいた姿に、目をすがめた。


 最も身分の低い側室を母に持ちながら、今や唯一の王位継承権を持つ異母弟。牢獄越しの外側に、第二王子が立っていた。


「兄上」


 感情を底に沈ませたような声が呼ぶ。


「あまり驚かれないのですね」

「立ち聞きしていたことには驚いている」

「兄上らしいお言葉ですね」

「あの毒がお前の差し金ならば、間者が彼女を見張っているかと思っていた」


 王家の血筋を証明する瞳の色以外、何一つ似ていない異母弟を見上げた。


「まさかお前がいるとは思わなかったが」

「······そうですか」


 相槌はどこまでも冷め切ったものだった。


「兄上」


 兄と呼ぶ声に、一切の情はない。


「先程の問いに答えて頂けませんか」

「やはり毒はお前の差し金か?」

「いいえ、あれは彼女が用意したものでしょう」


 その視線は地面に落ちている。


「ただ、」


 地面に染み込んだ毒は、その靴底を汚さない。


「彼女に男爵令嬢の公開処刑を見に行くよう勧めたのは、他でもない私ですが」


 思わず眉を寄せた。


「何故、そのようなことを?」

「もし公開処刑の実情を知れば、彼女は兄上を自らの手で殺めようとする筈」


 冷めた眼差しは変わらずこちらを見ることなく、地面に染み込んだ毒の色に向けられている。


「そうすれば彼女との婚約は白紙となり、別の令嬢を妻として迎えることができますから」

「お前は彼女が死んでもいいと?」

「ええ、そうですね」


 迷うことなく、異母弟は頷いた。


「彼女は生涯私を『夫』と呼ぶことはないでしょう」


 国王陛下と呼ぶことはあってもと、異母弟はこちらを見た。


「ならば、彼女ではない他の令嬢を娶った方がいくらか良好な関係が築けるかと思ったのですが」


 異母弟の口元に、自嘲気味な笑みが浮かんだ。


「どうやらそれは不可能なようですね」

「彼女を『妻』として迎えると?」

「ええ、彼女は必ず『王妃』になってくれるでしょう」


 ですがと、異母弟は言った。


「先程の問いにお答えを、兄上」

「······」

「何故、毒を呷らなかったのですか?」

「禍根を残さなぬ為だ」

「――禍根?」


 底に沈んでいた筈の感情が、声になる。


「禍根など、王宮中に転がっているではありませんか」


 ――兄上が死に、彼女が後を追ったところで誰も気にも留めないだろう。


 異母弟は感情に任せて、吐き捨てた。


「何より禍根をばら蒔いるのは他でもない国王陛下ではありませんか」

「ああ、そうだな」


 ため息を禁じ得ない。

 異母弟にではなく、父王に対して。


「王の振る舞いは目に余るものがある」

「······意外でした」


 異母弟は呟いた。


「兄上は『王を侮辱するな』と叱責するとばかり」

「事実だ」


 断言し、異母弟を見上げた。


「お前が王になった時、離宮にでも幽閉すればいい」

「······禍根自体はなかったことにはなりません」

「それはお前が考えるべきことだ」

「いいえ、そうではありません」


 異母弟は頭を振った。


「そこまで考えていたのであれば、何故毒を呷らなかったのですか?」

「これ以上禍根を増やせと?」

「わざと話を逸らしているのですか?」


 異母弟は私を見下ろしている。


「それともご自身の矛盾に気づいていないとでも?」


 底に沈んでいた感情を、もはや隠しきれていなかった。


「禍根を残さぬ為だと言いながら、禍根があれば王となった私に考えろと投げやりだ」


 ――禍根が残ることなど、兄上にとってどうでもいいことなのだ。


「兄上、何故毒を呷らなかったのですか?」


 数秒とも満たない静寂だった。


「······彼女を生かす為だ」

「······」

「王妃になれば、此度の事実が露見したところで握り潰せるだろう」


 彼女の父親はこの国の重臣だ。彼女の意思に関係なく、上手く対処する筈だ。少なくとも、王妃にまで登り詰めた娘を『いなかった』者にはしないだろう。


「生かしたいのなら、」


 異母弟は言った。


「兄上が彼女を娶ればよかった」


 思わず眉を寄せた。


「そうすれば、私は彼女を娶らずに済んだのに」

「彼女の言葉を忘れたか? 彼女は私が治める国の王妃になりたがらなかった」

「ええ、ですが先に拒んだのは兄上の方だ」


 責める言葉とは裏腹に、ひどく静かな声だった。


「兄上が彼女の名を呼びさえすれば、」


 ――こんな結果にはならなかった。


 静寂を思わせる声は、諦めに満ちたものだった。


「兄上、何故彼女の名を呼ばなかったのですか?」


 異母弟の問いかけに答える気はなく、顔を背けた。


「······彼女の名を呼ぼうとは思わない」

「······」

「お前が代わりに呼べばいい」

「心掛けます。このような状況ですので」


 言いながらも、異母弟の表情が歪んだ。


「ですが、」


 王家の血筋を引くその目が『罪人』を見た。


「彼女が名を呼んでほしいと望んだのは、私ではなかった」

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