第10話

あれ? ここはどこだっけ?

ぼんやりした頭で今日の出来事をゆっくりと順に思い出していく。

……そうかここは小島さんの家だ。瀬川のことを話しているうちに試験勉強の疲れからか眠ってしまったのか。……眠ったのか?


「今は何時だ」自宅から近いとはいえ終電を逃すと帰るのに苦労することは間違いない。腕時計を見ようとするが何かおかしい。

「腕が縛られてる」

何度か瞬きをしてみるが部屋が薄暗くて周囲の様子もよくわからない。


「小島さんがやったのか、なんでだ」

手首を背後でおそらく結束バンドで拘束されている。きつめに結ばれているので手首にバンドが食い込んで痛む。

どうやらショルダーバッグだけ取られてあとは拘束してこの部屋に運ばれたらしい。

闇に目が慣れて横になったまま周囲を見渡すと床に乱雑に置かれた衣類、シミの付いたカーテン、ほこりをかぶったブラウン管のテレビ。

「もしかして別の場所に運ばれたのか」リビングの様子から同じマンションの一室とは全く思えない有様だ。


目を覚まして10分くらい経っただろうか、緊急事態で時間感覚に自信が持てない。何度も考えてみたが小島の意図がわからない。だが俺が無警戒だったことは確実だ。

「大学生のしかもそこそこ体格のいい男の俺が何を警戒するって言うのか?」そういう驕った考えが招いた事態だ。

何とか事態を打開しようと腕を動かしてみたが手首が痛むだけで徒労に終わった。何か持ってないかとズボンの後ろポケットを探る。


「あ、もう起きたかい。具合はどうだい?」

横になっている自分の頭のほうから声がかかる。小島の立っている位置から光が漏れ

僅かに部屋の様子が明らかになる。床は衣類だけでなくゴミの山。壁紙は黄色と茶色の中間の色に汚れている。それに今まで気にならなかったが視界が満たされたせいか部屋の異臭に気が付いた。


「ここまで運ぶのに苦労したよ。それにやっぱ君、身体大きいし若いから全然効かなかったね。効くのも遅いし抜けるのも早い」

「コーヒーに何か入れたんですね?」声に出したつもりが下顎が痺れてうまく発声できなかった。

小島はやや用心するようにゆっくりと部屋に入ってくる。この男、身長は160cmを少し超えた程度、腹は出ているが手足は細く短い。俺にまともに抵抗されると手も足も出ないということをわかって拘束していても慎重なのだろう。

ゆっくりと自分の後ろを覗きこみ拘束が有効であることを確認してから足早に棚を漁りだした。


「あいつらいつ来るかわかんないからな。予定より遅い時もあれば早い時もある」

小島はところどころ黒い塗装が剥がれた大きめの三脚を組み始めた。

「心配しないで、帰れることは帰れるし、お礼もしっかりとするから。いいバイトだと思ってくれればいいよ。たまにハマっちゃう子もいるくらいだし」

小島は慣れた手つきで三脚を組み終えると自分が体重を預けていたベッドに置かれていたカメラを手に取った。

「あー電池ないか。バッテリーの予備あったはずだけど、どこやったかな」

そういうと細めた目で俺を観察している。

「大丈夫か、ちょっと待っててね」

自分から目を離さず扉まで後ずさり颯爽と部屋から出て行った。


小島が再び戻ってくるまで優に15分から20分はあった。十分すぎるほどあの男は俺に時間を与えてくれた。唯一気になるのは先ほど話していた「あいつら」のことだが今は目の前の危機を脱することを優先する。

城島には感謝半分恨み半分といったところだろうか、いや恨みのほうが大きいか。

解放された手首をさすり滞っていた血の巡りをゆっくりと味わう。もしかしたらかもしれないが、まぁ大丈夫だろう。あいつが戻ってくる前に拘束されたふりをするためもう一度横になり廊下の足音に耳を澄ます。


スリッパが床をこする音が少しずつ近づいてくる。

「お待たせ、ミチル君。バッテリーの予備はなかったから今充電してるよ」

俺が先ほどと変わらず同じ姿勢なことから少し気が大きくなっているらしい。先程より警戒心が薄れている。

「小島さん、瀬川みたいなYouTuberってマネージャーとか付くもんですかね?」

「はあ?」

この状態での場違いな質問に露骨に呆れ顔をしている。

「彼くらいになればDESIから一人や二人付いてるんじゃない? 君って肝が据わってるのか鈍感なんのかよくわかんないね」

「名前って調べればわかりますかね?」

もう一度瀬川のマンションに忍び込んでパソコンを確認するにしても全ての内容を確認して推測するより名前がわかってるほうが早い。

「一応、僕も所属してるから聞けばわかると思うけど」

すぐにはわからないらしい。そろそろこの姿勢も辛くなってきた。この男の線は諦めて姫子さんにでも聞いたほうがよさそうだ。


「小島さん」

「んー何だい? まだ何か質問かい」

こちらに一瞥もくれずに三脚の上のカメラを弄っている。先程までには考えられない油断を見せている。目を閉じてもこの男の位置がわかる。ゴミと埃の匂いのするこの部屋で小島の年寄り臭い香水の匂いが彼の居場所を知らせてくれる。


「何だい急に黙ったら怖いよ。どこか具合でも悪いのかい?」

下手に目を合わせると演技がバレそうな気がするので目を閉じ視覚以外で一挙手一投足を把握しようとする。

「一歩、また一歩」ゴミを搔き分け小島が俺に近づいてくる。


「お、おいミチル君? 大丈夫かい」

小島の手が俺の肩に触れるか触れないかの距離で思いっきり両手で床を押し、肩から小島に突っ込む。

不意を突かれた小島は大きな音を立てて床にしりもちをついた。口をパクパクとさせ何かを言おうとしているが気に留めず小島の顔に膝をぶつける。

本気で蹴るつもりはなかったが今までの鬱憤で想定以上の力が入ってしまった。

小島は仰向きで倒れ込み鼻血まみれの顔面を押さえて何やら叫んでいる。


部屋を出てリビングに戻るとソファーの上に自分のカバンとスマホが置いてあるのを確認できた。

背後から音がして振り返ると小島が這うように部屋から出てきていた。

「ごめんなさいごめんなさい。も、もう許してください」

これ以上危害を加えるつもりもなかったので部屋で大人しくしていればよかったものを、わざわざ会話できるレベルまで回復したことを知らせに来てくれたようだ。


血まみれの哀れな中年男性の顔を見て同情心が沸いたがそれを悟られないようにゆっくりと近づく。

「許して許してください」

「DESIで瀬川の仕事に詳しい人間の名前、一人でもわかりますか?」

「風間さん、風間さんなら知ってると思います。連絡先は分かりません。許して」

連絡のやり取りが瀬川のパソコンで行われていることを願う。

「的場って名前に聞き覚えはありますか? 瀬川関係で」

「的場? 最近どこかで聞いた気がする……。瀬川君の関係かは思い出せないです」

おそらくニュースか新聞かで目にしたのであろう。


「あの、一つだけ聞いていいですか?」

そろそろ帰ろうと支度をしていると小島から質問してきた。

「どうやって拘束解いたんですか?」

答えると今後対策をされそうな気がしたので無視をしてマンションの一室をあとにした。


廊下に出ると自分より背丈のある屈強な男二人とすれ違ったが怪しまれないようにエレベーターに乗り込む。

外出時、ほとんど同じジーパンを着用していたことが幸いした。

「JOさん、まだ捨てるには早いですよ」

あの時ポケットに入れていたライターをそっと触る。




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