(完結済)叶うなら、名前を呼び合える夫婦になりたかった
ぺんぎん
第1話 「お久しぶりです、殿下」(第一王子視点)
「殿下」
不似合いな声がした。
「お久しぶりです。殿下」
「······君か」
目の前には美しい女が立っていた。
「あまり驚かないのですね」
「そうでもない」
彼女はほんの数日前まで、私の婚約者だった。だが、彼女は私を裏切り、この忌々しい牢獄に繋げたのだ。
「私を嘲笑いにきたのか」
「いいえ」
静かに首を振る仕草さえ、誰もが『美しい』と称賛することだろう。
「お別れを言いに」
「別れ?」
「本日、かの男爵令嬢が処刑されました」
正確には『元』ですがと、独り言のように呟いた。
「······そうか」
吐き出すように、相槌を打った。
「なら、次は私か?」
国が取り決めた婚約者がいながら、平民上がりの男爵令嬢の色香に惑わされ、婚約者を毒殺しようとした愚か者。無論、それは未遂に終わったものの、婚約者ーー彼女が毒を煽り、生死の境を彷徨ったのは事実。先の王妃の嫡子にして、次期国王と目されていた王位継承権第一。
その座は一夜で奪われ、牢獄で死を待つ日々。婚約者とはいえ、たかが臣下の娘一人が死にかけた程度で、王子が罪人として処刑されるのは極めて異例。娘が名門の出であり、その父親はこの国の重鎮。事態を重く見た父王の采配だと言われている。
「いいえ」
そして、彼女は王妃としての教育を活かす為、第二王子の求婚を受けたらしい。熱烈な愛されようで、周囲は次期国王夫妻を温かく見守っていると看守がこちらを嘲笑いながら、言っていた。
「そうではありません、殿下」
「では、何故別れを言いに?」
「これを」
差し出されたのは、杯だった。
「これはなんだ」
「分かりませんか?」
「······毒か?」
「ええ」
微笑む彼女は数日前と比べられないほど、幸福に満ちていた。
「人払いはさせました」
「······」
「これで苦しまずにいけましょう」
杯に満ちた酒。その豊潤な香りが掻き消えるほど、歪んだ臭いがした。
「······あれの指示か?」
「いいえ、私の意思です」
十中八九、私の弟ーー第二王子の命令だろう。
自分の手を汚さず、自分の婚約者を利用する。
実に『あれ』らしい考えがあった。
「······君に、伝えたいことがある」
「はい、なんでしょう?」
「あれは君を愛してなどいない」
なるべく、はっきりと断言した。
「あれが愛しているのは、君の『血』だ」
私の弟ーー第二王子は確かに王の血を引いている。だが第二王子は立場が弱い。父王が囲う側室の中でも最も身分が低い女に生ませた庶子だからだ。父王が格別の寵愛を与えていたのは亡き先の王妃、私の実母だった。事実、父王は王妃が崩御した後、本来いるべき国母の座を空にしたままだった。
身分の低い母を持つ弟は、王宮内でさえ身の危険を覚え続けていた。身分が低い故に護衛もおらず、本来いるべき毒味役さえいない。王の寵愛が与えられないせいで、誰一人味方する者がいない。側室の中には家柄や血筋が影響を与え、王妃と同等の護衛や毒味役が抱える者さえいるのに。
「あれは誰よりも血に執着している」
味方が誰一人いない王宮で、弟は神経を尖らせ生きてきた。相手の計略を見抜き、逆に陥れる計略を立てることさえ、必要なことだった。
だが、どれほど優秀であろうと弟は『庶子』のまま。
いつまた足元を掬われ、自身を脅かされるか。
未然に防ぐためには、後ろ盾を手に入れ、『第二王子』としての立場を安定させる必要があった。
「あれが後ろ盾として選んだのが、」
「私の家、なのでしょう?」
「······気づいていたのか」
「知らぬ筈がございません」
驚いた反面、納得する私がいた。だからこそ、余計に彼女が気がかりだった。
「ならば、察しはついている筈だ。この件は全てあれの仕業だ」
――平民同然の男爵令嬢に傾倒し、婚約者を殺そうとした愚か者。
それが今の私の評価だ。だが、私も亡き男爵令嬢も全く身に覚えがないものだった。そもそも、私と彼女は捕縛されて初めて顔を合わせたのだ。
社交界入りしたばかりの元男爵令嬢は私の顔すら知らなかった。貴族の家に飾られる肖像画は、王位に就いた国王と、その王妃のみ。王子王女の顔を見る機会など、王家主催のパーティにでも出席するしかない。招待される条件さえ、ほんの一握り。
男爵令嬢とはいえ、『平民上がりの庶子』では余程のコネでもない限り、まず招待される筈もない。
この方は誰ですかと、私は何も知りませんと。泣き叫び、無実を訴える声が今なお耳の奥に残っている。
「つまり、殿下は毒を用意したのは、あの方だとお考えに?」
「ああ、あれならそうする」
彼女が毒を呷った際、控えていた侍女が不審な動きを取った。捕らえて、尋問にかけた結果。
男爵令嬢の名を口にした。更に男爵令嬢の侍女が告発を行った。曰く第一王子と男爵令嬢が恋仲であり、男爵家当主の手引きで、手紙のやりとりを経て愛を育んでいたと。誰にも悟られぬよう、日々手紙は燃やすように指示を受けていた。しかし、偶然読んでしまった第一王子の婚約者殺害計画を知り、良心の呵責に耐えきれず、告発を決意したと。
――馬鹿馬鹿しい。
良心の呵責と言ったか。そんなものがあれば、主人の手紙を無断で読む真似はするまい。余程暇を持て余しているか、主人を軽んじているかのどちらかだろう。男爵令嬢は庶子だった為、後者の可能性も否めない。その手紙は私の筆跡で酷似しており、証拠として押収されている。それすら、偽物に過ぎないが。
看守達の噂を耳にした。告発を行った侍女はまるで英雄のように持て囃されているらしい。貴族の悪事を暴いた勇気ある英断だったと。
「殿下?」
「······君が私を裏切った件は、この際どうでもいい」
「······どうでもいい、ですか」
「ああ、そうだ」
彼女の顔も見もせずに、断言した。
「私も君だったら、同じことをしていた筈だ」
『罪人』を婚約者のまま、据え続ける。そんな真似をすれば、彼女のみならず彼女の家門にも塁が及んでいた。彼女の判断は正しかった。
「·····そうですか」
酷く平坦な声だった。怪訝に感じ、彼女の顔に目を向けて、息を呑んだ。
「殿下らしいお考えですね」
『殿下、貴方との婚約を正式に破棄します』
婚約破棄を突きつけられた瞬間を思い出す。
今の彼女の表情はあの時と全く同じものだった。
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