第41話

母の車を借りて一旦東京へ戻る。自室に戻ってみるとパソコンが破損していた。何度スイッチを押してもうんともすんとも言わない。寿命にしては早すぎるしそんな兆候もなかった。

本体に手を掛けてみるとうっすら濡れている。

俺の部屋に入るのは葵くらいだ。もっともカギをかける習慣がないため誰でも入ろうと思えば入れる。

うっかり葵が飲み物でもこぼしたのだろうか? しかし彼女はパソコンには疎くわざわざ俺のパソコンの近くで飲食をするとも少し考えにくい。

もう戻れない可能性のほうが高い以上パソコンの破損は些末な出来事だが誰が壊したのかは気になる。


動画用の資料で買った本を数冊本棚から抜き取り立ったまま読む。本棚にはジャンルごとに分け綺麗に整頓してある。目的の物を手に取るのに少しの苦労もなかった。

目的物は毒物に関する本と過去に起きた凶悪犯罪に関する本だ。

トリカブトとふぐ毒。そう俺は葵を殺そうとした。


トリカブトはマンション隣の一軒家の放置された雑木林にうっすら繁殖しているのを知っている。この部屋のベランダのちょうど真下で「人の手が入っていない割には鮮やかな色をした花が咲いているな」と思ったそれがトリカブトだった。かなり有名な毒草でしっかり管理されてるものと想像していたが意外と野生しているのだ。

ただこれだけでは症状が出るまでは早すぎる。そこで次に着目したのはふぐ毒だ。

かつてこの二つの毒を使った保険金殺人が起こっている。それは二つの相反する毒の性質を利用した時間差殺人だ。


トリカブトは良しとして問題はふぐだ。当然調理に特別な資格が必要な魚をそこらへんで購入することは出来ない。

車に戻った俺はまずは釣具店と磯釣りのできる場所を探した。

どちらも近すぎず遠すぎない場所がいい。どちらも都内で十分な候補地は見つかった。慣れない運転にどぎまぎしながら俺は有明方面へと向かった。


自分の辿った経路が一本道になるのを恐れて目的地の埠頭からは少し離れたところで釣り具を購入した。海釣りの経験は幼い頃に父親に数回連れて行ってもらったものだけなので詳しくはわからなかった。

本欄なら店員さんに聞くのが一番いいのはわかってはいるが、この時の俺は無闇に人と接触することは出来なかった。車内で一応の下調べを行った後に買い物を済ませた。


いい道具と買うべきか否かで少し悩んだ。結局購入したのは店にあった3、4番目に高価な釣り竿だった。

道具は昔の記憶よりは大きくなく車に納めるのも大して苦労しなかった。

ふぐに釣れない時期はあるか念のために調べたが種類こそ違いはあるが年中釣れることがわかり埠頭のある公園へ車を向かわせた。


埠頭に着くと想像以上にそこには釣り人がいて思わず苦い顔をした。

後ろめたい俺は周囲の人間に見られることを恐れていたし、そうでなくとも玄人に交じっていきなり素人が釣りをするという事実にも腰が引けた。

距離を取り過ぎると「あいつあそこで釣る気かよ」と隣で釣るとふぐを持って帰るのが見られて記憶に強く残りそうだった。


タイミングよく3人組の釣り人が後片付けを始めたので終わるのを待ってそこに釣り糸を垂らした。堤防を見ると干からびたフグがへばりついている。まさに釣りの嫌われ者の様相を呈していた。

30分経っても竿は少しも動かない。素人でもふぐくらいなら苦労しないかもと思っていたが甘かったのか釣りでこの程度当たり前なのか分らなかった。


それからまたしばらくたち自分の背に隠れていた西日もほとんど姿を消しつつあった。ここまで長く釣り糸を垂らしていると釣果に関わらず気分は落ち着いていた。

「釣りは短気のほうが向いている」とよく聞くが楽しめるのは気の長いほうだと思った。だが俺の気が長いとはここまでのことを考えると到底思えない。そんなことを思いながらクスッと笑えるくらいの余裕は出てきた。

殺人目的の釣りだっていうのにだ。


「もう諦めようか、これ以上の殺人をやめろと神様が言っているんだ」

心の中で都合のいいきっかけを求めたいた俺はそろそろ片づけようかと思い始めた。

その時両腕をいきなり下から引っ張られた。俺は反射的に釣竿を上げた。

「かかった」

もう海面はほとんど見えない。俺は見様見真似で竿を上げ下げしたりリールを巻いた。なかなか魚の姿は見えない。

目的を忘れた純粋な気持ちでただただリールを巻きあげた。

「はぁはぁ……。やっと、やっと釣れた」

堤防に吊り上げられた魚はぴちぴちと動いている。急いで魚の確認に向かった。そうこれ終わったわけでは無い。これがフグでなければ俺の計画は失敗なので。

このとき俺はどっちを望んでいたんだろうか?

ふぐだった。親指サイズ大のふぐは身体を膨らませて自身がフグであることをありありと主張していた。既に夜闇に包まれている埠頭は他人の目から俺の釣った魚に対する注目を大いに隠してくれた。

獲物を水を張った小型のクーラーボックスに放り込み、道具の後片付けを始めた。

1匹の毒で足りるかどうかは調べてある。俺は急いで車まで戻り埠頭をあとにした。


釣りあげた直後よりも時間が経ってから興奮が俺を襲ってきた。事故だけは起こすまいと注意しなければいつ車道をはみ出すかわからないほどに。実家に戻ったのは9時を過ぎていた。安心した俺はバックで駐車する気力も技術も果てて正面から駐車スペースに入っていった。運転が苦手な母に文句を言われるだろうがこの時間は既に眠っているはず。


助手席に置いてあるクーラーボックスを出すと玄関先の水道に置き、中を確認する。ふぐはかなり弱りただ水の中にいるだけだった。

魚用のハサミでふぐを解体していく。ひどい臭いで何度も吐きそうになった。蛇口をひねり水を流し続けふぐの血を洗い流す。ふぐ毒として有名なテトロドトキシンはふぐ全体にあるが特に内臓にある。肝臓が特に毒があるとのことだがどれが肝臓かわからない。

それらしい内臓を取り出し半分程度を密閉されいている小瓶に流し込んだ。

残りの部位は焼いた後に何重にもコンビニ袋に包んで捨てた。


次に取り掛かったのはトリカブトだ。これも茎や葉、根とどこにもアコニチンという毒はある。萎れている葉を一枚取り出し擂り潰して一滴の十分の一程度の汁をふぐの内臓の入った小瓶へ入れる。

これだけでもかなりの毒物のはずだ。ただ俺は毒物の素人だ。これで一体どれだけの症状が出るかわからないしチャンスは一度だけ。試すこともできない・

小瓶の中はこれだけだとかなり不快な臭いがする。そのため水道水で薄め、さらに紅茶の茶葉で臭いを消そうとした。

しかし数時間生臭さに曝されていた俺の鼻は麻痺して瓶の中身の匂いが良化したかどうかわからなかった。

完璧とは言えないがこれで俺は満足した。あとは明日を待つだけだ。

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