第31話 旅館へ

 パレードやアトラクションの興奮がまだ心に残る中、紺と俺は遊び疲れた体を癒やすため、老舗の温泉旅館に向かった。


 静かな夕暮れの道を歩く。

 足元の枯葉が秋の訪れを告げる中、わずかな時間で目的地に到着する。その旅館は、木々に囲まれた静謐な場所に佇んでおり、立派な木造の門が歴史を感じさせた。


「へぇ……これがその有名な旅館か」


 なんだか別世界みたいだった。

 都会の喧騒を忘れさせてくれる厳かな雰囲気、時間がゆっくり流れているみたいだ。


 紺も目を輝かせながら


「あ、圧倒されそうです……!」


 と、予約した本人なのに緊張していた。

 そして、門をくぐるとそこに広がるのは美しく手入れされた庭園。小川のせせらぎと風に揺れる木々の葉が、訪れた者の心をなごませる。


「あはは、なんだか場違いな所に来ちゃった感がすごいですね」

「たまにはいいんじゃないか? 自分へのご褒美ってやつでさ」

「ご、ご褒美……い、今私こんなに幸せでいいんでしょうか……?」


 お前はもう余命数カ月の人間なのか?


「んな大袈裟な、行くぞ」

「ちょ、ちょっと、余韻に浸らせてくださいよ~」


 俺は紺の腕を引いて旅館のロビーへと入る。

 すると、温かい木の香りと共に、柔らかな照明が迎えてくれた。


 老舗らしい趣のあるインテリアに囲まれ、歴史を感じさせる装飾品が随所に配されている。


「こんばんは、ご予約はされていますか?」

「は、はいっ……二名で予約したは、榛原ですっ……!」

「二名様の……はい、確認が取れました。本日はご予約ありがとうございます。では当館のご案内を致しますね」


 受付でチェックインを済ませると、俺たちは静かに微笑む女将に案内されて部屋へと向かった。廊下を進む足音が、畳の上で心地よく響く。

 そして、部屋の前に着くなり鍵を手渡された。


「キーはタッチ式になっております。亡くさないようお気を付けください、以上よろしくお願いします」


 そうして女将が去った後、俺は紺に話しかけた。


「いつまで固まってるんだよ」

「ひ、人見知りも発生しちゃいまして……えへへ」


 慣れない場所だから俺がリードしてあげるべきなのかもな。

 そう思って俺は扉を開けた。


「お、結構広いんだな」


 部屋に入ると、目の前に広がるのは庭園へと続く掘りごたつのある和室だった。

 部屋全体から漂う木の香りと畳の匂いが、旅の疲れを癒やしてくれる。

 窓の外には、緑一色で生い茂ったが始まった庭木が静かに風に揺れており、その光景に二人でしばし見とれた。


「さっきまでの雰囲気と全く違いますね」

「あぁ……というか音だな、何にもないようで耳をスーッて通り過ぎていくような、分かるか?」

「ふふっ、そうですね。なんだか落ち着く音です」


 俺は荷物を下ろしながら紺に答えた。


「確かにな……少し休むか?」

「賛成です! あ、お茶飲みますか?」

「そうだな、頼むよ」


 紺は備え付けの茶器でお茶を淹れると、俺の分を手渡してくれた。


「ありがとう」


 俺はそれを受けとる。そして一口飲むと、ほっと一息ついた。


「ふぅ……落ち着くな」


 すると紺が笑顔で言った。


「はい! なんだか旅行に来た気分になりますね!」


 確かに、こういう雰囲気は旅行に来たという気分になる。

 だったら尚更、時間を有意義に使いたいという気持ちに駆られるものだ。


「ところでこれからどうする? このままゆっくり休憩でもいいけど」

「そうですねー、もしシューチさんが疲れてなければ館内を散策してみませんか?」


 突然酒を飲ませてきた紺だが、なんだかんだで俺のことを気遣ってくれるから嬉しい。


「全然平気だ、行こうか」

「はいっ♪」


 紺の提案に、俺は快く同意した。



 ◆◆◆◆



 俺たちはまず旅館の共有スペースを訪れる。

 そこには趣のある図書コーナーがあり、地元の作家による書籍や旅行記が並んでいた。

 また、小さな展示スペースでは、この地域の歴史や文化に関する資料が展示されており、訪れた者に知識を提供しているようだ。


 その後、旅館の庭を散歩した。

 庭は細部にわたって手入れが行き届いており、石灯籠や小川、橋が配置されていて、まるで生きた絵画のようだった。

 散策の途中で見つけた小さな茶室では、お茶の体験ができるというので紺は興味を示したが「今は旅館を回りたいです♪」とのことで、これは後回しにした。


 明日時間があればいくつもりだが、きっと静かな茶室で行われる一服の茶は、格別の味わいがあるだろう。


 やがて夕暮れが深まり、紺が待ちに待ったと言わんばかりに提案した。


「シューチさんっ、そろそろお風呂に入りませんかっ!?」


 鼻息を鳴らして興奮気味の紺。

 よっぽど楽しみにしていたことが伺える。


「ああ、行こうか」


 俺は紺に同意する。

 すると彼女はさらに喜んで言った。


「やったー! それでは早速行きましょう!」


 そんなやり取りをして、俺たちは大浴場に向かうことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る